読書熊録

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トランプを生んだ「絶望の吹きだまり」―「ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち」

 トランプ氏が、どうして米大統領になれたのか。その背景に「ラストベルト」(錆び付いた地帯)と呼ばれる衰退した工業地帯がある。黒人やヒスパニック系移民が、米社会のマイノリティかと思っていたが、ラストベルトの白人労働者こそ鬱屈した閉塞感を抱えていて、それをすくい上げたのがトランプ氏だった。その「声なき声」の正体を垣間見させてくれるのが、本書「ヒルビリー・エレジー」だ。

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

 

◎行き場のない苦しさが生む他責

 ヒルビリーは「田舎者」、エレジーは「哀歌」を意味する。著者のJ.D.ヴァンス氏はラストベルトに位置するオハイオ州の鉄鋼業の町で育った。一家の出身はアパラチア山脈に近いケンタッキー州東部で、自らも家族も、ヒルビリー的生活を送ってきた。

 そのため本書は取材によるノンフィクションより、メモワール(回想録)に近い。だがヴァンス氏は紆余曲折を経て大学で学び、弁護士になった方で、社会学的分析を随所に織り込んでいる。当事者であり観察者という絶妙な立ち位置から、ヒルビリーの悲しみ、苦しみ、やりきれなさを描いていく。

 冒頭、タイル会社に勤めていた際の同僚、ボブが登場する。ボブにはガールフレンドがいて、妊娠もしている。しかし欠勤常習者で、トイレ休憩を30分も1時間も取るために、当然ながら解雇されてしまう。著者は思う。

 タイル会社の倉庫で私が目にした問題は、マクロ経済の動向や国家の政策の問題よりも、はるかに根が深い。あまりにも多くの若者が、重労働から逃れようとしている。良い仕事であっても、長続きしない。支えるべき結婚相手がいたり、子どもができたり、働くべき理由がある若者であっても、条件のよい健康保険付きの仕事を簡単に捨ててしまう。

 さらに問題なのは、そんな状況に自分を追い込みながらも、周囲の人がなんとかしてくれるべきだと考えている点だ。つまり、自分の人生なのに、自分ではどうにもならないと考え、なんでも他人のせいにしようとする。そうした姿勢は、現在のアメリカの経済的展望とは別個の問題だといえる。(P15)

 

 また、こんなこともあった。

 私はミドルタウンのバーで会った古い知り合いから、早起きするのがつらいから、最近仕事を辞めたと聞かされたことがある。その後、彼がフェイスブックに「オバマ・エコノミー」への不満と、自分の人生へのその影響について投稿したのを目にした。(P304)

 こうした投げやりで他責的な態度の源泉は、ラストベルトの、ヒルビリーの、出口のない苦しみだと著者は指摘する。やり場のないつらさの上に「自分が悪い」と思うのは難しい。誰かを責めずにはいられない。では、その苦しみとは何なのか。

 

◎いいターミネーターと悪いターミネーター

 著者の人生を振り返る形で浮かび上がってくる苦しみの大半は、家庭とコミュニティに起因する。母親は離婚と新しいパートナーとの交際を繰り返し、家は喧嘩の怒号が飛び交う。薬物中毒にも陥っている。今日暮らしている男の家を、明日には追い出されるかもしれない。不安定な母親の感情の矛先がいつ自分に向くかは分からない。

 望まない妊娠、進学を諦める、パートナーをとっかえひっかえ、子どものネグレクトや虐待。それは著者の住むコミュニティにありふれていた。安定した仕事のない中で、平穏な生活を送ることはどれだけ可能なんだろうと思わされる状況だ。

 著者が幸いだったのは、頼れる祖母の存在だった。口は悪いが、母親といられないときに逃げ場になってくれた。ヒルビリーの生活を抜け出すには、とにかく勉強することだと言ってくれた。「お前はできる」「自慢の孫だ」と褒めることやめなかった。

 荒れ狂う日常をなんとかくぐり抜け、著者は高校卒業後、海兵隊に入り、大学への進学。人生の針路を明るい方に進めることができた。海兵隊の給与で家族に食事をごちそうできたとき、著者はこんな風に感じた。

 それまでの人生、私はずっと、最悪の時期に感じる恐ろしさと、最高の時期に感じる安心感・安定感のあいだを行ったり来たりしていた。悪いターミネーターに追い掛け回されているか、いいターミネーターに守られているかのどちらかなのだ。

 しかし、自分自身に力があるという感覚は持ったことがなかった。(P264)

 

 ヒルビリーの子どもたちは、絶えず自分は無力だと思い知らされて過ごす。そうして行き着くのは、「自分の人生は自分ではどうにもできない」という感覚だ。これを「学習性無力感」と呼ぶ。望んでいないのにすり込まれた無力感をはさめば、トランプ氏は「いいターミネーター」に見えたのかもしれない。ターミネーターに人生を委ねる限り、無力感が消えないとしても。

 

◎足りない「社会関係資本

 学習性無力感を解消すること、またはそれを抱えて人生を好転させることは極めて難しい。著者にとっての祖母のような存在がいれば、まだ光がある。

 著者は弁護士になるために通った名門イェール大学ロースクールで、ハイソサエティの人々はこの「光」をあまりに多く持っていることを知る。お金や不動産に限らず、自分を支えてくれる身近な人、そこから得られる学びや肯定感もまた、重大な資本だと。それは「社会関係資本」と呼ばれ、ヒルビリーは圧倒的に足りていない。それをごく分かりやすく、次のように記している。

 社会関係資本はつねに、身の回りにある。うまく使えれば、成功につながる。うまく使えなければ、人生というレースを、大きなハンデを抱えたまま走ることになるだろう。

 私のような境遇で育った子どもたちにとって、これは大きな問題だ。

 以下に、イェールのロースクールに入学した時点で、私が知らなかったことを列挙してみよう。

 ・仕事の面接に行くときは、スーツを着る必要がある。(中略)

 ・テーブルの上のバターナイフは、たんなる飾りではない(とはいえ、バターナイフを使うより、スプーンや人さし指を使ったほうが、万事うまくいく)

 ・合成皮革と本革は、ちがう素材である。(P344-345)

 

 著者は、ヒルビリーの抱えるものを「絶望の吹きだまり」と表現する。経済的衰退だけでなく、学習性無力感も、社会的資本の不足も、そこに澱のように重なっていく。一つ一つ乗り越えるには、あまりに多くのものが溜まりすぎてしまったのかもしれない。トランプ大統領がこの吹きだまりを崩すのか、さらに絶望を放り投げるのかは、まだ分からない。