読書熊録

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医師の視点ー読書感想「崩れる脳を抱きしめて」(知念実希人)

  知念実希人さんは作家であると同時に内科医であり、「崩れる脳を抱きしめて」は医師の視点がピリッと効いたミステリーだと感じた。神奈川県葉山町の海辺にある、高所得者向けの療養病院。抱えた過去から出世にこだわる研修医と、若くして脳に「時限爆弾」を持つ女性患者。女性が亡くなった場合の膨大な遺産を付け狙う親族や、院長らの不審な言動に、謎が膨らむ。実業之日本社。2018年本屋大賞ノミネート作品。

 

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崩れる脳を抱きしめて

崩れる脳を抱きしめて

 

 

誰のための病院?

 物語の端々に、知念さんが医業の中で感じたのかもしれない思いがにじむ。その細部が、ミステリーの本筋を引き締めているように思う。

 

 舞台の「葉山の岬病院」は全室が個室で、患者が希望することはなるべく叶えてくれる。病院内の飲酒や喫煙も、希望さえあれば。患者のために、できるだけの希望に沿う。映画好きだからと、室内にプライベートシアターを設置している男性患者の内村さんが、主人公の研修医・碓氷に「患者のため」とは何かを問いかける。

 「患者さんのためにねえ」内村さんは鼻の付け根にしわを寄せた。

 「あの、なにか?」

 「いやな、俺みたいな奴にとって、ここは理想の病院だ。自然に囲まれ、好きなことができ、持病もしっかり診てもらえるんだからな。けれど、そんな患者だけじゃないだろ」

 意識もほとんどなく、ベッドに横たわっている患者たちの姿が脳裏をよぎる。僕の表情の変化を読み取ったのか、内村さんは「それだよ」と人差し指を立てた。

 「意識のない患者にとっちゃ、『希望を叶えてくれる病院』なんて意味ないだろ。その『希望』ってやつがないんだからさ。そんな奴らが、なんでこんな高額の個室代がかかる病院に入院しているか分かるか? 簡単だよ、家族が望んでいるからだ。意識がない患者たちはほとんど、家族が金を払ってここに入院させているのさ」(p38)

 病院は誰のためにあるのか。本当に、患者のためなのか。そんな疑問がにじむ。

 

 こうした問題意識は、物語と無関係に描かれるものではない。碓氷は、この病院で28歳の弓狩環という患者と出会う。深刻な脳腫瘍を抱えた患者だ。弓狩は、どうしても病院の外に出たくないと語る。それは、弓狩が亡くなって、膨大な遺産の相続を心待ちにしている親族がいるからだ。待ちきれない親族が、病による寿命を前に、手を下す恐怖を感じているからだ。 

 

螺旋状の謎

 ミステリーとして本作は、複数の謎が螺旋状に絡み合う形式になっている。

 

 まず、主人公の碓氷。碓氷の父親は幼い頃、借金を残して、家族を捨てて、愛人と遠くへ消えた。そして間も無く、不慮の事故で命を落とす。雨の中、父親との最後の別れ。幼い碓氷は、耳元で父親から何かを語りかけられる。

 でも。いくら思い出しても、その最後の言葉は、雨の音にかき消されてしまう。弓狩は、碓氷の呪縛となっている最後の言葉を、明らかにしようと手を貸す。

 

 病院にも、不穏さが漂う。碓氷は3階の患者を担当し、弓狩も3階の患者だ。ある時、碓氷はふと2階の患者のカルテを手に取ろうとする。すると、院長が激しい剣幕でそれを制する。院長は、いったい何を隠しているのか?

 

 そして弓狩本人にも、秘密があった。

 

 ここからは、小説家としての知念さんの顔になる。絡み合った謎を、どうほぐしてくれるのか。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

崩れる脳を抱きしめて

崩れる脳を抱きしめて

 

 

 

 ミステリー×医療が本作なら、ミステリー×アートが一色さゆりさんの「神の値段」。こちらもいくつかの謎がより合わさって、見事に解けていく快感があります。

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 医師の視点が生きると、ノンフィクションも読み応えが出ます。アトゥール・ガワンデさんの「死すべき定め」は、自ら見つめた終末期の様子から、死はなぜ苦しいのか、どうやってそれに向き合うのかを考えるきっかけを与えてくれます。

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