読書熊録

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大泉洋さんが動くー読書感想「騙し絵の牙」(塩田武士)

 活字の上を、大泉洋さんが動いてる!!グリコ・森永事件を題材にした「罪の声」でブレークした塩田武士さんの最新作「騙し絵の牙」は、役者・大泉洋さんを「あてがき」(役をあらかじめ決めて作品を書くこと)した小説だ。塩田さんはきっと大泉さんが大好きだ。だって主人公の大手出版社の雑誌編集長・速水輝也は大泉さんにしか見えない。不敵な笑み、ユーモア、ちょっと(だいぶか?)エッチでダメ男。物語を読んで「あの人にぴったりの主人公だな」と思うヤツの逆パターンをめちゃめちゃ味わえる、痛快なストーリーだった。KADOKAWA。

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騙し絵の牙

騙し絵の牙

 

  

笑っちゃう、笑せちゃう

 大泉さん主演の「探偵はBARにいる」は続編共々なんどもリピートするくらい好き。もうずいぶん昔になっちゃうけど「うたばん」という歌番組に何度か出演し、中居正広さんと石橋貴明さんにさんざんいじられた時の返しとか、バラエティでの大泉さんもファンだ。「水曜どうでしょう」はちょっと観たくらいだけど。

 そんな大泉さんが、本作では本当に主人公の顔と一致する。今回の役どころは雑誌編集長。大泉さんこと速水輝也は、「半歩先の粋な情報を届ける大人の月刊誌」である「トリニティ」の編集長だ。文芸あり、エンタメあり、芸能ありと、現実では「ダ・ヴィンチ」や「ブルータス」を掛け合わせた感じか。

 

 大泉さんといえば、笑い。まず、「ピンチな時ほど笑っちゃう」、「泣いたまま笑ったり、怒ったまま笑う」のが、自分としては大泉さんのカラーなんだけれど、まさにこんなシーンがある。企業の石鹸をPRするため、小説家とタイアップすることになった作品が、全然ダメだった時の速水だ。

 用紙の上にある消しカスを払った。

 重量感のあるシャープペンを脇に置くと、速水は頭を抱えるようにして椅子の背もたれに体を預けた。

 どうしたものか、と目の前の原稿を睨む。だが、困っている胸の内とは裏腹に、口元に浮かぶ笑みに自ら気付いていた。この原石をいかに磨くか。やはり自分には小説の編集が性に合っていると速水は思った。(p40)

 困っている胸の内とは裏腹に、笑っちゃう大泉さん。いや、速水である。浮かぶなあ、 主人公の顔が。

 そして大泉さんの、「笑わせちゃう」ユーモア。いじられたり、一見バカにされても、飄々とかわしていくユーモアが、速水にもある。大御所と高級クラブに行った際の一幕だ。

 「こんな大きな胸の内じゃ、いくら泣いたって溢れることはないな。そうだろ、速水?」

 「ええ。それにユイちゃんのおっぱいは天然ですね。シリコンにはない柔らかさがある」

 「偉そうに。君、触ったことないだろう」

 「いえ、分かりませんよぉ」

 「けしからん奴だ」

(中略)

 「じゃあ、速水、このおっぱいを一つずつ分けようか」

 「この不肖速水、なぜおっぱいが二つあるのかと長年思い患っておりましたが、今やっと分かった気がします」(p76−77)

 スケベが覗くのもまた、彼らしい。こんな調子でどんどん、速水の輪郭がくっきりしてくるのが本作の醍醐味だもし、大泉さんにイメージのない方でも安心してほしい。表紙に加えて、各章のトップに大泉さん扮する速水のイメージ写真がたっぷり登場する。デスクで悩ましげな表情、真剣な表情で対峙する様子。むしろ本作から、大泉さんの人間性を描いていくのも面白いかもしれない。

 

骨太な「出版業界小説」

 本書のもう一つの顔は、骨太な社会派小説であり、塩田さんも無縁ではない「出版業界」の課題について正面から扱っていることだ。速水が躍動するストーリーがシリアスであることが、その魅力をさらに深めていると言っていい。

 

 ダメな草稿を前にすると笑っちゃうくらい、速水は小説を愛している。薫風社は業界大手であるけれど、世は出版不況。文芸誌「小説薫風」が部数減少から廃刊リストに挙げられ、その次にはトリニティも、と危機が迫る。この意味について、塩田さんは抽象論じゃなく赤裸々な事実を示して書く。

 作家の収入をサラリーマンのそれに例えるなら、雑誌連載の原稿料が月給で、単行本化の際に支払われる印税がボーナスに当たる。『小説薫風』g廃刊になれば"月給"がもらえず、生活苦に陥る作家が続出するだろう。(p67)

 さらに、Amazonを連想させるネット通販サイト「ウィルソン」、エンターテイメント事業に参入する異業種や、出版社に属さないフリーの編集者など、数々の「現実」を物語に組み込んでくる。グリ森事件の「事実」を織り込んだ巧みなストーリー展開で唸らせた「罪の声」のスタイルが、「騙し絵の牙」でも遺憾なく発揮される。 

 

 本好きにとってはなんだか胸が痛い、出版社の「懐事情」をまざまざと突きつけられるけれど、救いはやはり速水だ。上司と部下。付き合いのある小説家と社内。いろんな狭間に立たされて、濁流に押し流されても、「悩みながら笑う」速水がとっても心強い。「頑張れ、速水…!」と小さなエールを送りたくなる。

 

 塩田さんは速水=大泉洋さんに、格好の舞台を用意したと言えるかもしれない。どんどん追い込まれ、それにつれてぐんぐん物語に惹きつけられる。大泉さん主演、ノンストップの読書体験を楽しめるはずだ。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

騙し絵の牙

騙し絵の牙

 

 

 出版業界のリアルな風雲児といえば、「えんとつ町のプペル」を売りまくっている西野亮廣さん。その内幕を描いた「革命のファンファーレ」は、「騙し絵の牙」が浮き彫りにする課題とリンクします。

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 抗えない運命とどう戦うか、今年いちばんの傑作として推したいのが早瀬耕さんの「未必のマクベス」です。こちらも徹夜必至、極上のラブストーリーであり、犯罪小説です。

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