読書熊録

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会話だけの小説―読書感想「燃焼のための習作」(堀江敏幸)

 不思議な読書体験を与えてくれる小説が堀江敏幸さんの「燃焼のための習作」だ。本作には、展開も、伏線も、激動もない。約250ページ、あるのは淡々とした会話だけだ。それのなんと味わい深いこと。本作は話すことそれ自体の楽しみ、深みを教えてくれる。講談社文庫。

 

燃焼のための習作 (講談社文庫)

燃焼のための習作 (講談社文庫)

 

 

びっくりするくらい会話だけ

 探偵であり便利屋でありの不思議な中年男、枕木の事務所が舞台。

 というか、この事務所から物語は動かない。それがすごい。

 妻子と別れ、だけど何を依頼したいのかよく分からない客の男が、もやもやとした胸中をぽつぽつと語る。枕木が答える。助手の郷子さんが加わる。

 延々とその「会話」が続く。びっくりするくらいそれだけの小説だ。外は雷雨。客人も帰るに帰れず、ただただ語らいをする。

 なぜそれだけで話が成り立つかと言えば、会話が次々に脱線するからだ。思い出や、関係ない枝葉の話に。たとえば枕木が客人にビスケットを出した後。

(中略)冷やして固くした板チョコを音を立てて囓るのは、あめ玉をからころ嘗めるのとおなじでおじさんくさいからやめてほしいと郷子さんに言われていて、そのためらいがビスケットを選択させたのである。

         *

 かつて枕木は、動かない船に乗っていた若い友人と「有限性の絶望」なるものについて議論したことがある。難解なようで難解でない、難解ではないようでやはり難解な哲学の話を、そういうことに関心のある枕木は、あれかこれではなく、あれもこれもという煮え切らない事例をあげて繰り返していた。(中略)(p30)

 だから事務所から一歩も展開しないのに、会話の飛躍に合わせて物語が伸びる

 過去の依頼人の「ビスケット事件」。不思議なタイトルの芸術作品。客人と偶然どちらも行ったことがあるステーキ屋。おなかが緩いこと。

 枕木も「何の話でしたっけ」とつぶやくくらい。これが本作の妙だ。

 

会話そのものがこんなに豊か

 本作に改行はほとんどない。カギ括弧(「」)の台詞も少ない。会話がほぼ地の文。

 引用したとおり「*」印で区切られるまで、ページのほとんどが文章(というか会話)だ。潜水のようにただただ、独白や掛け合いや、思い出話が披露される。

 こんな作品に出会って初めて、普段読む小説がどれほど展開にあふれているか思い知らされる。

 張り巡らされた伏線。主人公のピンチ。知られざる過去。そういうものがあるからこそ、物語が成立する。と、無意識に思っていた自分に気付く。

 でも「燃焼のための習作」は、小説って自由なんだと、ゆったりと示す。

 それは会話そのものが持つ物語性、芳醇さだ。

 思い出話をめぐって、枕木はこんなことを言う。

(中略)あるいは元妻とのやりとり、そして郷子さんの口から溢れ出る幼少時の物語のひとつひとつにときどき茶々を入れながら、枕木は心のなかでレ点を打つ。それらが消えてしまうか保存されるかはどうでもいいことだ。記憶は時に自立する。こちらがどんなに環境を整え、どんなに刺激を与えても水面に出てこない時間の層があり、なにもしてないのに自分のほうから湧きあがってくる古水の層がある。(中略)自分ひとりで掘り出そうと思ってもできない相談なのだ。枕木にとって、他社の話に耳を傾けることは、自分の記憶の声を聴き取ることに等しい。(中略)(p176)

 会話とは相手との対話であり、自らの対話でもある

 それ自体が冒険でもある。だから本作も、事務所から心は次々に旅をしていく。

 展開や演出がなくても、物語がある。人はその内面に物語を宿している

 そんなことを、独特な読書体験の末に思った。

 

 今回紹介した本はこちらです。 

燃焼のための習作 (講談社文庫)

燃焼のための習作 (講談社文庫)

 

 

語りの芳醇さ、声の温かさは、深夜ラジオをテーマにした「明るい夜に出掛けて」(佐藤多佳子さん)でも感じられます。

www.dokushok.com

 

小さなもの、日常をすくいとっていく繊細さは彩瀬まるさんの「骨を彩る」にも通じる気がしました。

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