読書熊録

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下を見ろ!おれがいるー「全裸監督 村西とおる伝」(本橋信宏)

 「人生、死んでしまいたいときには下を見ろ!おれがいる」。ノンフィクションライター本橋信宏さん「全裸監督 村西とおる伝」の帯に書かれた言葉は、圧倒的なパワーワードだ。主人公は異才の男・村西とおる。アダルトビデオや裏本(非合法わいせつ雑誌)に長く携わり、わいせつ図画販売目的所持の罪など前科7犯。事業失敗時に抱えた借金は50億円。米国で行なったあるアクションで、司法当局から求刑されたのは懲役370年どん底としか思えない数字をいくつも背負う村西さんは、それでも誰より、生きる情熱に溢れている。

 性的な内容が多いので苦手な人は苦手かもしれないが、惹句通り、「なんで自分ばかりがこんなひどい目にあうの?」と絶望する人に手にとってほしい。村西さんはもっと絶望的で楽観的で情熱的だから。「アメトーーク!本屋で読書芸人」(2017年11月16日放送)で東野幸治さんが推薦。太田出版。

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全裸監督 村西とおる伝

全裸監督 村西とおる伝

 

 

自分の人生を生ききる

 全編700ページ、19章。本橋さんは、各章に村西さんを象徴する数字をでかでかと掲げて、読者を誘う。どの数字もパンチがありすぎて、それが村西さんの激動というか、無茶苦茶ぶりを物語る。

 

 たとえば「600万円」。村西さんが毎月、警視庁の刑事に渡していた工作資金。「1万4000円」。警察に捕まり、保釈された際に村西さんのポケットに入っていた全財産。「50億円」。村西さんが個人で背負った借金。「4枚」。村西さんが息子のお受験で使った画用紙の枚数。などなど。

 

 冒頭から、村西さんが撮影したアダルトビデオの生々しい描写が入り、面食らう。そもそも、見方によっては村西さんは「犯罪者」だし「わいせつな製作で飯を食ってる人」だし「借金まみれ」だから、敬遠する人がいてもおかしくない。ただ、本書はそういう偏見に抗う物語じゃなくて、村西とおるという人が、村西とおるという人生をありったけのパワーで生きる物語だ

 

 村西さんには、そういう「自分の人生を生ききる」という主体性が強固に備わっているように感じる。たとえば1984年(昭和57年)、北海道を拠点にビニ本(ビニールに包まれた非合法わいせつ雑誌)を販売したとしてわいせつ図画販売目的所持容疑で初めて逮捕された際の回想。

 「(中略)ただね、捕まっても人を殺したり、人の物をかっぱらったりしたわけじゃないからね、罪の意識がないから困っちゃうんだよね。国が違えばなんの犯罪にもならないことだから、おれのしたことって。絶対悪じゃないからね。おれがやった刑法百七十五条違反っていうのは、先進八カ国においてはどこでも許されてるわけだからね。窃盗や殺人とはまったく違うわけよ。罪の意識を持てないところに苦しみがある」(p182)

 居直りといえば居直りかもしれないけれど、「殺人や窃盗は悪だけど、裏本販売は絶対悪じゃないから、それで稼ぐ」という判断がここにはある。それを居丈高じゃなくて、「罪の意識がないから困っちゃうんだよね」という言葉のように茶目っ気を出して語るところに、村西さんの不思議な愛嬌がある。

 

 あるいは、事業の拡大に失敗し、50億円の借金を背負った後、村西さんはこんな風に語っている。

「(中略)矢沢永吉が三十五億の借金を返し終わったというのに、なんで村西とおるが五十億の借金を返せないのか不思議です、と本気で思ってくれてる人たちだっているんだから。おれもそう思うよ。物を発信する立場の人間は、勇気や希望を発信することによって、おまんまいただいてるんだから。あいつがいるからおれもがんばれる。おれだってもう一回頂点極めたい、そういう自分自身の意地がある。サラリーマンのお父さんたちも一回左遷されちゃったけど、まだまだだなと、おれ見てがんばれる。そういう証明を見せないとおれなんか抹殺されちゃいますよ。身悶えしながらも、証明していくんです。」(p594−595)

 「矢沢永吉が三十五億円の借金を返したのに村西とおるが五十億円を返せないのが不思議だと、おれもそう思う」。率直にすごい、こんな風に自分を信じられるのが。村西さんを絶望させられるのは、村西さんだけなんだろう。借金も有罪判決も、あらゆる運命は村西とおるを屈服させることはできない。

 ふと、ホロコーストを生き延びたフランクルのあの有名な言葉を思い出す。「人は人生の意味は何であるかを問うべきではない。むしろ自分が人生に問われていると理解すべきである」。村西さんは、村西とおるという人生が問いかけるものに、無心で応えている。

最強の話術を持つ男

 全ての絶望を殴り倒して進む男、村西とおるの武器はたった一つと言っていい。それは「応酬話法」という「最強の話術」である。

 

