読書熊録

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命を懸けてから、守ってにー読書感想「過労自殺」(川人博)

 「命を懸けて」仕事をするのではなく、「命を守って」働けるように。過労死、過労自殺の問題に長年取り組んでこられた弁護士川人博さんの「過労自殺」には、そんな切実な思いが込められている。本書の第二版が出版されたのは、2014年7月。その後も、電通の高橋まつりさん、NHKの佐戸未和さんをはじめ、過労が原因で亡くなったことが相次いで発覚している。命を守って働くために、何が必要か。本書は決して軽い読み心地ではないが、大切なテーマを誠実に伝えてくれている。岩波新書。

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過労自殺 第二版 (岩波新書)

過労自殺 第二版 (岩波新書)

 

 

遺書には「怒り」よりも「お詫び」

 川人さんは上記の電通、NHKの問題でも遺族代理人を務めており、テレビや新聞報道でも度々その名を目にしていた。本書ではそうした豊富な相談、訴訟対応経験から、具体的な過労自殺のケースを一つ一つ説明する。時に目を伏せたくなるほど、亡くなった方の無念さと悲しみ、悔しさが如実に伝わってくる。

 

 ショックだったことが、亡くなった方が残した遺書や手記に、あまりに「お詫び」の言葉多いことだ。一生懸命働いて、絶望したはずなのに。時にはパワーハラスメントやセクシャルハラスメントの被害者でもあったのに。例えば、ある技術者の遺書。

 皆様にお迷惑をかけます。仕事についていけないことをお許し下さい。今まで仕事をやってきて、自分の決断力などの力のなさを感じ、このまま仕事をつづけていても、皆に迷惑をかけるだけなので、死にたいと思います。ご迷惑をおかけしました。(p131)

 迷惑をかけるだけなので、死にたい。お詫びとしての死を選ぶということが、過労がどれほど人を追い込むのかを物語る。

 

 この「お詫び」がさらに重く胸にのしかかるのは、本書のケースの多くが過労と「ハラスメント」がリンクしていることだ。総合すると、パワーハラスメントやセクシャルハラスメント、または顧客の高圧的態度などが積み重なっても、「怒り」を通り越して「お詫び」が出てくるほどのストレス状況があるのだ。

 たとえば、教員の夢を叶えた女性は、赴任直後から膨大な仕事量を振られると同時に、厳しい態度を繰り返す保護者にも悩んでいた。

 五月二十二日の連絡帳があまにりも厳し内容だったので、竹下さんは、新任指導担当教員にその内容を伝え、同教員は校長に報告した。しかるに、校長から竹下さんに保護者に電話するように指示があり、竹下さんは「すみません」と保護者に謝った。同日夜、竹下さんは家族に「連絡帳にびっしり書いてくる保護者がいる。何を返せばいいのかわからない」と、悩みを打ち明けていた。家族が竹下さんから聞いたところによれば、彼女がコメントを返したところ、保護者Xがそれを消しゴムで消して「もういいです」と書いてきたこともあったという。(p88)

 新人教員の懸命なコメントをわざわざ消しゴムで消して厳しい言葉をぶつける保護者。それに対してカバーするでもなく、直接電話をかけさせた上司。誰も助けてくれない。被害者の残した「お詫び」には、そんな絶望がにじんでいるように思えた。

社会的埋葬

 こうした被害者の無念を一番身近で感じてきた家族が声を上げてくれて、我々は過労自殺の実態を知り、社会を少しでも改善しようと動けている。ここで遺族の思いを理解するために、本書で登場する「社会的な埋葬」という言葉が大切だと思った。

 

 ご遺体を葬っただけでは、本当の弔いにはならない。先にも触れたように、過労死の当事者は「お詫び」を絞り出されるのが現実。裏を返せば、会社は「お詫びを言われる側」に置かれて、多くの場合、その死を受けた労働環境の改善はなされない。

 だからこそ遺族は労災申請や裁判、社会的な訴えで、その死が過労を原因とすること、そんなことをもう起こしてはいけないことを訴えてくれている。川人さんはそんなご遺族を間近で見て、こんな風に語っている。

