読書熊録

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二人の「兄」ー読書感想「オブリヴィオン」(遠田潤子)

 二人の「兄」の間で揺れる物語である。遠田潤子さんの小説「オブリヴィオン」は、この揺れ方に人生のあらゆる悲哀や困難、喜びや絶望を詰め込んだ。妻を殺害した罪で服役し、出所した森二。刑務所の外で待っていたのは、アングラ世界で生きる実兄の光一と、「なぜ妹を殺したのか」と問い詰める圭介だった。二人の兄は運命と努力、底辺と平穏、様々な「二つの世界」を映し出している。森二はそれぞれの兄とどう関わり、出所後の人生を歩むのか。読了後、言い知れぬ感情に包まれた。光文社。本の雑誌が選ぶ2017年度ベスト10、第一位作品。

 

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オブリヴィオン

オブリヴィオン

 

 

泥まみれの運命、手を伸ばした光

 出所した森二は、実兄の光一と義兄の圭介、いずれとも距離を置こうとする。小さなアパートに1人身を寄せ、保護司の元に通いながら、前科者を受け入れてくれる会社で黙々と働く。しかし、光一も圭介も度々、森二を訪ね、離さない。断ち切れない「罪」がうねりながら、物語になっていく。

 

 光一は暴力団に関わり、ボートレースの違法賭博でシノギを得る、いわゆる「ノミ屋」である。対して圭介は研究者。光一とはちがって「カタギ」の世界に身を置いて、実直に生きている。

 

 それは森二にとって、人生を象徴する二極だ。もともと森二は光一の側にいた。泥にまみれながら日夜生きていた。しかし、圭介の側に手を伸ばす。そして圭介もかつて、森二は必ず生き直せると信じて、救おうとした。その結節点にいたのが、森二が殺めた妻、唯だった。

 

 森二はなぜ唯を殺めたのか。そして二人の「兄」とどう関わるのか。それが物語の焦点になる。さらに、アパートの隣人で、かつての森二を思わせる「底辺」の少女・沙羅や、森二と唯の一人娘・冬香も、舞台に上がってくる。

 物語の場所が、大阪なのもいい。西成区の「あいりん地区」のように、決してクリーンとは言えない地域を内包する街。罪や業を語るときに、リアリティがある気がする。

 

セリフが刺さる

 遠田さんの小説の主人公たちのセリフは鋭く、きれいだ。シンプルだけど、感情がぐっと詰まっている。森二を一人称にした語りもさることながら、刺さるセリフの数々が、ダーティーな世界観に静謐さを与えてくれる。

 

 圭介は、唯の殺害を認めながら、法廷でもその理由を詳しく語らなかった森二に真実を語るよう求める。その言い争いの中で出てきた、森二の言葉。

 「圭介。信じていた者に裏切られ、拒まれる絶望がわかるか?」(p69)

 まっすぐ、これ以上ないくらい端的な一言。その言葉を放った時の眼差しや、張り詰めた空気感を感じられる。

 

 あるいは、沙羅と森二との言い合い。訪ねてきた冬香に向き合わない沙羅が感情をあらわにする。

「あの子は自分の責任やと思てる。お母さんが殺されたんは自分のせいやと思て、自分を責めてる。だから苦しくてたまらなくて、混乱してる。あの子はなんも悪ないのに、かわいそうやんか」(p153)

 今度は決して整った言葉とは言えない。でもやはり、沙羅の、自分の境遇に重ねたであろう悲しみや悔しさが、言葉に乗っかっている。

 

美しすぎるストーリー

 これはなかなか、自分の力量で伝えるのが難しいなあと思うけれど、「オブリヴィオン」のストーリーは美しすぎる。ネタバレしないように触れることはできないけれど、美しすぎるのだ。

 

 仕掛けとか、どんでん返しじゃない。淡々としているようで、いつのまにか物語がドライブしている。その渦中を、生々しい感情をほとばしらせながら、森二や圭介、沙羅、冬香が躍動する。

 

 一つ、どうしても伝えたいのは、最後のページを閉じたとき、表紙へ立ちもどってほしいということだ。高所から眺めた街の景色。日の出なのか、日の入りなのか、雲に隠れた陽光と群青が薄らいだ空と、浮かぶ星。その静かで美しい情景の、本当の美しさは、物語を読みきった後にしか感じられないと思う。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

オブリヴィオン

オブリヴィオン

 

 

 物語自体の力を感じる作品として、蓮見圭一さんの「水曜の朝、午前三時」を挙げられるかと思います。一度は絶版しながら復活した超名作。これも人生を描ききった小説です。

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 物語を一緒に生きるような濃厚さは、早瀬耕さんの「未必のマクベス」に通じるものがあります。ページを閉じるのが惜しいような、素晴らしい世界観。セリフのクールさも共通しています。

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