 「応酬話法」とは、セールスマンが学ぶ基本的な営業トークのこと。本橋さんに言わせれば「目の前にあるどんな物、グラスでもお手ふきでもゴミ箱でも道に転がっている石ころでも、なんでも売ってみせる」村西さんの話術だ。

 

 その話術が本当に最強だと読んでいて実感したのは、借金の取り立てにきた裏社会の男にダム湖の前に連れて行かれ、「もう返せないなら飛び降りてくれないか」と言われた際の、村西さんである。

 「悪いけど、監督、ここから飛び降りてくれないか。五千万いらないから。このままだとおれの気持ちがおさまらないんだ……。あんたが死んだらあきらめがつくから」

 死が現実のものとなりつつある村西とおるは、必死になって言葉を繰り出した。

 「社長! もうね、どんなことがあっても私を生かしたほうがいいですよ。ええ。私は単なるAV監督じゃありませんよ。ええ。物を売らせたら日本一、そういう世界を持ってる男なんです。ご存知のようにね。私はね、とにかくね、何をやらしてもね、日本一だったんですね。借金なんてね、あっという間にね、日本一のスピードでね、返せます!それじゃなきゃこうして堂々とあなた様と付き合ってここまで来てお話なんかしてませんよ。ええ、そういう自信があるからね、一緒に車でも来るし、このダムにも来てるんじゃないですか」(p551)

 結局、間一髪で村西さんは解放された。死を迫る相手に、自分の生きる猶予を買ってもらう。究極の商談を、村西さんは話術一つで成立させた。

 

 裏社会の人間さえも納得させる村西さんの「応酬話法」の真髄は何か。それは「情熱」だと、本人は語る。

 「(中略)一にも二にも三にもまして『情熱』ですよ。その情熱のバックグラウンドになるものは何なのかっていうと、『自分自身の成功体験』ですよ。『私はこの人にこれだけのものを提供したら、こういうふうに喜んでもらえた。だからこれだけのものを提供したら、AさんもBさんもCさんにもまた同じように喜んでいただけるだろう』という成功体験です。その成功体験を確立するまでの歳月というものに汗水垂らしてがんばる。すると情熱は不動のものになる。これを身につければ男でも女でも口説けない人はいなくなるんですよね。そこから自然的に生まれてくるんだ、言葉なんてものは。」(p64)

 これを売ることで、相手を喜ばせるという確信的な情熱。そこから自然発生的に流れ出て来る、最強の言葉たち。村西さんは「最強の情熱」の持ち主でもあるようだ。

その原点は牛乳配達

 本橋さんは、ライターとして村西さんと仕事を共にしたこともあり、人生を伴走してきた人だ。しかし、見聞きしたことをただ伝えるのではなく、村西さんのオーラルストーリーを丹念に聞き取り、その半生を「伝記」レベルまで書き込んだことに、本書の凄みがある。

 

 それは「第1章 4人 太平洋戦争における村西とおるの親族の戦死者数」から早速伝わって来る。村西さんが生まれる以前の家族の歴史や、村西さんの幼少期を振り返る内容。そこで、村西少年の牛乳配達の経験が描かれる。

 ある朝、いつものように牛乳を配り終えようとあのおばさんの家に着くと、残りの牛乳の色がいくらか変わっているのではと感じた。注入するときに異物が混じったのか。

 どうしよう。取りにもどろうとすると学校に遅刻してしまう。一回くらいいいか。それにあのやさしいおばさんのことだ。ためらいを感じながらも、その牛乳を配ってしまった。

 翌日。いつも顔を出してくれてたあのおばさんが出迎えてくれない。

 少年には何が原因かわかっていた。子供ながらに苦悩した。(p32)

 村西さんはこの経験を反面教師に「仕事では手抜きしない、というある種、仕事に天命を捧げたような働きぶり」を徹底するよう誓った。破天荒極まりない村西さんの原点は、こんな素朴な体験にあった。

 

 こうした村西とおるという人間を構成する数々の粒子を、本橋さんは均しく大切にする。それは村西さんを動物園のパンダではなく、複雑極まりない一人の人間として描こうとする真摯な取り組みだ。その意味で、本書はノンフィクションとして、伝記として、あるいは本橋さんがライフワークと語る「庶民史」として、珠玉の一冊になっている。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

全裸監督 村西とおる伝

全裸監督 村西とおる伝

 

 

 「全裸監督」はアダルトビデオの世界を主な舞台にしていますが、それを女性側から見たときにどうなるか。紗倉まなさんの小説「最低。」はフィクションながら、対比できる視点を与えてくれると思います。

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 生き方の型破りさにおいて、アカデミックな世界で肩を並べそうなのはバッタ博士の前野ウルド浩太郎さんかと思います。「バッタを倒しにアフリカへ」は「ポジティブな発信」で苦境を乗り切っていく姿は、こちらも元気をもらえます。

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