読書熊録

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宝物になる日ー読書感想「通りすがりのあなた」(はあちゅう)

 友達ではないけど恋人ではない。他人じゃないけど親密でもない。はあちゅうさんの初小説集「通りすがりのあなた」は、そんな「名前のない関係」の豊かさを、ふわっと心に注いでくれる。でも「固定的な関係」を否定する本じゃない。自分にすら関係性をうまく説明できない「あの人」との距離を、優しく肯定してくれる。通りすがりのあなたを、宝物のように思い出す日が来る。その日が楽しみになる物語だった。講談社。

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通りすがりのあなた

通りすがりのあなた

 

 

もっと別の何か

 7つの掌編のうち、たとえば「友達なんかじゃない」は、十七歳の少女が夏休みに留学したパナマで出会った女の子ジェニファーや、一緒に留学した冴えない男子・佐久間君との思い出を綴っている。

 はあちゅうさんらしいのは、これがジェニファーと「友達になる話」でもないし、佐久間君と「恋人になる話」でもないことだ。ジェニファーは、「私」にさかんに近づいてくるけど、日本にいたならきっと付き合わないような、言葉を選ばなければスクールカースト低めの子。そして佐久間君は男の自分が見ても悲しくなるほど童貞っぽくて、「もうちょっと狙いに行けや」と思っちゃうくらいだから。

 

 あえて説明すればジェニファーは「留学先であった外国人のクラスメート」とかになっちゃうけれど、それもしっくりこない。「私」はジェニファーがうとましくあるし、本当はもっとクラスの中心にいるような子と付き合うつもりでいるけど、ジェニファーには邪険にできない何かがある。言葉に当てはめようとすればするほど、二人の関係を説明するのは難しいな、と思えてくる。

 

 結局、「私」が帰国まで一緒に過ごす時間が長かったのはジェニファーだった。一体何が起きたかは実際に読んでいただくとして、別れの瞬間の「私」の胸の内が、とっても印象深い。

 「ユア、マイフレンド、ユア、マイフレンド」

 ジェニファーが私の手をぎゅうぎゅうと握りながら何度も何度も言い、私はそのたびに心の中で必死に否定しました。そんな簡単に定義づけないでよ。あなたと私は、友達なんかじゃなくて、もっと別の何か。(p164)

 あなたと私は、もっと別の何か。これは一見して否定だけど、とっても優しい言葉だと思う。決まり切った関係に当てはめないでいいことをはっきり教えてくれる。そして「私」はこんな風にも語る。

 私は、今この瞬間を生きるのに忙しい一般的な現代人ですが、他の人たちと同様に、目の前の現実にくじけることが時々あります。そしてそういう時、なぜか私が思い出すのは、ジェニファーや佐久間君のことなのです。あの人たちも、きっとどこかで頑張って生きているだろうな、と思うと、その事実に力をもらえるのです。連絡なんて取らなくたって、私にはわかります。あの二人が誠実に今日も生きていることが。(p172)

 名前のない関係は不安で、儚いように思えてしまうこともある。でも、いつか時が巡って、その関係が宝物だったと気付ける日が来る。そんな希望に満ちた言葉だ。

輝く日を待ってる

 この「いつか宝物だと気付ける日が来る」というのは、7つの短編に通底する隠れたテーマなのかもしれない。それを感じられて、一番大好きになったのが「妖精がいた夜」だ。

 

 将来を真剣に考えていた彼氏に振られて、また彼氏とは別の大切な人も失ったウェブデザイナーの「私」。憔悴しきったときに、友人から「家に妖精を派遣してくれる」という不思議なサービスの利用を持ち掛けられ、ある晩、約束通り「妖精」がやってくる。本作では名前のない関係の人は複数出てくるけれど、そのうち一人がこの「妖精」になる。

 妖精と過ごす時間の中で、「私」がインドを旅行したときのことを思い出し、ぽつぽつと語り出すシーンが良い。そのとき、「私」はこんなことを感じる。

 あの時見たバラナシ川の朝焼けの色を、旅の最中はずっと覚えておこうと思って、何度も何度も目に焼き付けたのに、旅から帰った途端、忘れてしまったな。ホテル・アラビアで働いていた、まつ毛の長い青年の名前は何だっけ。(中略)全部確かに体験したことなのに、なんで思い出せることと思い出せないことがあるんだろう。あるいは、私の奥にはしかりと宿っていて、何かのきっかけで引きずり出されるのを待っているのかもしれない。(中略)(p54)

 何かのきっかけに思い出される記憶。絶対に忘れないと誓ったものも忘れてしまい、でもふとしたきっかけでよみがえる。宝物は記憶の奥底に埋もれてしまうから宝物なのかもしれない。そして、たしかにそこにあるから、宝物なのかもしれない。それは輝く日を、静かに待っている。

否定しない

 はあちゅうさんの作品の中には、チクリとした風刺はあるものの、何かに対する強烈な否定はない。そこがとても優しくて、好きだ。

 他に収められている「世界が終わる前に」「あなたの国のわたし」「六本木のネバーランド」「サンディエゴの38度線」「世界一周鬼ごっこ」も、あくまで名前のつけがたい「誰か」との日々を淡々と綴る。主人公たちは、名前のない関係はそのままでいいんであって、かといって、友達や恋人もまあいるよね、というゆるっとしたスタンス。そのこころみたいなものは、最後の「エンドロールのようなもの」にはあちゅうさんの言葉で書かれているのだが、それもまた楽しみにして欲しい。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

通りすがりのあなた

通りすがりのあなた

 

 「六本木のネバーランド」は無料立ち読みもできるそうです。

『通りすがりのあなた』刊行記念 無料試し読み!「六本木のネバーランド」

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 家族の形も、自分たち次第。「離婚」をテーマにある種の名前のない家族感を示しているのが樋口卓治さんの「『ファミリーラブストーリー』」です。きっと「通りすがりのあなた」の読後に近い、優しい気持ちにしてくれます。

www.dokushok.com

 

 ふとした出会いが、言葉が人生を救ってくれることがあることは秦建日子さんの「ザーッと降って、からりと晴れて」からも教わりました。はあちゅうさん同様、旅を重要なエッセンスにしています。こちらは、ニューカレドニア。 

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