善×n=善?ー読書感想「ザ・サークル」(デイヴ・エガーズ)
情報をシェアすることは善?ーイエス。他人に秘密を持たないことも善?ーイエス。誰かのアクションに「いいね!」することは?ーイエス。じゃあそれらを、全部、完璧に追求したら、それも善、だよね?
ソーシャルでオープンな善をひたすら(n個)積み上げて、世界を埋め尽くした時、それはまだ「善」足り得るのか?ーーデイヴ・エガーズさんのSF小説「ザ・サークル」が突きつける問いだ。フェイスブックとツイッターとインスタグラムと監視カメラシステム、決済システム、住基システムを全て統合したような「超巨大テクノロジー企業」サークルと、そこに入社した女性新入社員を役者に進むディストピア・ワールド。上下巻のボリュームを感じさせないドライブ感で、哲学的な問いも綺麗に縫い込まれていて、自然に入ってくる。エマ・ワトソンさん主演で映画化も。吉田恭子さん訳。ハヤカワ文庫。
ネットの全てを包んで
サークルとは何かと言えば、「インターネット上の全て」である。
もともとは3人の「ワイズマン」が創業したテクノロジー・ベンチャー。アイデアマンのタイことタイラー・アレクサンダー・ゴスポディノフ。実務面を担ったイーモン・ベイリーと、トム・ステントン。まるで現実のあの企業のようなスタートだ。
タイを中心に開発した「統一オペレーティングシステム・UOS」がサークルを革命的企業にした。要するに、ネット上のあらゆるアカウント情報、支払い情報、ソーシャルネットワークのプロフィールを「一つにまとめて」使えるようにしたのだった。ひとつのID、パスワードでネットのあらゆることが出来るサービスは、のちに「トゥルーユー」というフェイスブックの機能強化版のようなものに進化する。
主人公のサークル新入社員、メイ・ホランドの解説がわかりやすい。
ふたりがトゥルーユーをお金に換え、タイのあらゆる新技術から資金を調達する方法を見出し、フェイスブックにツイッター、グーグル、さらにアラクリティ、ズーバにジェフェにクゥアンを包み込む力に会社を成長させたのだ。(p36)
フェイスブックもツイッターもグーグルも「包み込んで」、不要にしてしまうサービスなんて、一言でいって「バケモノ」だ。この物語世界では、このモンスターが当たり前のように鎮座している。そしてメイは、怪物を「操縦する」側に入っていってしまう。
溢れる善意、すり減る違和感
このSF作品がディストピア的なのは、入社当初に抱いていたメイの「違和感」がだんだんと、自覚なしに消えていくことだ。それはすり減っていくと言ってもいい。
象徴的なのは、メイのデスクにどんどんと増えていくスクリーン。1つ目のスクリーンは部署内のメッセージのやりとり。2つ目は全社的なメッセージのやりとり。3つめはサークルが抱える「ジング」というツイッターのようなサービスのタイムラインなどでのやりとりが表示される。上巻の途中で3つだが、このスクリーンはまだまだ増えていく予感しかない。
3スクリーンの段階でのメイの様子は、こんな感じだ。
第三スクリーンのフィードには、数分もすると、インナーサークルの新しいメッセージが四十ほど、アウターサークルの書き込みやジングが十五ほど現れ、休止時間のたびに、メイはすばやくスクロールして、すぐさま返信を要するものはないか確認してから、メインスクリーンの仕事に戻るようになった。(上巻:p137)
いわば、SNSのチェックが「ほぼ義務」となった世界だ。怖いのは、このあとのメイの感想である。
(中略)会社ではものすごくたくさんのことが進行していて、人間愛と善意に満ちていて、あらゆる方面に先駆的な改革をし、サークラーの近くにいるだけで自分も向上していくと確信できた。それは絶妙な品揃えのオーガニック食品店のようだった。そこで買い物をすればより健康になり、すでに精査されたものばかりだから、身体に悪いものを買ったりすることなどありえない。(上巻:p137−138)
一見して「人間愛と善意に満ちている」のは素晴らしいことだ。しかし、「ほぼ義務」となった出来事にそんな感情を見い出すことは、果たして自然なのだろうか?
