読書熊録

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国難を国恵にー読書感想「日本再興戦略」(落合陽一)

 国難を、国の恵みにすることは可能である。

 落合陽一さんの最新著作「日本再興戦略」は、そう高らかに歌い上げる。少子高齢化を「チャンス」と捉える。テクノロジーを学び、「機械と人間の融合」の可能性を受け止める。そして「ポジションを取り」、逐次的に前進を重ねていく。日本最強の知性の一人の脳内に触れて、日本の未来を考える格好の一冊。幻冬社、NewsPicks Book(アカデミア会員18年1月特典図書)。

 

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 少子高齢化は3つの理由でチャンスである

 「日本再興戦略」は非常に読みやすい構成になっている。まずは、再興するための土台、「日本とはどんな国なのか」を考える。戦後、欧米追従で追い越せ追い抜けの戦略を取ってきた日本。その幻想性を解体した上で、大和朝廷までさかのぼって、戦前の日本が積み重ねてきたものを学ぶ。

 その上で、落合さんの主戦場「テクノロジー」の現在地を第3章で仔細に説明してくれる。第4章「日本再興のグランドデザイン」に続き、第5章以降は政治、教育、会社(ライフプラン)まで、そのグランドデザインをどう具体化するか指南する。

 

 本書の面白さを端的に表すのは、その第4章「日本再興のグランドデザイン」だ。書き出しから力強い。

 人口減少と少子高齢化。日本ではこの2つの言葉がネガティブなトーンで語られます。このまま日本は人口が減り続けて、経済も縮小し続けて、暗い未来が待っているのではないかとーー。

 僕からすると、この認識自体が間違いです。人口減少と少子高齢化はこれからの日本にとって大チャンスなのです。その理由は3つあります。(p154)

 僕からすると、人口減少と少子高齢化はこれからの日本にとって大チャンス。飄々と言ってのけるのが、落合さんらしさなんだと思う。

 

 日本中が悲観しているであろう少子高齢化、それに伴う人口減少がチャンスである3つの理由。落合さんによるとそれは

  1. 自由化・省人化による「打ち壊し運動(ラッダイト)」が起きない
  2. 少子高齢化社会の処方箋を他国に売り出す「輸出戦略」が取れる
  3. 人材の教育コストを大きくかけることができる

 という。自身が研究者かつアーティストでありながら、テクノロジー企業経営者である視点がフルにいきている。

 

 1はすなわち、人工知能(AI)の浸透やあらゆるホワイトカラー業務の機械化によって、「働ける場所が減る」という対機械へのハレーション、憎悪が少なく済むということ。たしかに高齢者には職を奪うという圧力は発生せず、少ない若者であれば、働き方の転換もまだ可能だろう。

 

 2はどこかで聞いたことのある言説かもしれないが、落合さんの場合、後述する「機械と人間の融合」に焦点を当てる。つまり、高齢者への思いやりとかおもてなしとか、精神的なものではなく、たとえば遠隔介護や身体補助のパワードスーツなど、加齢による不自由を「体のダイバーシティ」まで緩和するテクノロジーを育て、輸出するということだ。

 

 3は少なくなった人口を「機械親和性のある人材」に転換することが容易であることを示す。戦後日本が行ってきた教育が、工業社会、大量生産大量消費社会で非常に有能な「組織人間」を育てたように、教育をドラスティックに変えていける可能性がある。

 

 少子高齢化をどう解決するか?という戦略ももちろんある。しかし落合さんは、前提条件を規定し直す=グランドデザインをすることを選ぶ。この思考法自体が、重要な「再興戦略」だ。「ジリ貧」に思える選択肢に与しない。設問そのものをアップデートする方法もあるというのは、良い学びになった。

 

人間と機械の融合

 少子高齢化、人口減少をチャンスと捉えた先には、どんな社会が待っているのか?それが、人間と機械の融合。前著で落合さんが提起した「デジタルネイチャー(計算機自然)」をヴァージョンアップした概念だ。

 

 人間と機械の融合は、現在進行形だ。例えば、メガネ。本来、近視あるいは乱視は、例えば狩りをするとして、あるいは工場で作業をするとして、明らかに不利な「障害」である。しかし、メガネという「テクノロジー」によって、近視も乱視も「差異」になる。いま、メガネをかけている人を「障害者」として認識する人は少ないだろう。

 

 同じように、全身が不自由な高齢者がいるとして、パワードスーツを装着すればそれは不自由じゃなくなる。スーツの性能が上がれば、身体能力において高齢者と若者の違いはなくなる。