 この過労死裁判は、ある意味では故人を社会的に埋葬する手続といえる。会社の業務命令によって過重な業務に従事した結果、命を落としたのに、死亡原因を個人の責任に転嫁されたのでは、死者の名誉は傷つけられたままである。天寿を全うできずに死去した故人に対して、残された者の責任として、その死亡原因を明確に調査し、正しい評価を行うことが、生物的埋葬・宗教的埋葬とは別に、社会的行為として必要である。(p192)

 

 裁判は、故人を社会的に埋葬すること。あるいは、夫を無くしたある女性の言葉が胸を打つ。

(中略)夫の死を業務上認定していただくことが、夫を会社から家族のもとへ取り戻すことだと信じ、それが遺された私の使命だと考えます。いまのままでは、夫はいまだに会社に捕らわれてしまっているようでなりません。一日も早く夫を家族のもとへ返してください。(p195)

 過労で亡くなられた方は、仕事を一生懸命にして命を失った。なのに、会社は、社会は、そのことを受け止めてくれない。それは遺族にとって、亡くなった家族が懸命に向かってきた仕事と人生を、とり残すようなものなのかもしれない。だから我々は、上げてくれたその声に、ひたすらに耳を傾けるべきなのだと思う。

義理よりも命ははるかに大切だ

 本書では具体的なケーススタディののち、過労をめぐる各種データや、もしも家族が過労死・過労自殺した際の具体的な対応についても触れていく。さらに、「どうすれば過労自殺をなくせるか」にも、しっかりと向き合っていく。

 

 川人さんは三つのポイントを掲げる。一つ、失敗を許容できる社会にすること。二つ、義理を欠いてもいい社会にすること。三つ、失業してもセーフティネットがある社会にすること、である。

 この中で、「義理を欠いてもいい」というメッセージがとても大切に思えた。なぜなら「義理」というものが、一生懸命働く方こそ「大切」にするものであり、一方で企業や上司にとっては「口実」になるものであるからだ。

 

 苦しくても働く、休まず働く、誰かの分まで働く。それはどれも、「業務」よりも「義理」を重んじたやり方じゃないか。業務で言えば、休むべき日は休めるのである。真面目で、誠実で、職場の仲間を大切にしている人ほど、「命」を削ってでも「義理」を守っている。

 川人さんは、これは「過労の問題を個人の気持ちや性質に還元する意味ではない」とちゃんと指摘する。それは逆に、社会の「制度」以前の「価値観」のレベルで、過労を推し進める状態になっていることへの警鐘だ。

 一つは、人間のいのちと健康は、義理を守ることよりもはるかに尊い価値をもっていることを、私は強調しているのである。実は、この価値観のレベルで、日本には社会的な共通意識が必ずしも形成されていない。風邪をおしてまでもみんなのために仕事をしたことが高く評価される風潮が、企業内だけでなく、社会全体に根強く残っている。言葉としては「いのちと健康ほど尊いものはない」と誰もが言うが、実際の場面では、健康を第一に行動すると「自分勝手」との批判を受けてしまうことが多い。「義理を欠くこと」は、こうした社会意識を変えていく重要な実践である。(p227)

 義理を欠くことは、命よりも仕事を優先する社会意識を変える実践である。これは、休むこと、早く変えること、職場のハラスメントをなくして風通しをよくすること、全てが実践だとも言える。我々の行動一つが、社会を変えていく実践である。

 

 川人さんは、きっと多くの悲しみを目にしてきた。遺族の声を一番近くで聞いてきた。そんな川人さんのこんな一言を、深く心に刻みたいと思う。

「いのちを懸けて」でなく、「いのちを大切にして」働くことが、いま求められている。(p246)

 仕事とは、命を大切にしてするものである。そう言える社会になるように。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

過労自殺 第二版 (岩波新書)

過労自殺 第二版 (岩波新書)

 

 

 

 過労の当事者として「逃げてもいい、というか逃げよう!」と伝えてくれるのが、汐街コナさんの「『死ぬくらいなら会社辞めれば』ができない理由」です。いままさに苦しみを抱えてる人に届けたい一冊。

www.dokushok.com

 

  仕事のあり方を見直すには、どんな視点を持てばいいのか?アスリートのキャリア形成を題材に、前向きなキャリア変更の仕方を指南してくれる本として「仕事人生のリセットボタン」を挙げたいと思います。元オリンピアン為末大さんと、働き方を研究する教育者中原淳さんの共著。

www.dokushok.com