社会の成分は女性への不自由、男性へのいたわりー書評「BUTTER」
独身男性3人から財を搾り取り、殺害したとして逮捕されたのは、たっぷりと肉がついた身体を揺らす、美しさの尺度からかけ離れた女だった。食べたいものを食べる、太っても気にしない、男に尽くし、貢がせるー。欲望には忠実に、一方で旧来的な「女らしさ」を体現し、好奇の目とバッシングにさらされた「怪物」。その正体は何なのか、彼女は本当に男たちを殺したのかに、容疑者とは対極に美しさとキャリア志向を備えた週刊誌の女性記者が迫る、「女」をめぐる物語が本書「BUTTER」だ。
痩せ、キャリア…女性を縛るいくつもの不自由
参考文献にある通り、小説の下敷きになっているのは実際に起きた首都圏連続不審死事件。本書の容疑者・カジマナこと梶井真奈子をはじめ、婚活を通した出会い、高級な料理教室など事件を構成するエッセンスはかなりの部分トレースされている。「BUTTER」が面白いのは、この事件に、カジマナに、同じ女性の視点で、それも複数の立場の女性を置いて、向き合っていくことだと思う。
柱となる主人公は町田里佳、33歳。身長166センチの細身の体型は、見た目に70キロを越す巨体のカジマナとは対極にある。日々忙しく、恋人とは絶妙な距離感で、まだ結婚の予定はない。里佳を支える形で、バリバリのキャリアウーマンから主婦に転じた同い年で、少女のような風貌の伶子もバイプレーヤーになってくる。
カジマナは控訴審を控えて東京拘置所に入っており、里佳はガラス越しの独占インタビューを狙う。伶子のアドバイスを受け、食に深いこだわりを持つカジマナのレシピやオススメを聞く方向でならと、カジマナから少しずつ面会を許されるようになる。
里佳はカジマナの言うことを忠実に守り、まるで手足のようにカジマナの求める食を体験することで、懐に入っていく。その最初の命令が、マーガリンではなく本物のバターを使うことだった。
「バター醤油ご飯を作りなさい」
一瞬、なんのことかわからず、咄嗟に、は、と小さく声が出た。
「炊きたてのご飯をバターと醤油でいただくものです。料理をしないあなたにもそれくらいは作れるでしょう。バターの素晴らしさが一番よくわかる食べ方よ」(P28)
実際にバター醤油ご飯を食べる描写は、思わず読者の自分も食べたくなるほど。こうして里佳は次々とカジマナの食を試し、体型も彼女に近づくように、だんだんと体重が増える。このとき里佳は、恋人や取材先から盛んに太ったと指摘される。女性が当たり前のように「痩せる」ことを求められていたんだと、ありありと感じさせられる。
この物語は、カジマナという超越者を描くことで、この社会で生きる女性がどれだけの不自由に縛られているかを描き出す。太ってはいけない、美しくいなければならない、家庭を選ぶときにキャリアを諦めなければいけない。里佳はまさにその通りに、痩せていて美しくて、家庭的な部分を切り捨てて仕事に邁進してきたけれど、そこから体重が変化したたったそれだけで、逸脱したような眼差しを向けられる。読んでいて強烈な違和感とそら恐ろしさを感じた。きっと、これが現実だ。
男へのいたわりは自然に組み込まれている
それは裏を返すと、社会は男へのいたわりを自然に組み込んでいるともいえる。伶子の夫が、不妊治療に非協力的なことが話題に上ったとき、里佳はこう感じる。
亮介さんには亮介さんなりの言い分があるのではないか、仕事でつかれているのではないか、伶子が何か誤解しているのではないか、とどこかで必死に自分に問うている自分に失望する。亮介さんを嫌いたくないが、こうした男へのいたわりが自然に組み込まれている社会はそのものが、伶子を苦しめていることもわかる。(P132)
なぜ男が太っても、女性ほど責められないのだろう。この自然な低めのハードル設定は、カジマナの事件の被害者にも当てはまる。なぜ、独身を理由に生活が荒み、それなのに良しとされるのだろう。カジマナのような母性を求めることを、女性から見れば母性が求められることが、当たり前になっているのだろう?
カジマナはこの社会の成分表示を的確に見抜いていた側面がある。そこから不自由を拒み、男へのいたわりを見せれば最大限の見返りが得られることを利用した。でもそれは、幸せなんだろうか。女性が自由になる方法は、男へのいたわりに苦しまない方法は、カジマナのやり方以外にないのだろうか。これが物語の後半にかけての重要なテーマになる。
男の自分が読むと、「BUTTER」は「女性ってこんなことを感じてるのか」というノンフィクションの面がかなりあった。それでいて、物語はドライブ感があり、カジマナと里佳の「対話」がどこに行き着くのかは、見逃せないものがある。一気読みの素敵な作品でした。
実は女性への不自由と男へのいたわりを織り込んだ社会は、男にとってのユートピアではなく、「男らしさ」という新たな呪縛を生んでいる。その辺の考察はぜひ、杉田俊介さんのノンフィクション「非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か」(集英社新書)を手にとってほしい。レビューはこちら。