読書熊録

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悩むより考えるー読書感想「イシューからはじめよ」(安宅和人)

 問題を前に悩むより、それが本当に「問題か」を考えよう。ヤフー・チーフストラテジーオフィサーの安宅和人(あたか・かずと)さん「イシューからはじめよ 知的生産の『シンプルな本質』」は、「問題解決」以前の「問題設定」の重要性を説く。そのイシュー(解決すべき問題)をいかに解決可能にするか、解決したメッセージを伝えるかまで一気通貫にレクチャーしてくれる。「生産性」という言葉をいまいち腹落ちできていない人にとって、考え方の格好の補助線になる一冊だ。英治出版。

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イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

 

 

イシュー度を意識する

 本書「イシューからはじめよ」は、ツイッターでコンサル、スタートアップの経営者のアカウントをフォローしていると「必読書」として盛んに登場する。一体何が書かれているのか気になって、手に取った。

 筆者、安宅さんの経歴は一言で「考える人」。東京大学からマッキンゼーに進み、コンサルタントに。その後、イェール大学で脳神経科学の学位を取得後、再びマッキンゼーに。さらにヤフーに移り、ビックデータ分析などを手がける。

 

 その考える人、安宅さんが考える生産性の高い仕事とは。「イシュー度が高く、かつ解の質が高い仕事である」という点に集約される。このイシュー度がキーワードになる。

 イシュー(issue)は安宅さんの定義では2つの要素に分解できる。(p25)

  1. 2つ以上の集団の間で決着のついていない問題
  2. 根本に関わる(vital)または白黒がはっきりしていない問題

 イシュー度が高いとは、より根本的である、より決着のつきにくい問題であることを指す。より根本的であるとはどういうことか、は次項の「スタンスを取る」という概念を用いる必要があるので、ひとまず置いておく。

 

 安宅さんの論で押さえておきたいのは、目の前の仕事の「イシュー度」を点検することで、「その仕事はほんとうに思考の時間を費やすべきか」をチェックできること。要するに、「本当に力を注ぐべき仕事」を相当数、厳選できるということだ。

 

 これを平易な言葉で、「〈考える〉と〈悩む〉の違いは何か」という問いかけに置き換えてくれる。安宅さんはこう考える。

 僕の考えるこの2つの違いは、次のようなものだ。

 「悩む」=「答えが出ない」という前提のもとに、「考えるフリ」をすること

 「考える」=「答えが出る」という前提のもとに、建設的に考えを組み立てること

 この2つ、似た顔をしているが実はまったく違うものだ。(p4)

 仕事において「悩んでいる」とすれば、その仕事の問題を「答えが出ない」前提で取り組んでいるということ。考える段階まで、その問題を落とし込めていなければ、いくら悩んでも仕方がないのだ。

 イシューとはまさに、「考える」ことができる問題だ。裏を返せば、イシューの前に悩んでいるとすればそれはイシューではない。

 なお、安宅さんは悩むことを全否定するものではない。恋人や家族や友人など、「もはや答えが出る・出ないというよりも、向かい続けること自体に価値がある」問題もあることを付記している(p5)。これは例えば哲学や倫理もそうであろう。

 

スタンスを取る=仮説思考

 イシューとは決着がついていない、本質的な問題であると同時に、「考える」ための問題というところまで学んだ。それに加えて大切なのは、イシューとは「スタンスを取る」ことが求められる問題だということだ。

 

 スタンスを取る。つまり、仮説を立てるということ。その問題のイシュー度の高さは、この仮説の鋭さに比例する。安宅さんはこの重要性を端的に示す。

 そもそも、具体的にスタンスをとって仮説に落とし込まないと、答えを出し得るレベルのイシューにすることができない。たとえば、「○○の市場規模はどうなっているか?」というのは単なる「設問」に過ぎない。ここで「○○の市場規模は縮小に入りつつあるのではないか?」と仮説を立てることで、答えを出し得るイシューとなる。仮説が単なる設問をイシューにするわけだ。(p48ー49)

 仮説のない問いは設問にすぎない。設問は自由筆記であり、どんな答えであってもそれっぽい、つまり「答えが出ない」前提、悩むためのものにしかならない。仮説を持つことで「仮説が正しい/誤っている」が確認できる。それが「答えを出せる」ということだ。

 

 これは、メディアアーティストであり筑波大の研究者、かつテクノロジーベンチャー経営者の落合陽一さんが「日本再興戦略」で語る「ポジションを取る」とシンクロする。「問い」を前に「批評」しても意味はない。「市場規模がどうなっているか」を漠として考えて、そこに自分なりのポジションを持って切り込まなければ学びはない。考えるとは手をこまねくことではなく、逐次的に問いに答えを求めることだ。

 

聴衆は無知だが賢い

 「イシューをはじめよ」の後半は、仮説に対するストーリーの組み立て、アウトプットのイメージ、分析の設計方法、アウトプットの方法論を詳細・具体的に説く。分析・発表の仕方というのは、コンサルタントの仕事の本質そのものだと見受ける。コンサルタントと縁遠い職種でも、コンサルタント的思考を学ぶのは価値がある。

 

 中でも面白かったのは、「デルブリュックの教え」というもの。マックス・デルブリュックという、1969年にノーベル生理学・医学賞を受賞した遺伝学研究者が、講演・発表に当たって示した心構えだという。

 ひとつ、聞き手は完全に無知だと思え

 ひとつ、聞き手は高度の知性をもつと想定せよ

 

 どんな話をする際も、受け手は専門知識はもっていないが、基本的な考え方や前提、あるいはイシューの共有をはじめ、最終的な結論とその意味するところを伝える、つまり「的確な伝え方」をすれば必ず理解してくれる存在として信頼する。「賢いが無知」というのが基本とする受け手の想定だ。(p206)

 聴衆を無知だが賢い、と心得る。信頼する。

 たいてい、どちらも反対に捉えがちだ。聞き手は自分のことをわかってくれる、自分の話を自分と同程度、知っていると思ってしまう。あるいは、「愚か」だと誤解してしまう。いくら説明してもわからないと侮ってしまう。

 

 「無知だが賢い」を念頭に置けば、自らの「伝え方」を磨こうと思える。そこに敬意が生まれる。これは、問題に「悩むのではなく考える」、イシュー度を上げることと根底でつながるスタンスだと思う。考えるとは、難問に「答えが出せる」と信じること、問いへの敬意がなければ成り立たない。どちらも鍵は敬意だと感じた。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

 

 

 「少子高齢化と人口減少はチャンスである」というエッジのきいたイシューを解きにかかる良書が、落合陽一さんの「日本再興戦略」です。思考が刺激されます。

www.dokushok.com

 

 例外的に悩む価値のある問い、それに向き合うことの重要性、向き合う上で鍵となる「対話」というツール。それらを、科学の最前線の知識とともに学び取れる素敵な一冊が「CRISPR 究極の遺伝子編集技術の発見」で、おすすめです。 

www.dokushok.com