読書熊録

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どう見えるかの時代ー読書感想「晩夏の墜落」(ノア・ホーリー)

いつから事実よりも「事実らしく見えるか」が大事になってしまったんだ?ー本作「晩夏の墜落」は、「メディア王が乗ったプライベートジェットの墜落と、唯一の生存者」というスリリングなストーリー展開の中に、この骨太のテーマが芯として通っている。だから迫ってくる。目が離せない。そして圧倒的な読後感がある。フェイクニュースが一大トピックとなる現在の社会にもぐっとリンクする小説を書き上げたのは、「BONES」などを手掛け、ゴールデングローブ賞受賞歴もあるクリエイターのノア・ホーリー氏。上下巻、ハヤカワ文庫らしい良作だった。

 

晩夏の墜落 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

晩夏の墜落 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

 

晩夏の墜落 下 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

晩夏の墜落 下 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

事実よりも事実らしく見えるものを信じてはいないか?

 2015年8月23日、テレビ局代表のデイヴィッド・ベイトマン一家と銀行家ベイ・キプリング夫妻を乗せたプライベートジェットが海に墜落した。2年前の昨日だ。

生存が絶望的な事故。しかし、ベイトマンの妻にたまたま声を掛けられて同乗していた売れない画家スコット・バローズは奇跡的に生き延び、同じく生存したベイトマンの息子JJを救出、暗黒の海から奇跡の生還を果たす。(ここまで背表紙のあらすじ解説に書いてありますので、ネタバレなしです)。

 

「晩夏の墜落」は、ここから徹底的なリアリティで物語を展開する

つまり、捜査機関やマスメディアの「なぜジェット機は墜落したのか?何があったのか」の究明と、それが必ずしも一筋縄ではいかず、スコットとJJを絡め取っていく様を描き出す。

 

墜落原因はすぐには分からない。当然だ。でも、誰もが「すぐに知りたがる」。そこにフェイクニュースや、「事実らしく見えるもの」の入り込む余地が生まれる。

なぜ分からないことを分からないままにできないのか、焦るのか。通読した後、書き出し後すぐに出てくるこの言葉が沁みてくる。

だれにでも歩んできた道がある。さまざまな選択の結果がある。ふたりの人間がたまたま同じときに同じ場所に居合わせることになる経緯に説明はつかない。見知らぬ十二人と同じエレベーターに乗り合わせる。一台のバスに同乗する。トイレの順番待ちに並ぶ。そうしたことが日々起こっている。自分の行く末や出会う人を予測したところでなんの意味もない。(p7ー8)

本当にその通りだ。そして理由があるかないか分からない全てに理由を求めるのが我々だ。その「答え合わせ」の欲求のスピードは、どんどん加速している気がする。

 

本書はサスペンスにもかかわらず、これぐらいのクールな筆致とテンポで進む。それが心地いいし、緊張感が保たれている。

 

墜落原因という本来ならストーリー展開の肝となる部分だけでなく、メディア王の、銀行家の、添乗員の、パイロットの、それを伝えるテレビアンカーの、そしてスコットの「歩んできた道」を濃厚に描くところが面白い。

「なぜ」に至る背景、普段のニュースならそこまで目を届かせはしないだろう道のりを追いかけることで、まるで当事者として物語に入っていける。

 

スコットは翻弄される。なぜ大富豪2家族が乗ったプライベートジェットに売れない画家が紛れているのか。彼がテロリストでないとなぜ断言できるのか。

捜査機関も、テレビも、そう考えればストンと落ちそうなストーリーを、「事実らしく見えるもの」を信じ込んでいく。

それは、読者が知らされるスコットの「歩んできた道」とかけ離れていく。読者にも、疑心がわかないと言えば嘘になる。

 

それでもスコットは逃げない。こうぼやきながらも。

「いつから、事実よりもそれがどう見えるかが大事になったんだろうね?」(下巻p199)

「どう見えるか」の時代に、人々に、権力に、果敢に挑んでいく。

これはすごく現代的な英雄譚でもある。そして読者への問い掛けだ。

私たちはスコットのように戦えるか?スコットを押しつぶす側の人間になってはいないか?

 

今回紹介した本はこちらです。

 

晩夏の墜落 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

晩夏の墜落 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

 

晩夏の墜落 下 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

晩夏の墜落 下 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

 アメリカ社会の空気感を感じたい方は、ノンフィクション「世界と僕のあいだに」もおすすめ。黒人詩人の視点が冴えます。

www.dokushok.com

 

「事実らしく見えること」と「自分」との乖離は、羽田圭介さんの小説「成功者K」にも通じるテーマですね。

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