読書熊録

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日本を焼け野原にー読書感想「オールド・テロリスト」(村上龍)

 「本当に日本全体を焼け野原にすべきなんだ」。大戦を経験した意気盛んな高齢者が、義憤を燃やし、テロをも辞さず、と立ち上がったら。村上龍さんの文庫最新作で、1月10日に発行された「オールド・テロリスト」はそんな思考実験の物語だ。「満州国の人間」を名乗る集団が仕掛ける、無慈悲な殺傷事件の連続。見届け役に指定された落ち目のジャーナリストは、この事実にどう向き合うか。新潮文庫。

 

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オールド・テロリスト (文春文庫)

オールド・テロリスト (文春文庫)

 

 

廃墟には巨大な需要がある

 物語の舞台は東京、時期はなんといま、2018年である(作品完成はあとがき時期から2015年とみられる)。

 元週刊誌記者で、いまはホームレス同然の暮らしを送り、妻子にも三行半をつきつけられたセキグチ。かつての仕事仲間である編集者から、不審な「予告電話」を取材するよう依頼され、物語が始まる。いわく、「NHKでテロをやる。絶対に許せない人がいる」。取材者として「大久保の将棋場で知り合ったセキグチという記者を」と指定。電話主は、自分をこう名乗っていた「わたしは江戸っ子でも日本人でもありません、今でも満州国の人間なんです」(p13)。

 

 実際にNHKで何が起こるかは本書を開いていただくとして、ここから、凄惨なテロが幕を開ける。セキグチは「満州国の人間」が誰なのか全くわからず、自分が指名された理由も見えないまま、テロの首班を追い掛ける。

 

 現実に起こるテロ事件は、若者、少なくとも高齢者でないことが大半だと思う。昨年10月にラスベガスで銃乱射をした容疑者が、60代くらいだったのは例外的。「オールド・テロリスト」は、「高齢者によるテロ」という糸を張ったところが面白い。

 

 では、「満州国の人間」はなぜテロを起こすのか? セキグチは物語の前半で、「満州国の人間」が1人ではなく、グループにつながるとおぼしき人物への接触に成功する。その人物は、こう語るのだった。

 「次の、目的は何かという質問だが、それは、この日本を、そうだな、わかりやすく言うと廃墟にすることだよ。終戦直後から復興の時期にかけて、巨大な需要があった。巨大な需要、それがすべてなんだ。焼け跡には、何もない代わりに巨大な需要がある。だから解決は簡単で、他にはどこにも方法がない。もう一度、あの時代に戻す。大震災で東北の太平洋岸は壊滅したが、政府にも、民間にも、危機感は生まれなかった。もっと徹底的にやらなければならない。本当の焼け野原にすべきなんだ」(p162)

 廃墟には何もない代わりに、巨大な需要がある。だから日本をもう一度、焼け野原にすべきだ。「満州国の人間」の語る目的は、年上の世代がたまにぼやく、「あの頃は良かった」という話の純度を究極まで高めたものとも言える。あの頃は、戦後復興の時代は良かった。だからもう一度、「戦争が起きた状況」まで戻そう、と。

 

 日本はイスラムーキリスト教の衝突によるテロや、銃を使った米国のテロとはどうにも無縁に思える。しかし、戦争を知る世代の、ピュアな危機感によるテロには、不穏なまでのリアリティを感じてしまう。

 

唐突な語り、内包する問題意識

 村上龍さんの作品では、しばしば長い長い語りをする人物が登場する。「半島を出よ」では、若者を束ねる教祖。「希望の国のエクソダス」では、少年たちの演説がそうだったと記憶している。

 「オールド・テロリスト」では、そうした語りを、様々な人物が唐突に繰り出す。そこに、村上さんが現代の日本社会に抱く問題意識を内包している。「村上節」が何度も炸裂するけど、決してくどくない。

 

