読書熊録

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信じなくてもー読書感想「星の子」(今村夏子)

 宗教とは何か。宗教を信じるとは、あるいは、「宗教を信じる人」を信じるとは。今村夏子さんの小説「星の子」は、傍目には「あやしい宗教」にしか見えないものへのめり込む両親と、その子どもの日常をふわっと切り取る。物語だからこそ、断罪するでもなく、肯定するでもなく、切り取れたように思う。帯の裏に書かれた言葉が、本書が描くものの繊細さを表している。「大切な人が信じていることを、わたしは理解できるだろうか。一緒に信じることができるだろうか」。そして、信じなくても、そばにいることはできるのだろうか? 朝日新聞出版。第39回野間文芸新人賞受賞作。2018年本屋大賞ノミネート作品。

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気付けばそこにある

 主人公の林ちひろの両親は、ある宗教にはまっている。ちひろが幼い頃、極めて病弱で、父の知り合いに紹介された「金星のめぐみ」という「特別な生命力を宿した水」を服用したところ、改善したことがきっかけだった。

 

 子どもにとって、親が信じる宗教は親と同じくらい、気付けばそこにあるものだ。ちひろが宗教を信じるか、信じないかを考えるまでもなく、その宗教を信じる両親がいた。「金星のめぐみ」があったし、飲んだ。

 

 物語の主な舞台は、中学三年生になったちひろの周辺だ。しかし本質は変わらない。ちひろの意思とは別に、宗教を信じる両親。なんとかちひろだけでも、その輪の名から「普通」に引き戻そうとする親族。ちひろの宗教に関係なく接する友人・なべちゃん。

 

 今村さんは、宗教の是非とか、怖さとか、そういうものを切り取ろうとはしていないように思う。そうじゃなくて、気付いたらそこにあるものと、どんな風に距離をとっていいのか分からない、思春期の当たり前の葛藤が主題だ。新興宗教に邁進する親の子にも、そんなもどかしさがあるであろうことを、当たり前のことを当たり前に描く。

 

分からない、けど

 印象的な会話がある。なべちゃんと、なべちゃんの彼氏・新村くんと、ある出来事をきっかけにした会話。

 「あんたも?」となべちゃんにきかれた。「信じてるの?」

 「わからない」

 とわたしはこたえた。

 「わからないけど、お父さんもお母さんも全然風邪をひかないの。わたしもたまにやってみるんだけど、まだわからないんだ」

 「ほんとだったらすごいと思うけど」

 と、なべちゃんはいった。

 わたしはうなずいた。「そうだね、ほんとだったらほんとにすごいんだけど」(p173)

 信じてるのと聞かれて、分からないと答える。宗教による奇跡が本当だったら本当にすごいんだけど。ほとんどひらがなだけの、まさに小・中学生でも理解できる平易な言葉の中で、何気ないやり取りの中で、ここまで親が宗教を信じることの複雑さを形にしているのは、すごいなあと感じた。 

 

 そこに気付けばあった、親の宗教は、ちひろにとっては歳を重ねるごとに語り難いものになったはずだ。なぜならちひろが歳をとるほど、大人になるほど、気付けばそこにあったものを「自ら選びとっている」という目線を、周囲は向けるからだ。

 

 宗教は、性的指向や性自認、政治的価値観、障害などと入れ替えても成立するはずだ。その人にとって自然なものが、いつのまにか「望んだもの」にすり替えられたら。そこから生まれる社会や周囲との摩擦が、その人をすり減らしたり、傷つけたりするのだろう。

 

 しかし今村さんは断罪しない。ちひろが日々生きていく姿。幸せになるとか、不幸になるとかじゃなく、ただ日々生きていく姿を語ってくれる。そこからほのかに立ち上るものに、この物語の本質的な輝きが、うっすらと透けて見える気がする。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

 

 ハッピーエンドとかバッドエンドとか、そういう尺度じゃない物語を、痛みを描いた作品として、どこか「ナラタージュ」を思い出しました。

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 信じるものが他と違う。「普通」と違う。その違和感をギリギリまで近くで見つめようとした作品が、又吉直樹さんの「劇場」だったように思います。周囲との摩擦の生まれ方は、「星の子」よりもっとザラザラとしています。

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