読書熊録

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システム1は止められないー読書感想「ファスト&スロー」(ダニエル・カーネマン)

 人間には2つのシステムがある。それがノーベル賞を受賞した経済学者、ダニエル・カーネマンさん「ファスト&スロー」で伝えてくれる、一番シンプルで、一番ドラスティックな教訓だ。「システム1」は働き者で、ファストな判断をしてくれるものの、様々な思い込みがあるせっかちさんでもある。「システム2」は思慮深く、スローな思考で理性的な判断へ導くものの、なにぶん怠け者である。システム1は止められないし、システム2は頑張れない。この理解があれば、日々の自分の不合理さが、ちょっと許せるようになる。村井章子さん訳。ハヤカワ・ノンフィクション文庫。

 

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ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 
ファスト&スロー(下) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

ファスト&スロー(下) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

 

思い込みは分かっていてもやめられない

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 システム1は止められない。どんなに自分に思い込みがあると分かっていても、それをシステムごと改修はできない。それを端的に知るためには、上の図を見てほしい。(上巻53ページから引用)

 

 おなじみではあるけれど、上も下も線の長さは同じだ(適当な絵だけど、おおむね)。しかし、「線の長さは同じ」だと思って見てみても、やっぱり下の線の方が長く見える。仕方がない。カーネマンさんが「システム」と表現するのは、こうした抗えない強固な「認知」である。

 

 行動経済学は、この「認知」に注目した経済学のようだ。なぜ、経済学の合理的なモデル通りに、人間は行動しないことがあるのか。それは認知に特有の傾向や歪み、いわゆる「バイアス」があるからだ。「ファスト&スロー」の上巻は、この「バイアス」の様々なタイプを豊富な例で教えてくれる。

 

 それを端的に要約してくれたのが、「システム1(早い思考)」と「システム2(遅い思考)」だ。

 

 2つのうち、人間は多くの思考や判断を「システム1」に頼りきりになる。なぜなら「システム2」は、非常にエネルギーを消費するからだ。ダイエットがなぜ失敗しやすいかもこれで説明がつく。何を食べるか、カロリーは大丈夫かを合理的に、冷静に取捨選択するのは「システム2」の仕事。しかしこれを毎食毎食やってると、それだけで判断力を消費する。やがて「システム2」を駆動することをやめてしまい、リバウンドしてしまう。この原理は「消耗」とか「自我の消耗」という(上巻第3章)。

 

 だから大抵の判断は「システム1」が行う。「システム1」はエネルギーをほぼ消費しない代わりに、様々なバイアスがある。

 たとえば「利用可能性カスケード」。これは「思いつきやすいことほど(利用可能性)、よく考えてしまう(カスケード)」というものだ。リスクで考えてみる。自爆テロに巻き込まれるリスクと、交通事故のリスク、どちらの方が危険だろう?

 

 「システム2」に言わせれば、統計的に発生確率が高いリスクほど、注意が必要だから、交通事故に気を付けなくてはいけない。しかし「システム1」は「利用性カスケード」から、テロの凄惨な映像の方が思い浮かびやすい。日常的に潜む交通事故のリスクより、めったにないテロに巻き込まれるリスクの方が「感覚的」に恐ろしいのだ。

 身の毛のよだつ光景と際限なく繰り返される報道とが相まって、テロには誰もが敏感になっている。私にも経験があるが、怯える人に落ち着くよう理屈で説得するのは難しい。テロにはシステム1に直接訴えかけるからである。(p256)

 カーネマンさんはこうした不思議だけど頷けるバイアスを軽妙な文章で次々と紹介してくれる。

 

得より損が嫌だー「プロスペクト理論」

 「システム1」と「システム2」の話だけでも、日常の「考え方の歪み」にずいぶん自覚的になれる。しかしカーネマンさんの講義はそこで終わらない。下巻ではさらに「エコン(経済的人間)とヒューマン(実際の人間)」「経験する自己と記憶する自己」というこれまた二極化した概念で、人間の「認知」の不思議を教えてくれる。

 

 「エコンとヒューマン」でわかりやすいのは、行動経済学の代名詞といってもいい「プロスペクト理論」である。

 これは図にするとこうなる(下巻p102より)。またもや雑だけど。

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 コインを投げて表が出たら100円もらえ、裏が出たら100円支払うゲームがあったとする。エコンから見れば、損得の確率は5割であり、フェアなゲームといえる。

 しかし、ヒューマンの認知はそうならない。ヒューマンにとって、100円を得る喜び(赤色)と、100円を失う損した感(青色)は、損した感の方が強いのだ。カーネマンさんは「損失は利得より強く感じられる」と指摘する。だからコインゲームの獲得金額が200円になったり300円になっても、「100円損する可能性」がどうにも重たく感じられてしまう。

 

 ここに書いたのはプロスペクト理論の最もシンプルな部分だけれど(実際には、ベルヌーイの誤りなる前段の原理もある)、これだけでも、「人は損に敏感な生き物」という理解を得られる。

 最近、携帯電話会社が「無料で牛丼をもらえる」キャンペーンをやっているが、これもプロスペクト理論の応用かもしれない。牛丼1杯の効用は高が知れている。しかし、「無料でもらえるものを、もらわない・もらえない」という「損感」は、たかが牛丼1杯と侮れないほど強いものなのかもしれない。

 

終わりよければ全て良しー「ピーク・エンドの法則」

 ラストの「経験する自己と記憶する自己」も面白い。ここでは「ピーク・エンドの法則」(下巻p256)がわかりやすい。

 

 日本でも古くから言われている「終わりよければ全て良し」を、理論的に証明したのが「ピーク・エンドの法則」だ。もはや図がなくても良さそう。つまり、「記憶する自己」は、その経験の「ピーク時」と「終了時」の評価を重く見る、というものだ。

 

 歯医者での治療を想像してみる。片方の治療は、最後がものすごく痛い。もう片方は、同じくらい痛いシーンもあるけど、最後にかけてゆっくり痛くなくなる。この場合、後から「辛かった」と思い出す治療は、前者の「最後が痛い」方だという。ピークの痛みは同じでも、前者の方はそのピークが最後にきてしまっている。

 

 失恋において、振られた方が振る方よりも引きずってしまうとしたら、それもピーク・エンドの法則かもしれない。振られて恋愛の最後に大きなショックを受けると、それまでの付き合いがいくら楽しくても、「嫌な思い出」や「未練が残る恋」になってしまうとして、不思議ではない。

 

 「ファスト&スロー」は上下巻で800ページ近い長大な作品だけれど、ここで紹介した何十倍もの豊富な事例と、そこから導けるバイアスの原則をレクチャーしてくれる。「サンクコストの呪縛」「ゴットマン理論」「保有効果」「後付けバイアス」などなど。その一つ一つが、「自分はどうしてこんなにダメなのか」というもやもやを晴らしてくれると思う。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 
ファスト&スロー(下) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

ファスト&スロー(下) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

  

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 行動経済学は政策にも活かせる。キャス・サンスティーンさんはオバマ政権下で、実際に行動経済学的な規制緩和に取り組まれました。「シンプルな政府」はその一部始終を描き、人の背中を押す「ナッジ」というユニークな政策論を学べる内容です。

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