読書熊録

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役に立つしかない未来ー読書感想「侍女の物語」(マーガレット・アトウッド)

 「トランプ政権の未来がここにある」。帯の惹句の強烈なインパクトに痺れて手に取ったディストピア小説が、マーガレット・アトウッドさん「侍女の物語」だった。特定の女性が「子どもを産むための道具」のように扱われる管理社会。効率性や人権の抑圧を煮詰めた「未来」を示す本作は、1986年に出版された古典でもある。人が何かに「役に立つ」以上の価値を認められない世界は、こんなにも暗いのか。考えさせられる小説でした。斎藤英治さん訳。ハヤカワepi文庫。

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侍女の物語 (ハヤカワepi文庫)

侍女の物語 (ハヤカワepi文庫)

 

 

性を罪に

 裏表紙のあらすじでも一部示される通り、舞台は架空のギレアデ共和国。他国と戦争中の同国では軍人が権力の中枢を握っているが、少子化が問題になっていて、特に「優秀な司令官の子どもをいかに増やすか」に血道をあげている。

 そこで、「侍女(じじょ)」という社会的地位が設定される。侍女の役割はただ一つ、愛してもいない司令官と交わり、子どもを産むことーー。生殖機能のなくなった侍女は「廃棄」され、逃亡すれば処刑される。

 

 主人公の侍女アルフレッドの語りで物語は進む。正直に言えば、この語りがあっちこっちに飛びがちで、多少の読みにくさがある。一人の、しかも社会的に抑圧された女性の語りのみが読者の頼りになる以上、ギレアデ共和国の全体像はなかなか見えてこない。そのもどかしさが作品独特の「不穏さ」を醸し出している。

 

 たとえば、序盤ではギレアデ共和国では徹底して性が「管理」されていることがうかがえる。子を産む女性が侍女ならば、子を産む男性は司令官に限られている。司令官には正式な「妻」が別におり、侍女との性交も欲情を挟まない「生殖作業」であるというのが建前だ。

 その結果、「性欲は冒涜」となっていることを、アルフレッドは語る。街中を歩き、階級が下の男性たちの眼差しを感じたシーン。

 わたしは、彼らがわたしたちの姿を見て勃起し、ペンキを塗られた柵にこっそり身体を押しつけられずにいられなくなったらいいのにと思う。おそらく、夜になったら、彼らは規格品のベッドに横になって悶々とすることだろう。今では、彼らにはひとりで処理する以外に欲望のはけ口がなく、しかもそれは冒瀆と考えられているのだから。もはや、雑誌もなければ、映画もなければ、他の代用品もない。ただ彼らから遠ざかってゆく、わたしとわたしの影がいるだけ。(p50)

 「規格品のベッド」「(ポルノ的な)雑誌も映画もそのほかの代用品もない」。断片的な言葉が、強大な管理を垣間見せてくれる。薄ぼんやりと見えてくるのは、個人の性さえも手中におさめた「全体主義国家」である。

 

なんでこんな社会になったのか?

 「侍女の物語」の最大の恐ろしさは、「なぜこんな風に特定の女性が『道具』のように扱われる社会になったのか」がわからないことだ。

 

 アルフレッドの回想で、かつてはこうじゃなかったことが分かるのも胸が痛い。アルフレッドには夫のルークと子どもがいた。なんなら、「アルフレッド」というのも侍女に与えられた「便宜的な呼び名」であり、本名も失っている。

 回想を通じて、過去と未来の結節点がなんとなくは見える。しかし、体系的には語られない。きっとそれは、アルフレッドという個人にも見えないのだ。

 

 しかし、侍女がいる社会に変化したいま、もっとも苦痛を背負わされるのは侍女当人だ。アルフレッドのこんな語りが胸を打つ。

 ルークにそばにいてほしくてたまらない。彼に抱きしめられ、わたしの名前を呼んでもらいたい。わたしは、今と違った意味で大事にされたい。役に立つという以上の存在でありたい。わたしは昔の自分の名前を頭のなかで繰り返し、昔の自分に何ができたかを思いだそうとする。他の人間にとってどんな存在だったかを。(p181)

 今と違った意味で大事にされたい。役に立つという以上の存在でありたい。この願いは、そんなにも大それたものだろうか?悔しさが伝わってくる。

 

 侍女とは、女性を「役に立つ存在としてだけ」扱った究極である。でも愛は、そうじゃない。愛は役に立つとかそんなこととは関係ない。ギレアデ共和国が侍女から奪った最大のものは、愛だった。

 

「トランプ政権の未来」である理由

 「侍女の物語」が「トランプ政権の未来」と指摘されるのは、トランプ大統領が就任直後、人工妊娠中絶に関係するNGOへの資金提供を凍結したことなどが関係しているようだ。この決定が、トランプ大統領を含め、比較的高齢の男性ばかりの政権幹部による意思決定だったことが、「司令官の子どもを産むために侍女をつくった社会」とシンクロしたのかもしれない。

 

 もっと大局的に見ても、トランプ大統領が「アメリカにとって有益か否か」を判断軸に、既存の地球温暖化対策や、移民との共生政策、通商政策をひっくり返している様が「役に立つ以外ない社会」と通底していると感じる人もいるだろう。

 

 そうした想像を左翼的だとか、過剰だという反応もあるだろうか。ここで最後に、アルフレッドが司令官の「所有物」になったと実感したとき、かつての愛すべき夫、ルークへ心の中で呼びかけた言葉を引用したい。

 この人はこれを気にしていないんだわ、とわたしは思った。まったく気にしていないんだわ。この状態の方が好きなのかもしれない。もうわたしたちはお互いのものではない。わたしは彼の所有物になってしまったんだわ、と。

 そんなことはされるいわれはないし、あってはならないし、あるはずもなかった。でも、それが現実に起こったことだった。

 だから、ねえ、ルーク。今、わたしはあなたに聞いておきたいの、知っておきたいの、わたしの想像は正しかったんでしょう? というのも、わたしたちはそのことを一度も話し合わなかったからよ。本来そうすべきときには、わたしは怖じ気づいてしまっていた。わたしはあなたを失うのが怖くなっていたのよ。(p335)

 アルフレッドは、「前の社会」で、「侍女がいる社会」「女性が生殖の道具にされる社会」を想像していた。でも、それを夫と正面切って話し合わなかった。その結果が、「想像が正しくなってしまった、いま」である。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

侍女の物語 (ハヤカワepi文庫)

侍女の物語 (ハヤカワepi文庫)

 

 

 

 性というものは極めて個人的なように見えて、実際には社会が深く関わっている。それは売春や性産業とて例外でないことを、荻上チキさんの「彼女たちの売春(ワリキリ)」は教えてくれます。

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 性の被害に遭う人と、加害をする人。女性と男性。当事者と世間。性犯罪ほど、その隔絶が大きい犯罪はなく、だからこそ性犯罪に対する学びを絶やしてはならないと感じます。「ミズーラ 名門大学を揺るがしたレイプ事件と司法制度」は、この分野に非常に有意義な視点を授けてくれます。

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