読書熊録

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孤独の先の孤独ー読書感想「声をかける」(高石宏輔)

 いったいこの胸の孤独は、いつ埋まるんだろう。本書「声をかける」を読み終えて、そんな切なさがこみ上げた。ある男性が、東京でひたすらナンパをしていくという話。著者は高石宏輔さんという方で、帯裏の紹介には、1980年生まれで慶応大学中退、いくつかの著作があるという以外、素性はあんまり見えない。

 高石さん本人の体験ノンフィクションなのだろう。でも私小説だと言われたらそれも納得できるし、全くの創作でも驚かない。不思議な感覚だ。だけど確かに言えるのは、せつない。そしてこう思える。孤独を抱えて、生きていこう。晶文社。

声をかける

声をかける

 

 

村上春樹作品の主人公のように

 25歳の「僕」は路上に立ち、すぎゆく女性をナンパする。渋谷で、新宿で。あるいは六本木のクラブで、バーで。これはネタバレでもなんでもないから言ってしまう。そしていとも簡単そうに、その女性たちと交わる。

 まるで村上春樹の小説の主人公のように、次々と女性と一夜を共にする。だから自分は「本当にノンフィクションなのか?」と疑ってしまう。もちろん本書のどこにもノンフィクションとは書いてないんだけど、筆致はとってもリアルで、読むからには実話としか思えない。

 

 生々しいナンパからのワンナイトの過程、ことの最中の記述に関心がないと言えば嘘になるけれど、それ以上に気になるのは、なぜ「僕」はナンパしているんだろう、ということだ。冒頭の様子から、小慣れてはいない。むしろなんだか、苦しそうだ。初めてナンパした女性とベッドを共にした日、「僕」はこう述懐する。

 声をかけた女性、それも麻衣さんのように綺麗な女性とセックスができたことに興奮をしていたが、それと同時に、なにか大きな虚しさ、満たされなさが自分の中にあるのが感じられた。(p27)

 気持ちいい思いをしてその言い草はなんだよ!?と思ってしまうのは、ひがみだろうか。でも、そんなものなんだろうか。ナンパは風俗とは違う。自分の魅力で異性が体を合わせたいと思ってくれたことは、寂しさを満たす「何か」にはならないなんて。

 

「わかってほしい」

 「僕」がなぜナンパをするのか、という問いは裏返すと、女性はなぜナンパに応じるのか、ということでもある。そう考えた時に、ここでも「寂しさ」が横たわっていることが、読み進めるうちに見えてくる。

 ある女性と話す時のやりとり。「僕」は女性から、「わかってほしい」という切ないまでの願望を感じ取る。

 彼女の話し声は金属のように空間に響いていた。表情は硬く、目は見開かれていた。その大きく見開かれた目。それをさらに大きく見せるためにつけられた睫毛や、ディファインのコンタクトレンズ。

 そういう彼女の目を見ていると、息苦しくなる。「大切にして欲しい。わかって欲しい。私を特別な女性だと思って欲しい」とむき出しに伝えられているような気がするからだ。(p176)

 「僕」は「大きな虚しさ」を埋めようとして、ナンパする。女性もまた「自分をわかってほしい」という「大きな虚しさ」を抱えて、応じる。それでもどうやら、お互いに空洞は埋まらない。なのになぜ、ナンパを続けるんだろう。どうして、ナンパに応じ続けるんだろう。この問いはどうやら、堂々巡りだ。本書の展開もどこにいくのか、読めないまま「僕」と共に漂流していく。

 

孤独の先には孤独があった

 このナンパ漂流記の終着点は、ぜひ読んでみて見届けて欲しい。最終盤は特に、予想しない展開がある。ここでは、自分が本書を読み終えて感じたことを記したい。それは、「孤独を抱えて、それでも一人でも生きていく人間になりたい」ということだ。

 

 さきほど紹介した箇所より、少し戻ったところに、最も印象的なシーンがある。例によって声をかけた女性と、「僕」は「僕」の部屋に行く。声をかけた中でも、特に品格のある美しい女性だ。服を着たまま、唇を合わせる。

 

 しかし女性は、唇を離して言う。

 

 

「ねえ、わかった?誰もあなたのお母さんにはなれないのよ。」

 (中略)

 「あなたのキスは……僕のことをわかって欲しいというキスね。私を包み込もうというキスではないわ。」

 

 

 これが答えではない。その女性がまったく正しいことを言っているとも思わない。だって声をかけられた「僕」と一緒に部屋まで来たのだし。でも確かに、と思った。思わされた。「僕のことをわかって欲しい」というキスは、「目の前の人を包み込もう」というキスじゃない。分かってほしい、と思うだけでは、相手を分かろうという気はない。

 

 この言葉に触れた時、脱力した。ナンパをしている「僕」を羨ましいと思う気持ちから、少し「かわいそうだな」と思ってしまった。それは「自分」に置き換えてもいい。自分を埋めてくれる人を求めたところで、憧れたところで、そんな人はいない。

 

 孤独を埋めようとした先にあるのは、孤独だ。

 

 だから本書を読んで、思った。寂しさの埋め合わせを他人に求めるのはやめよう。この胸の孤独は、自分で埋めていこう。きっと埋まらないだろう。それでも、その孤独を抱えたまま生きていこう。そうして初めて、「包み込みたい」と思える異性に出会えるのではないか。そう思った。

 

 今回紹介した本はこちらです。

声をかける

声をかける

 

 

 また違った形の孤独とつながりを考えるには、上間陽子さんのノンフィクション「裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち」を手にとっていただきたいです。彼女たちの生の言葉がふんだんに綴られています。

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 高石さんの語りが好きな方は、きっとオードリー若林正恭さんのエッセイもはまるんじゃないかと思う。独特の切なさがあります。最新作「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」は、特にグッと来る一冊です。

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