読書熊録

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あの頃の気持ちに会いに行こうー読書感想「ボクたちはみんな大人になれなかった」(燃え殻)

わずか150ページあまりに、青春が凝縮されている。燃え殻さんのウェブ連載を書籍化した小説「ボクたちはみんな大人になれなかった」を読んで、浮かんできたフレーズは、ザ・ハイロウズのあの名曲の一節だった。「時間が本当にもう本当に止まればいいのにな」。胸の内にあるそんな時間にひりひりと触れてくる作品だ。そして、その時間がもう戻らないと分かっても、思い出してしまう「今」の切なさにも。1990年代、東京、何者でもない若者の自分、忘れられない恋。本作を読んで、あの頃の気持ちに会いに行きませんか?

 

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ボクたちはみんな大人になれなかった

ボクたちはみんな大人になれなかった

 

 

何者でもなかった、でも恋をした

舞台は90年代の東京で、その頃20代だった人に一番刺さる作品背景ではあると思う。自分はそこから若干ずれて、90年代は地方のハナタレ坊主だし、00年代を過ごした東京はあくまで大学生だった。でも刺さる。小沢健二とか、デイリーanの文通コーナーとか、知らない。それでも作品に入り込んでいけるのは、燃え殻さんが、そういう舞台設定よりも、舞台で踊る登場人物の温度感を丁寧に切り取ってくれているからだと思う。

 

冒頭、主人公は43歳のアートディレクターの男性だと明かされる。表紙で仄めかされているように、その彼にとって、「ボクたちは一緒に生きていくはずだった」と思えた恋についての物語。彼が20代前半だった、1995年の夏と、43歳の現在とが行き来して、進んでいく。

 

アートディレクターの恋だなんて、華やかで遠い話かと思えば、彼はどうやら、1995年時点ではただの工場作業員だ。何者でもない。自分も含め、大方の読者と一緒だ。何者でもないけど、人を好きになる。それはネタバレしない部分で、こんな風な印象的な言葉で語られる。

 

 「わたし、かおりって言います」

 その日彼女が教えてくれたその名前が、ボクにとって生涯忘れられないフレーズになるなんて、もちろんこの時は気づくわけもなかった。

 一枚の絵で人生が変わったという人間や、一冊の本で人生が決まったという人間を今までボクはどこかで軽蔑していた。だけど、彼女と出会ったこの日、ボクは止まっていた自分の人生の秒針がカチカチと動き出したことを確信した。決断力のある人間に見られたくなった。行動力のある人間だと信じてほしかった。彼女の前では、自分に正直な人間になるよりも、自分が憧れる人間になりたかった。生まれて初めてボクは頑張りたくなっていた。ボクはもう彼女に、恋をしていた。(どこでこの言葉が出てくるかも大切だと思うので、ページ数は伏せます)

 

あなたの「夜」とリンクして

「ボク」と「かおり」の恋は、東京の、それも夜が主に舞台になる。ボクはあくせく働いているからだし、東京の喧騒の中で夜だけが、凪のように彼らを包んだからでもある。

渋谷円山町、新宿ゴールデン街、六本木のクラブ、五反田の風俗街の片隅……。繰り返すけれど、自分は90年代の、その場所の「夜」を知らない。でも浮かんでくる。匂いが漂ってくる。

 

それは転勤でいたあの街の小さな繁華街から、へべれけになって歩いた帰路だろう。友人の結婚式で久しぶりに東京へ行った時、みんなが終電で帰る中取り残された新橋のネオンかもしれない。読者それぞれの風景にリンクして、恋や憧れといった当時の感情にも結びついていくはずだ。

 

作者紹介によると、書き手の燃え殻さんは「都内で働く会社員」とある。ツイッター検索してみると、ゴマヒゲのある中年男性のイラストが、満員電車に揺られているアイコン。この物語は燃え殻さんの人生の一部を切り取ったものなのかもしれないし、そうでないかもしれない。イラストしか分からないベールに包まれた作者だからこそ、本作は置き手紙のような、駅の伝言ノートに書き残されていた言葉のような、匿名だけど温かい不思議な質感を帯びているようにも思う。

 

帯には、糸井重里さん、女優の吉岡里帆さん、映像ディレクターの大根仁さん、スピードワゴンの小沢一敬さんなどそうそうたるメンバーの推薦文が寄せられている。それに加えて、ぜひツイッターでも感想を検索してほしい。こんなに短い言葉で、本作を魅力を伝えられるのか、その言葉あったのかと思わされる。そしてまた、物語の余韻を噛み締められる。

 

燃え殻さんにありがとうと言いたい。もう一度触れたこの気持ちを抱きしめて、また生きていこう。

 

今回紹介した本はこちらです。

 

ボクたちはみんな大人になれなかった

ボクたちはみんな大人になれなかった

 

 

  愛することを考える小説として、川村元気さんの「四月になれば彼女は」もおすすめです。こんなにも柔らかく、もろいものなんだと。

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 自分の中にある傷みとどう折り合いをつけていくかという問いには、佐藤多佳子さんの「明るい夜に出かけて」もヒントになります。

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