読書熊録

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野球は野球以外の全てー読書感想「夏の祈りは」(須賀しのぶ)

 テスト勉強、性格、進路…。高校野球とは、野球以外の全てを左右してしまう須賀しのぶさん「夏の祈りは」を読んで感じるのは、スポーツのそんな魔力だ。一つの県立高校の甲子園を目指した戦いのクロニクルを、数十年にわたって綴る。須賀さんは野球をテーマにしながら、野球によって変わっていく「野球以外」のあらゆることを丹念に描く。それが深い深い感動を感じさせてくれる。新潮文庫。本の雑誌が選ぶ2017年度文庫ベストテン第1位。

 

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夏の祈りは (新潮文庫)

夏の祈りは (新潮文庫)

 

 

勝負以外にピントを

 「夏の祈りは」がユニークなのは、ピントの合わせ方だ。スポーツの焦点のど真ん中は、試合の行方だろう。しかし須賀さんは、甲子園という大勝負をとりまく「人」の内面に標準を合わせる。

 

 たとえば第一話「敗れた君に届いたもの」は、「伝統校の悲願」が主題に写る。第五話まで、舞台は同じ埼玉県立北園高校。最高成績は昭和33年の県準優勝で、それを越えた優勝、すなわち「甲子園出場」が北園高校およびOBの悲願になる。

 第一話は30年後、昭和最後の63年の夏である。主将・香山始は「悲願」を「呪縛」と感じながら、それを打ち破ろうと厳しさをもってチームの牽引に当たる。

 香山の葛藤は、準決勝前進出を決めた試合後、OB会を前にして行った挨拶を思い返すこんなシーンに表れている。

 始は頭を下げた。

 「明日は勝ちます。絶対に。これで先輩たちに並びます」

 ここから先は、昼には言わなかったことだ。キャプテンらしい笑顔のまま、写真を睨みつける。

 「明後日の決勝も当然、勝ちます。俺たちは必ず甲子園に行きます。でもそれは、あんたたちのためじゃない」(p15)

 重圧は選手たちに緊張の糸を張るカンフル剤になる一方、選手たちを縛ってもいる。「でもそれは、あんたたちのためじゃない」に、香山がその糸を強く握りしめる様子が浮かぶ。

 

 「悲願」は高校野球につきものの一部であって、全部ではない。しかし、その悲願にとらわれた香山にとっては、野球をする上での本質的な部分を左右する重要な要素だ。この「全部は一部、一部は全部」という野球の深みを真正面から捉えるのが、須賀さんのすごみだと感じた。

 

 このほか、「文武両道」「マネージャー」「怪我と選手を辞めるかどうかの判断」「期待される世代、されない世代」といった、北園高校が闘う上で重要な「一部」に次々とピントがあっていく。その一部は、全てが野球の本質に繋がっていく。

 

ディティールに神が宿る

 須賀さんの筆致は、ディテールに神を宿している。

 

 たとえば本当に何気ない、こんなシーン。香山が職員室で監督と話し、廊下に出たときの一コマだ。

 誰もいない廊下を照らす蛍光灯は、寒々しい。こういう光を浴びていると、昼はあれだけうんざりする陽光が懐かしくなるのが、不思議だった。(p18)

 廊下でふと目に入った蛍光灯。その人工的で味気ない光。それだけのことなのに、頭に浮かぶのはやっぱり野球のこと、グラウンドを照らすぎらついた太陽の光なのだ。たった二行に、凝縮された青春がある。

 

 あるいは、第三話「マネージャー」の主人公、女子マネの美音がグラウンドを見て感じる、こんなこと。

 走る、捕る、投げる。ひたすらその繰り返し。だが毎日見ていても見飽きることはない。一連の動きの中に見える意図、それがボールを通して伝わっていく様を見るのが美音は好きだった。グラウンド中に瞬く間に張り巡らされていく見えざる糸の美しさ。それを生み出す彼らを見るのが、なにより好きだ。(p143)

 グラウンドに張り巡らされていく、見えざる糸。好きなものをはっきりと、繰り返し好きだと言える潔さも、十代ならではな気がする。

 

 「夏の祈りは」を読んでいけば、自分だけの美しいフレーズにきっと出会える。

 

高校野球が変えていくもの

 十代は可塑性がある。どんな風にも変わっていける。そこに高校野球があると。球児の全てが、何もかも、あっという間に変わる。その振れ幅の大きさを、須賀さんはひょうひょうと描いていく。

 

 北園高校は県立だけに、進学校でもある。第二話の主人公、キャッチャーの旭は、エースとして覚醒した宝迫の影響で、その文武両道をかなぐり捨てていく。幼馴染みのキヨとの会話。

 「思うんだけど、キヨの不調って寝不足も大きいんじゃないか。力入ってないだろ?練習減らす気ないなら、キヨも授業全部寝ればいいんだよ」

 「いやほんとマジでおまえ何言っちゃてんの? 俺ら、将来のことも考えて北園選んだわけじゃん。中三の時の追い込みがかなりきつかったから、勉強もそこそこやってんだよ俺は」

 「けど、結局どっちもは無理なんだよ」

 旭はきっぱりと言った。これではまるで中学時代のまるっきり逆だ。

 「夏、ベスト4ぐらいまででいいなら、なんとか両立もできると思う。でもさ、今年の四強はマジでやばいって身にしみて知ってるだろ。あいつらに勝ちたいなら、正直両立とか言ってる場合じゃない」(p109)

 それまで大切にしてきた「将来のことも考えて」という姿勢を、「あいつらに勝ちたい」の一心で、捨てていける。その鮮やかなまでの変化を生み出すのが、高校野球である。

 

 これは野球が何かを与えてくれている、という以上の話である。野球は野球でしかない。一方で、野球によって変わっていくものの大きさは計り知れない。旭はもう、以前までのほどほどの闘いでいいと思える旭じゃない。

 だから野球の力を語るとき、際立つのは「野球以外」なのだと思う。野球以外がどう変わっていくか。どれだけ変わったか。「夏の祈りは」は、その大変化が何世代も、何回も繰り返されていく、業のような深さを物語る。すさまじい小説だ。 

 

 今回紹介した本は、こちらです。

夏の祈りは (新潮文庫)

夏の祈りは (新潮文庫)

 

 

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