読書熊録

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科学報道と社会ー読書感想「10万個の子宮」(村中璃子)

 医師でありジャーナリストの村中璃子さんが出版したノンフィクション「10万個の子宮 あの激しいけいれんは子宮頸がんワクチンの副反応なのか」は、科学報道(サイエンス・ジャーナリズム)と社会の関係性を考えさせられる。村中さんは副反応を訴える少女たちの回復を願い、その痛みに寄り添う。同時に、エビデンスに基づく科学を徹底して貫く。その両輪で報道した、子宮頸がんワクチンの副反応を巡る課題。それを社会がどう受け取ったかが、日本の、我々の「科学への向き合い方」を示しているように思える。公共の利益のための科学報道を表彰するジョン・マドックス賞を日本人で初めて受賞。平凡社。

 

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10万個の子宮:あの激しいけいれんは子宮頸がんワクチンの副反応なのか

10万個の子宮:あの激しいけいれんは子宮頸がんワクチンの副反応なのか

 

 

少女のために

 本書を読んで強く実感したことは、村中さんの報道の根底にあるのは、副反応を訴える少女の回復を願う姿勢だということ。ツイッターで「10万個の子宮が気になる。読んでみたい」とつぶやくと、強烈な言葉で村中さんを罵る人がいた。「ワクチン推進派」というレッテルはりも見受ける。少なくとも本書を通読し、優しさを感じこそすれ、少女を切り捨てる様子は一切見受けられなかった。

 

 もちろん、村中さんはワクチンの副反応はエビデンスで実証できないという立場だが、たとえばこの言葉を読んでいただきたい。

 専門的知識を持つ人にも持たない人にももう一度考えてほしいのは、薬害を訴える人たちに対して、科学的根拠もないのに薬害だと同調することが必ずしも善ではないということだ。長年にわたる訴訟の末、薬害は認められないという結論が出た時、ワクチン被害を信じ、ワクチンを恨んで青春を過ごした少女たちは誰を恨めばいいのか。大切なのは、「子宮頸がんワクチンのせいだ」と言う大人たちに囲まれ、治るきっかけを失ってしまった少女が、1日も早く回復することである。そして、がんを予防する安全なワクチンがあったのに、そうとは知らずに接種せず、防げたはずのがんになる少女たちをひとりでも減らすことだ。(p96−97)

 大切なのは副反応を訴える少女たちが、回復すること。そして村中さんが子宮頸がんの副反応や、接種奨励中止の動きと立場を異にするのも、ワクチンを使わずに「マザーキラー」と呼ばれるがんにかかる少女を減らすためだ。

 

 「10万個の子宮」では、最終章で「子宮頸がんのワクチンのせいかもしれない」と苦しんだある少女に取材している。この少女はネットの村中さんの記事に登場することは控えたいというお立場だったとのこと。なので、ここでも詳細は書くべきではないと思う。

 しかし、こんな言葉を少女が語ったことは、引用したい。曲折を経て回復後の語りである。

「(中略)私もまだ、完全にワクチンのせいじゃないとは思っていませんが、絶対にワクチンじゃなきゃダメだっていう気はしません」(p251)

 苦しみが、なんのせいか。その答えが「絶対にワクチンじゃなきゃダメだっていう気はしません」というのは、なるほどと思えた。

  

ワクチンへの恐怖反応は過去にもあった

 本書で衝撃を受けたのが、ワクチンへの恐怖が広がった事例が過去にあったことだ。「ウェイクフィールド事件」。風疹を予防するMMRワクチンが、自閉症を起こすことを示唆するデータが医学誌に発表された。世界が震撼した。

 

 しかし、実は発表者のウェイクフィールド氏がデータを書き換えていたことが発覚する。MMRワクチンが自閉症を起こすというのは、科学的に誤りだった。「創られた薬害」だった。

 

 驚くべきは、今もこの「薬害」が一部に信じられていることだ。トランプ米大統領もその1人。2014年、ツイッターで「MMRワクチンは自閉症を起こして危険」とつぶやいた。16年の選挙運動中には、支援者の会合にウェイクフィールド氏を招待していたという。

 

 反ワクチン感情は、仮に科学的に完全に否定されても、まだ残るものだということだろう。村中さんは、最終盤でこう指摘する。

 子宮頸がんワクチン問題は医療問題ではない。子宮頸がんワクチン問題は日本社会の縮図だ。この問題を語る語彙は、思春期、性、母子関係、自己実現、妊娠出産、痛み、死といった女性のライフサイクル全般に関わるものはもとより、市民権と社会運動、権力と名誉と金、メディア・政治・アカデミアの機能不全、代替医療と宗教、科学と法廷といった社会全般を語る言葉であり、真実と幻へといざなう負の引力を帯びている。(p265)

 ワクチンをめぐる支持、反感、恐怖。医療から生まれたワクチンが起こす波紋は、医療だけにはとどまらない。そこに問題の複雑さがある。

 

科学と司法の分立

 ワクチンが純粋な医療問題として語り得ない。だからこそ村中さんは、医療と社会の在り方を問いかける。特に、「科学と司法」については問題意識が鋭い。

 

 先のウェイクフィールド事件。虚偽の薬害を暴いたのは、イギリス人記者のブライアン・ディアさんだった。「The Sunday Times」という日曜紙で、避妊ピルのデータ不正や薬による健康被害など、むしろ薬害を追及していたという。

 

 ディアさんはウェイクフィールド氏から名誉毀損の訴訟を受ける。同氏が訴訟を取り下げるまで、2年の時間を費やした。ウェイクフィールド氏の患者による別の訴訟や、同氏の科学不正の認定など、ディアさんがこの問題の執筆や取材に投下した時間は8年にも及んだ。

 

 村中さんも、子宮頸がんワクチンをめぐる報道で名誉毀損の訴訟を受けている。これについて、ジョン・マドックス賞の審査委員会は強烈な危機感を抱いているという。ディアさんの例をはじめ、言論に対する脅威として、法的手段を捉える視点がある。村中さんはこうまとめる。

いわば「訴えたもの勝ち」の法制度は、科学不正を指摘する声を萎縮させ、科学不正をごまかすための温床ともなる。「科学と司法の分立」は、今後、日本でももっと真剣に議論されるべきだろう。(p221)

 

 本書の根幹はもちろん、「激しいけいれんをはじめとした、子宮頸がんワクチンの副反応は、本当にワクチンによるものなのか」の検証である。しかし、それについて要約は避けたい。議論を起こしているテーマである。自分の下手な要約で、村中さんのロジックを壊すことは避けたい。その中身、そして納得いくものかは、ぜひ本書を手にとって、一人でも多くの方に検証いただきたい。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

10万個の子宮:あの激しいけいれんは子宮頸がんワクチンの副反応なのか

10万個の子宮:あの激しいけいれんは子宮頸がんワクチンの副反応なのか

 

 

 反ワクチンも、突き詰めれば心の問題を含む。人の心と社会制度が、かくもつながるものか。オバマ政権で規制のデザインを担当したキャス・サンスティーンさんの「シンプルな政府」は、その実相を教えてくれます。

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 エビデンスを通じて、問題の違った側面が見える。その驚きは、荻上チキさんの「彼女たちの売春」でも味わいました。こちらも社会学的視点があります。

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