 たとえば、「満州国の人間」を追ってたどり着いた高齢者クラブ。そこで名もなき登場人物の、ある高齢男性がいきなり語り出す。

「(中略)外の世界や人々に押しつぶされる、それこそが不幸というものの正体であり、何とか折り合いをつけながら生きていく状態を普通、外の世界や人々を従わせたり、関わり合って変化させ、利益を得るのが勝ちであり幸福、というような風潮もあるかと思うんですが、わたしは、年齢を経るにつれて勝ちとか幸福ではなくて、普通を選びたいと思うようになったんですね。何とか折り合いをつけながら生きていくということですが、そのことには実際、普通以上の価値があると、今は確信しております。勝ちや幸福を超えたものかも知れない。とくにわたしどもの世代は戦争を知っていますから、いっそう強くそんなことを考えるのかも知れません」(p69)

 台詞ではなく、語りだと思う。話がどこに行くのか、本人も探りながら言葉を紡いでいく様子。それによって表出するのは、いま、他人を動かす側が勝ち、動かされる側が負けという風潮の中で、「普通の価値」が高まっているのではないか、という実感だ。

 

 この「普通」というのが、村上さんが本書で繰り返すテーマでもある。「幸福」「勝ち」を志向する向きは高まり、反対に「負け」を逸脱としてみる蔑みも深まり、断絶する中で、もはや「普通」は普通には手に入らない。それを明示的にではなく、村上さんも悩みながら、登場人物に考えさせているような、そんな印象を受けた。

 

高齢者と、若者と、中年と

 「満州国の人間」である「オールド・テロリスト(高齢のテロリスト)」の凶行の見届け人に、セキグチが選ばれたのはなぜだろう?ここに、「老いていくこと」という、本書のもう一つのテーマが隠されていると感じた。

 

 本書には「高齢者」「中年」「若者」のいずれもが登場する。その中で若者は先ほどの普通をめぐる議論の犠牲者として描かれる。もう一度、「満州国の人間」の語りから。

「(中略)それなのに、現代においては、ほとんどすべての若者が、誰もが人生を選ぶことができるかのような幻想を吹き込まれながら育つ。かといって、人生を選ぶためにはどうすればいいか、誰も教えない。人生は選ぶものだと諭す大人たちの大半も、実際は奴隷として他人の指示にしたがって生きてきただけなので、どうすれば人生を選べるのか、何を目指すべきなのか、どんな能力が必要なのか、具体的なことは何も教えることができない」(p155)

 こうして、人生を選べるように言われながら身動きが取れなくなった若者が、精神を病んでいく様子が描かれる。そして「満州国の人間」は、それを巧みに利用する。

 

 対して「中年」のセキグチは、希望を抱かされた若者でも、義憤に燃える高齢者でもない。若者から遠ざかり、高齢者に向かっていく、過渡期が中年である。老いていくこと。その悲哀を容赦なく描くことで、村上さんが何かを問いかけようとしているように思った。

 鏡に映った自分の顔と、それにボロボロになった歯が、お前は老いた、という信号を発している。目の下がたるみ、黒ずんで、首の皮膚は張りを失って無数の皺がある。人は、ゆっくりと老いていくが、あるとき突然に、自分の老いに気づく。老いの自覚は、過去は絶対に取り戻せないという事実を突きつける。(p428)

 「過去は絶対に取り戻せない」。実は、この中年の苦悩が、セキグチが「満州国の人間」と向き合う中で、ぐっと転回する場面がある。それを目の当たりにした時、老いていくことの、可能性のようなものが感じられた。

 

 どこまでも引きずられるように、物語に、思索に誘われる作品だった。

 

 今回紹介した本はこちらです。

オールド・テロリスト (文春文庫)

オールド・テロリスト (文春文庫)

 

  

 同じテロリズムでも、こちらは国際諜報戦、北朝鮮の工作員を題材にした小説です。現役記者、竹内明さんの「スリーパー 浸透工作員」。緊張感に溢れます。 

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 テロリズムとヘイトクライムは、似て非なるもの。しかし、通底する、目的達成のためになにかを犠牲にする態度は、恐ろしいものです。「相模原障害者殺傷事件 優生思想とヘイトクライム」は、その差別の根本を解きほぐしてくれるノンフィクションです。

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