読書熊録

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ファシズム前夜にできることー読書感想「暴政」(ティモシー・スナイダー)

ポスト・トゥルースの時代であり、ポピュリズムの足音が聞こえる「いま」を、ナチスドイツや共産主義が大量虐殺と大戦争を生んだ「あの頃」と比べ、教訓を得る一冊が本書「暴政」だ。著者のイエール大教授ティモシー・スナイダー氏は、「ブラッドランド」などでホロコーストや大戦を克明に分析した歴史家。「いま」を「ファシズム前夜(プレ・ファシズム)」と喝破する著者は、「20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン」と題し、「私たちにできること」を平易な言葉で説く。それは、言葉や、ニュースに警戒を尽くし、学ぶことを、民主主義を実践することを、怠らないということだ。発行は慶應義塾大学出版会。

 

暴政:20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン

暴政:20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン

  • 作者: ティモシー・スナイダー,Timothy Snyder,池田年穂
  • 出版社/メーカー: 慶應義塾大学出版会
  • 発売日: 2017/07/15
  • メディア: 単行本
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驚くほど「いま」に生きる「あの頃」

「歴史は繰り返す」と言われますが、そんなことはありません。けれど、教訓を与えてくれるのはたしかです。(p5)

スナイダー氏はこんな明快な言葉で本書を書き出す。それは、教訓を学ぶことで、悲惨な歴史の繰り返しを「止められる」ということでもある。

説得力があるのは、読めば読むほど、ナチスドイツや共産主義の時代に起きたことはいま起きたこと・起きることに「似ている」と感じるだ。

 

レッスンは20の教訓を端的にタイトルで示すが、奇しくも第1章は「忖度による服従はするな」。忖度としか言いようがない状況が、ナチスドイツが侵攻したオーストリアにもあったと著者は語る。

オーストリアのユダヤ人の運命を決めたのは、オーストリア人の忖度による服従でした。地元のオーストリア・ナチ党員はユダヤ人を捕まえ、ペンキで描いた独立オーストリアの徴を取り去ろうと「舗道こすり」をさせました。決定的だったのは、ナチ党員ではなかった一般人までもが興味津々、面白がってそれを傍観し、「舗道こすりパーティー」にしてしまったことでした。

この「一般人」の振る舞いは、ユダヤ人の迫害を「許される」という感覚をナチ政府に与えてしまった。それが加速し、クリスタルナハト(水晶の夜)として知られるユダヤ人に対する集団的な殺戮や強奪が起きた、と著者はみる。この教訓は、「舗道こすり」事態は小さくてもそれが重大な結果を招く萌芽だったこと、忖度それ自体が侮れないことを、「いま」に生きる我々に教えてくれる。

 

切り離された言葉に注意せよ

一つ一つのレッスンは数ページで、言葉も易しいけれど、この調子で濃密だ。いずれも歴史的考察に裏打ちされていて、ずんと知的なインパクトを伴う。

 

著者は無条件に権力を批判しているわけではなく、それを伝える、実は権力性を帯びたメディアにも厳しい目を向ける。この姿勢は、数多くのレッスンの中でも共有したいトピックだと感じた。

 

2016年の米大統領選で、Eメールの流出、「Eメール爆弾」が問題になった。著者はこれを「逆情報(ディスインフォメーション)」と呼び、次のように強烈に批判する。

ある状況下で書かれた語やフレーズは、その文脈の中でのみ意味を持つものです。語やフレーズを本来それが発せられた歴史的な瞬間から切り離した他の歴史的瞬間に置くことそのものも、事実の「歪曲(フォルシフィケーション)」という行為なのです。(中略)基本的権利の侵害を報じるよりも、アメリカのメディアは、私たちが第三者の事情に抱く本質的なわいせつな関心事を報道することに、愚かにも興じていたのです。(p86)

これを読んで、国会議員の秘書叱責(「このハゲー!!!!」のやつ)や、政治家に加えて芸能人の不倫に関する過熱な報道が思い浮かんだのは筋違いだろうか。たしかにパワハラ・モラハラは悪い。不倫は言語道断だ。だけれど、公共空間であるメディアで「私的な」会話や行為の一部を切り取り、断罪することは果たして本質なのだろうか?

スナイダー氏はハンナ・アーレントの言を引き合いに、「公」と「私」が一体化されたものが「全体主義」だと説く。だとすれば、こんな話も、些末とは切って捨てられないような思いにもなる。

 

普段の仕事と生活に「倫理」を

最後にサラリーマンとして身につまされた警句を紹介したい。レッスン5「職業倫理を忘れるな」だ。それは、ホロコーストが国家的な意思だったとしても、その実行役は市民であったことから、目を逸らさない。こう書かかれている。

仮に法曹家が「裁判を経ない処刑はありえない」という規範に依っていたら、仮に医師が「同意のない手術はありえない」という規則に従っていたら、仮に実業家が「奴隷制禁止」を是認していたら、仮に官僚が殺人に絡む書類は処理するのを拒んでいたら、そうすればナチス体制は、こんにち私たちがナチス体制を記憶する理由となっている残虐行為を実行するのにたいへんな苦境に陥っていたことでしょう。(p36)

ここに出てくるのは、社会におけるエリート層かもしれないが、「仕事においてやってはいけないことをやらない、やるべきことをやる」という「職業倫理」は、サラリーマンにとっても大切だと感じた。長時間労働を当たり前にしない意思表示をすれば、パワハラは許さないという姿勢を示せば。「働きやすい環境」にちょっとでも近付くし、少なくともブラック企業化を食い止められるだろう。

 

そしてサラリーマンであると同時に我々は市民だ。投票権を放棄しない。権力の監視を怠らない。人権への配慮を忘れない。そうした一つ一つが、我々の社会を守っていくのかもしれない

 

難しい知識はいらない。それでいて、もっと知識を得たいと思える。そんな本書をぜひ読んでみてほしい。

 

今回紹介した本はこちらです。

 

暴政:20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン

暴政:20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン

  • 作者: ティモシー・スナイダー,Timothy Snyder,池田年穂
  • 出版社/メーカー: 慶應義塾大学出版会
  • 発売日: 2017/07/15
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