「ザ・サークル」の本質はまさに、個別には善としか思えないことの集積の「言い知れぬ恐ろしさ」にある。積み上げたどの時点で、それが善ではなくある種の「絶対性」、「善以外を許容しない全体主義的な側面」に至るかは、誰にもわからない。
なかなか抽象的かもしれないが、たとえばメイと「ある人物」の、「秘密」を巡るやりとりを見てほしい。
「メイ、自分の中で秘密がどんどんわだかまり、その秘密がばれたとたん、ほっとしたことはないかい?」
「あります」
「僕もだよ。それが秘密というものの本質だ。自分の中に隠されている時は癌のようだが、一旦世の中に出てしまうと無害なんだ」
「秘密はひとつもあるべきではないと言うんですね」
「このことについては何年も考えてきたんだが、秘密が害よりも益になるケースを考えついたことがない。秘密は、反社会的で、非道徳的で、破壊的な行為を助長する。わかるかい?」
「わかります。でもーー」(下巻:p52)
「ある人物」の言うことは、たしかにそうかも知れない。秘密は、それ自体で言えば反社会的で、非道徳的で、破壊的な行為を助長するかもしれない。でも、それは「秘密はひとつもあるべきではない」とイコールだろうか?誰しもがメイのように「でも」と立ち止まりたくなる。だがサークルはその「でも」を、「違和感」を塗りつぶしていく。
目の前を見て
サークルは、次々と新商品を発表し、世界をよりオープンに、シェアラブルにしていく。たとえば超小型カメラ「シーチェンジ」。ゴープロが監視カメラ化したようなもので、これを設置した全ての場所の映像がシェアされる。もちろん防犯に役立つが、あらゆる場所が「人に見られている場所」に変わってしまう。
メイもその狂騒に巻き込まれ、どんどんと「支配者」の側に近付いていく。
物語の中には「圧倒的な善意」に警鐘を鳴らす存在が、小さくともいる。メイの元交際相手のマーサーもその一人だ。
マーサーの言葉は、読者の違和感を代弁してくれる。たとえば、SNS上のやりとりにばかり集中して、目の前にマーサーがいてもスマホを絶えずチェックするメイにぶつけた、こんなセリフ。
「僕は君と直接話をしたいだけだ。僕に対して一家言ある他人を持ち出されることなく、ね」
「わたしそんなことしないわよ」
「してるんだよ、メイ。数ヶ月前、僕についてのネットのコメントを読んだだろう? すごく他人行儀に見えた」
「だってあれは、あなたが作品に絶滅危惧種を使っているって言ってたからでしょ?」
「でも僕はそんなことはしないよ」
「わたしにそれがわかるって言うの?」
「僕に聞けばいいだろ! 実際に聞けば。君が、僕の友人で僕と付き合っていた君が、僕に会ったこともない適当な他人から僕についての情報を得るなんて、どれだけ奇妙かわかるかい? しかも君の目の前に座っているのに、僕らなんだか変な霧越しに互いを見てるみたいじゃないか」(上巻:p171)
僕のことは、目の前の僕に聞けばいい。マーサーの言う通りだ。
これは「ある人物」の語った「秘密」について立ち戻ってみても、有効なメッセージかも知れない。たしかに、秘密は「社会的に」見れば「反道徳的」かもしれない。でも秘密は、「目の前の」人との関係で起こるものだ。目の前の人との間に秘密を持った時、それがいいのか悪いのか、「社会」が議論する必要は本当にあるのか。
不倫とニュースの関係がわかりやすいかもしれない。本当は目の前の人との問題なのに、不倫をニュースかのように扱う。そうした姿勢の先に、サークルが圧倒的技術力で実現しようとする似たような世界が表出してしまうかもしれない。
サークルは現実より一足早く、そんな世界を実現するのか。それは本当にユートピアなのか、ディストピアなのか。ぜひ本書を読み進めて、見届けてほしい。
今回紹介した本は、こちらです。
現実のほんの一歩先に、とんでもない世界が待っているかもしれない。そんな恐ろしさをパンクなほどに描いてくれているのが、中村文則さんの小説「R帝国」です。超ヒット作「X教団」の世界観をさらに煮詰めたような、ひたすら闇な名作。
同じSFでも、不思議で、可能性に満ちて、弾けるような世界観の作品もあるのがこのジャンルの魅力です。「巨神計画」はまさに、これからも注目すべき、超壮大なSFシリーズとしてオススメです。