 落合さんによれば、認知症もヘッドマウントディスプレイ(両目に装着して情報を映し出す装置)によって補完すれば、要するに「機械が代わりに記憶」してくれれば、生活の支障はまったくなくなるかもしれない。

 

 落合さんは「5G(第5世代移動通信システム)」の可能性も紙幅をさいて説明してくれる。現在の「4G」よりはるかに早い伝送技術。これにより、従来の二次元情報(文字や映像)だけではなく、3次元情報までをラグなく通信できる。すると、医師の手術、介護、子育てを、リアルタイムで通信して、遠隔で機械に行わせることも可能になるというから驚きだ。

 

 「機械と人間の融合」という概念の根本には、ダイバーシティ(多様性)がある。落合さんは何より、このダイバーシティを大切にしているように思う。だからこそ読者は機械と人間の融合に、テクノフォビア(機械への恐怖)より希望を感じられる。

 今、障害と言われているものは、単なるダイバーシティのひとつになる。障碍者も、介助が必要な高齢の方も、「体のダイバーシティが高い人」という位置づけになるのです。それこそ僕は一番いい社会だと思っています。

 デジタルネイチャーの世界は、ダイバーシティのある人たちにとって優しい、いい世界になるのです。(p138)

 障害も、不自由も、単なるダイバーシティになる。ダイバーシティが増えれば増えるほど、互いを認めあえるはずだ。落合さんの思想の根幹には、こんな考えがある。

 

ポジションを取り、わらしべ長者へ

 では、我々「個人」は、機械と人間の融合へ対応するために、日本を再興する方向へ舵を切るために、何をすべきか。本書の最終盤のテーマになるが、印象的な指摘が「わらしべ長者」という生き方だ。

 

 落合さんはわらしべ長者を、「近代的人間」「デジタルヒューマン」の対比の中で印象付ける。

 言い換えると、近代的な人間性は、「自分らしいものを考え込んで見つけて、それを軸に、自分らしくやって生きていこう」という考え方であり、デジタルヒューマンは、「今やるべきことをやらないとだめ」という考え方だと思います。要は、タイムスパンが全然違うのです。そして、やったことによって、自分らしさが逆に規定されていきます。(p242)

 この「近代」については、第3章「テクノロジーは世界をどう変えるか」で詳述されているが、端的に言えば「普通」のある社会だ。工業製品のように、均質性と縦軸で評価できる性能がある社会。だからこそ、「普通」を基点にした「自分らしさ」が重要視されて、予測可能性に基づいた「計画性(自分らしさを考え込む)」が前提にされる。

 一方で、テクノロジーが幾何級数的に進歩し、進歩し続ける今は「予測不可能性」に基づいていて、前項で触れたような「ダイバーシティ」、つまり「個別的」で「多様的」なものが生まれ、どんどん「普通があいまいになる」社会と言える。

 

 だららこそ、「計画的」よりも「逐次的」に行動していく。そして学びをフィードバックしてさらに行動することが重要になる。その実践者が「デジタルヒューマン」であり、昔ながらの言葉にしたところの「わらしべ長者」だ。落合さんはこの要諦を、「機会をうかがって動き出さないことには、ただの機会損失になってしまう」(p240)という印象的な言葉でまとめている。

 

 さらに落合流の言葉にすると「ポジションを取る」ということだ。誰でもない位置から批評しない、眺めない。行動し、その行動によってポジションを規定されることで、さらに社会にコミットできる。それは決して難しくない。最後に、本書のこの言葉を引用させてもらう。

 結婚することも、子どもを持つことも、転職することも、投資をすることも、勉強することも、すべてポジションを取ることです。世の中には、ポジションを取ってみないとわからないことが、たくさんあります。わかるためには、とりあえずやってみることが何よりも大切なのです。(p253)

 気になった方は、ぜひ「日本再興戦略」を手に取ってほしい。それもまた、一つのポジションの取り方になると思う。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

 

 「日本再興戦略」が希望の書であれば、「インターネットは自由を奪う」は警鐘の書でした。立脚点が対極なように思えて、実はリンクし、両輪となってより良いテクノロジーについて思考できると思うので、オススメです。

www.dokushok.com

 

 「ポジションを取る」ということを、マインドセットの面からさらに理解するには、塩野誠さんと佐々木紀彦さんの対談本「ポスト平成のキャリア戦略」がオススメです。こちらもNewsPicks Book。

www.dokushok.com

 

 なお落合陽一さんの「魔法の世紀」「超AI時代の生存戦略」も、感想をアップしています。こちらもぜひご参考にしてください。

www.dokushok.com

 

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