読書熊録

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狂っていく最中に狂っているとは気付けない―「成功者K」

 芥川賞を獲得した男性小説家Kは一夜にして「成功者」となった―。本書「成功者K」のあらすじだけを見ると、著者羽田圭介さんの私小説に思えて仕方がない。これが作品の最大のスパイスになっている。Kは成功を機に、ファンの女の子をとっかえひっかえにして情事を繰り返し、テレビ出演にも積極的になり、高級車を乗り回す。これは現実のデフォルメなのか、完全な作り話なのか、羽田さんが書くからこそ、幻惑される。

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成功者K

成功者K

 

  帯で又吉直樹さんが書いているように、主題である「マスメディア」の怪物っぷり、その背に乗って操っているようで、実際は手のひらで踊らされてるKの翻弄ぶりが楽しみの一つではある。自分がそれ以上にぐっと来たのは、「ああ、こうやって人は変わっちゃうもんなんだなあ」という恐怖だった。

 

 小説家Kは「成功者K」になった後で、傍目に見て態度や性格が変質していく。その変化は、最初はごくちっぽけなことだ。たとえば、鳴かず飛ばずの時代から交際していた彼女との休暇にのんびり旅行に行くかどうかをめぐって。

 (ブログ主注:テレビのロケ番組は)スタッフたちが面倒くさい手続きを経て用意してくれた行路を、ただ身一つで行くだけで特別な体験ができたし、おまけに出演料までもらえた。仕事で、旅をした。

 するとKの中で台湾や四国やバリで羽を伸ばすことが、あまり魅力的に感じられないように思えた。宿泊先やグルメも、金を払ったぶんだけの楽しみしか享受できず、たとえ金を積んだとしても特別な場所には入れない。(P57)

 彼女の立場からみれば「仕事の旅行と、大切な人との旅行を並列で比較するのがそもそもおかしくない?」と思う。しかし、成功者になったKには、彼女との旅行にそそられないのが「自然」になってしまっている。自分がたどりついた「成功者」の目線で考えれば、それが一番合理的で、納得できる答えに見えてしまう。

 凡人である自分からするとKはこんな調子を繰り返して、徐々に徐々に、尊大になっていく。川の流れからほんの少しそれて流れ出した支流が、いつのまにか本流を越す強い流れになってしまうように、「成功者K」がKその人になっていく。

 成功者Kは、芥川賞を手にしてからさらに多くを手にしていくような感覚を持っている。都合よく情欲を満たせる女性ができた。それも何人も。テレビ出演のギャラ交渉を覚え、出演料をつり上げる方法を覚えた。バラエティーでの立ち振る舞いも分かり、仕事はさらに仕事を呼んでいく。それが昔のKからすれば「おかしい」状態だとは思いもしない。「おかしさ」すらも成長に感じてしまう。

 そしてKは、最近度々、先輩作家たちからのそういった依頼や文庫本解説等、断りまくっていることを振り返る。先輩や、お世話になった人たちからの頼みを断るなど、昔の自分だったら考えられない行動だが、忙しいのだから仕方ないとKは思う。しかし、それらを断る際、妙な快楽が付帯していたことも、否定できなかった。まるで自分にはそういう行いをする力が備わったとでもいうように。否、むしろ、昔からそういった力を自分は有していたような気さえKにはした。(P88)

 

 人は狂っていくまさにその最中に、自分が「狂っている」とは気付けない。それが物語を読んでいて、一番恐ろしいと思ったことだ。何度も、何度も「K、気付くんだ」「いまならまだ立ち止まれるぞ!」と言いたくなった。

 Kはいったい、どこで狂気を止められるのか、それとも止められないのか。それがストーリーの核心でもあるので言及は控えるが、ラストはなんというか、読者が羽田さんの手で踊らされたなというか、なんだこれは!?というものだった。

 

 余談になるけど、狂っていく自分をどうやって立ち止まらせられるのかを考えたときに、ネットで拝見した過労自殺がテーマの漫画が頭に浮かんだ。

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 成功も一種の麻薬だけれど、過労も狂気の一本道の別形態なんだろう。それもさらにおそろしい、命の危険がある道。漫画の作者汐街コナさんは、戻れなくなる前に「考えられるうちに立ち止まろう」と呼び掛ける。大切なメッセージだ。