読書熊録

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知の波状攻撃ー読書感想「9プリンシプルズ」(伊藤穰一、J・ハウ)

 結論から言えば、この本はめちゃめちゃ難しい。たぶん5%も内容を理解していない。ただ、「理解する価値がある」ことだけはかろうじて分かる。マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ所長の伊藤穰一さんが、ワイアード誌の元エディター、ジェフ・ハウさんと共に、自身の哲学や思考を初めて語ったのが本書「9プリンシプルズ 加速する未来で勝ち残るために」。テクノロジーの話をしていたかと思えば、次の行では細胞の話になったり、いきなり中世にタイムスリップしたり。伊藤さんの知性は縦横無尽で、その語りは波状攻撃であり、圧倒されない読者はいない。知的にフルボッコにされるのを楽しむ本である。山形浩生さん訳。早川書房。

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9プリンシプルズ:加速する未来で勝ち残るために

9プリンシプルズ:加速する未来で勝ち残るために

 

 

バカだと言われるのを恐れない

 タイトル通り、伊藤さんは現在から未来を生きる上で大切な9つの原理(プリンシプルズ)を挙げ、一つ一つについて科学・歴史学・生物学・ビジネス論など伊藤さんの脳内を総動員して論じていく。

 

 これは裏表紙にも書いてあるので、先に9原理を羅列すると「権威より創発」「プッシュよりプル」「地図よりコンパス」「安全よりリスク」「従うより不服従」「理論より実践」「能力より多様性」「強さより回復力」「モノよりシステム」

 「なんとなく、どれも理解できそうだぞ」と直感した人も安心してほしい。本書を開けば、それぞれの原理を説明するトピックがこれほどまでに大量にあるのかと、開いた口が塞がらない。

 

 たとえば、24ページと25ページを見開いて、伊藤さんが「技術と通信の革命」について語るときに出てきたワードを端から挙げてみよう。「チャールズ・ダーウィン」「アシニーアムクラブ」「氷床コア」「ハーバー法」「マーク・グッドマン」「合成肥料」「ホロコースト」「オキュラスVR」。たぶんダーウィンから最新のVR機器であるオキュラスまで200年ぐらいの開きがある。でも、伊藤さんの脳内では全ての言葉がリンクしている。

 

 陳腐なのを承知で言えば、本書によって得る一番の学びは「バカと言われるのを恐れない」ことだ。伊藤さんの話を丸ごとわからなくてもいい。むしろ、分からない中でも読んでいくことが、自分の脳内に新しい電気信号を与える。

 これは負け惜しみじゃなくて、伊藤さんも「権威より創発」でこんな風に例示している。

 偉大な科学者の性質として最も過小評価されているものが、バカと思われても平気だということだ。一九九五年秋、トム・ナイトはMITの上級研究科学者で、コンピューティング開発における重要技術をいくつか発明し、株式公開企業を一つ創業している。それでも、ある九月にかれは、大学二年生に囲まれて入門生物学講義を受けていた。ナイトは笑いながらこう語る。「たぶんみんな、この変なジジイはだれだと不思議に思っていたでしょうね。でも私は、ピペットの先と頭のちがいから学ぶ必要があった」(ピペットというのは高度な点眼装置みたいなものだ)。ナイトは来たる世紀の中心的な事実を認識したのだった。生物学は技術だ、ということだ。でもそれを知っていたのはかれを含めほんの一握りの人々だった。(p58)

 これもタイトルにある通り、待ち受けるのは「加速する未来」。伊藤さんの視点の根本にあるのは、今とこれからは複雑性と変化のスピードがどんどん加速する、ということだ。それは言い換えれば、知らないこと、学ぶべきことが次々に生まれてくるということでもある。だから、「バカと思われても平気」というのは、重要な性質なのだ。

出来事にどう反応するか?

 9の原理の根本にあるもう一つの重要な発想は、「反応」だと思う。「強さよりも回復力」の原理の説明の最終盤で、伊藤さんは「グローバル発達遅延」という診断を受けた息子さんの子育てをめぐって、こんな話をしてくれる。

 (中略)毎日息子ーー空前ともいえるほど複雑で混沌としたシステムーーは家庭の領域をはるかに超えて適用できる、価値ある教訓を学ぶ機会を提供してくれるのだ。

 (中略)過去数年で私も知恵をつけ、子育てや、それを言うなら自由意志に関する自分の期待のすべてが、まちがった二律背反を創り出したというのを受け入れた。勝とうとすることで、私は常に負ける。勝ち負けなどなく、出来事がとにかく展開して自分はそれにどう反応するかを選ぶだけというのを受け入れたときにだけ、成功できるのだ。(p261)

   この話は、社会やビジネスに置き換えられる。複雑で混沌として、超高速で変化を続ける状況で「勝ち負け」にこだわる限り、「常に負ける」。成功のためにできることは「出来事の展開にどう反応するか、選ぶこと」だ。

 

 まさに先のナイト氏のように、生物学を学ぶことが必要だったらすぐに学ぶような「反応」こそが活路になる。これは伊藤さんが最初の原理で重要性を指摘する「創発」にも通じる。例えばアリの巣や細胞は、一つ一つの小さな反応が、メタ(総体)として巨大で強力なシステムを生む出す。それは巨大な「権威」が「末端」を動かす「中央集権的システム」とは根本的に違う在り方だ。

 

 変化に対応するためには、変化するしかない、と言えるかもしれない。持っているスキルや知識で「勝てる」状況があったとして、それはもう明日には変質しているかもしれない。この「反応」を頭に置いて本書を読むと、とにかく伊藤さんの知的なスパーリングについていこう、という姿勢でたくさん吸収できると思う。

リスクと安全の大転換

 時代の変化を「安全とリスク」という視点で見たときの大転換も、本書の大前提と言えるかもしれない。

 

 現在はとにかく低コストかつ短い時間で、誰もがテクノロジーを駆使できる。3Dプリンタで個人が殺傷能力のある空気銃を作った、というニュースはもう何年か前の出来事だ。企業にとってみたら、スタートアップの革新的な商品やサービスに市場そのものを「革命」されるリスクは常にある。先日発表されたZOZOTOWNのZOZOSUITなんて、まさにそうだ。

 

 だから「安全」よりも「リスク」が先んじるのが、加速する未来における大前提だ。だからこそ、9原理でも示されるように、「理論より実践」でリスクに対応した方がいいし、「強さよりも回復力」に焦点を当てて、負けに備えることも大切になる。

 

 伊藤さんような人の言葉に触れると、自分があまりにも「遅れている」気がして怖くなる。でも、「遅れている」という「リスク」が可視化されている状態はまだましなんだろう。本当に怖いのは、「時代についていけている」という「安心感」だから。だからこれからも、意味が到底分からない本をどんどん読んでいきたいと思う。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

9プリンシプルズ:加速する未来で勝ち残るために

9プリンシプルズ:加速する未来で勝ち残るために

 

 

 ナイト氏の気付きにもあるように、テクノロジーと生物学がどんどん融合していくんだと思います。その可能性を気付かせてくれて、科学を学び、対話することの大切を伝えてくれる本がジェニファー・ダウドナ博士の「CRISPR 究極の遺伝子編集技術の発見」でした。

www.dokushok.com

 

 伊藤穰一さんの言葉に触れると、浮かんできたのは「現代の魔法使い」落合陽一さん。落合さんの言葉も、「分からない」快感を与えてくれます。「超AI時代の生存戦略」は「9プリンシプルズ」とうまくリンクすると思います。

www.dokushok.com