読書熊録

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何度でもその日に備えるー読書感想「働く大人のための「学び」の教科書」(中原淳)

 大人になったら誰も、「勉強の仕方」を教えてはくれない。だから私たちは、本書「働く大人のための『学び』の教科書」を開くのだ。

 

 人材開発、リーダーシップ開発をアカデミックの目線で研究してきた中原淳さん(出版時:東京大学・大学総合教育研究センター准教授)が、分かりやすい言葉で、具体的な方法で、「大人にとって大切な学び」を説いてくれる。

 それは3つの原理。そして7つの行動。

 学生の努力がテストで花開くように、コツコツと学んだ大人にも、それを結実できる人生の「試験日」がきっとある。何度も、何度でも、その日に備えるために、いま学ぼう。かんき出版。

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働く大人のための「学び」の教科書

働く大人のための「学び」の教科書

 

 

背伸びの原理ーコンフォートでもなくパニックでもなく

 中原さんの著作、言説の特徴は、とにかく明快であること。

 大人にとって「学び」は「自己啓発」に置き換えられがちで、そういったジャンルの本の中には抽象的であったり精神論に走るものの少なくないと思う。

 中原さんはその道に落っこちない。「働く大人のための『学び』の教科書」では、学ぶための心構えや基本前提を「3つの原理」にまとめる。そして、3つの原理に基づいて実際にどんな行動を取ればいいのかを「7つの行動」として示す。

 

 3つの原理とは、①背伸びの原理、②振り返りの原理、③つながりの原理である。このエントリーでは、このうち最初の「背伸びの原理」のみを紹介したい。「振り返りの原理」「つながりの原理」が気になる方はぜひ、本書を手にとってみてほしい。

 

 「背伸びの原理」とは何か。それは、人間の心理状態を「コンフォートゾーン」「ストレッチゾーン」「パニックゾーン」に分けた時、「ストレッチゾーン」に置くことだと中原さんは語る(p54)。図にすると、こんな感じになる。

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 「コンフォートゾーン」とは、「現在の能力で十分、対応が可能な仕事やタスクをこなしているゾーン」(p52)だという。この「こなしている」というのがポイント。働いて2年や3年もすれば、一通りの仕事は覚えてしまう。その覚えたことを、無意識で、ささっとやれてしまう状況が「こなしている」ということだと思う。

 

 これに対して、「背伸び」と聞くと、ついつい「今の自分ではできない仕事」をイメージする。そしていきなり入り込んでしまうのが「パニックゾーン」、「現在の能力や実力に比べてとんでもなく高い挑戦」(p54)だ。

 しかし中原さんによると、パニックゾーンは「『できない、できない』と不安に苛まれたり、過剰な背伸びに気後れしてしまったりして、心理的混乱をきたしかねません。要するに学びどころではなくなってしまうのです」(p54)という。

 

 その中間にあるのが、「ストレッチゾーン」だ。ここはコンフォートゾーンとは違って、現在の能力では対応は難しい。一方で、パニックゾーンとは違って、パニックや恐怖にがんじがらめになるほど、「無茶振り」ではない。

 

 大人が学ぶためには、自分自身の心理状態をいかにこの「ストレッチゾーン」へ持っていくかが大切だという。こう聞くと、ただ「背伸びをしなさい」という教えを胸に刻むより実際的だ。今自分は、コンフォートゾーンで満足していないか。頑張ろうとしすぎて、パニックゾーンに陥っていないか。そう自問することで、成長のマインドを保っていける。

 

7つの行動ータフアサイメントや読書

 3つの原理を心にセットできたら、いざ行動。ここでも中原さんはバシッと、7つの行動を示してくれる。

 7つの行動とは、①タフアサイメント、②本を1トン読む、③人から教えられて学ぶ、④越境する、⑤フィードバックをとりに行く、⑥場をつくる、⑦教えてみる。ここでは「タフアサイメント」と、「本を1トン読む」をピックアップしたい。

 

 タフアサイメント、すなわち「タフな仕事」から学ぼうというのが、第一の行動だ。大人にとっての学びが、まず「仕事」であることがポイントになる。その理由は、私たちが仕事に投入する「時間」にある。中原さんはこう語る。

 わたしたちがオフィスにいる時間は膨大です。ある試算によると、60歳まで同じ会社で働くとすると6万8000時間くらいにものぼるそうです。

 小学校から高校までの、いわゆる教育機関で過ごす時間は、だいたい1万4000時間といわれ、わたしたちは、その約5倍の時間を、オフィスで過ごしていることになるのです。

 ということは、ホワイトカラーのビジネスパーソンにとって、職場を「学び舎」にする、つまり職場で仕事を通じて「学ぶ」ということが、実は一番の根本になります。(p88)

 小中高で学んだ約1万4千時間の5倍、実に6万8千時間を、定年までの仕事に投入する可能性がある。もしも仕事がつまらなかったら、それに身が入らないなんて言っていたら、とてもじゃないが大人は学べない。だから大人にとっての「第一の学び舎」は、「職場」にしていたい。

 そのためにも、会社の事業における「タフな仕事」に手を出すこと。そこに飛び込んで、学んでいくことが大切になる。

 

 

 続いて印象的な「本を1トン読む」。これは、ヤフー株式会社の宮坂学社長の言葉から取ったフレーズらしい。「本を1トン読む」は読書をたくさんせよというメタファであると同時に、「リアルに1トン読む」ということでもある。

 

 中原さんはこんな計算をする(p101−103)。首都圏のサラリーマンの平均通勤時間は往復116分。単純計算で、1年で合計約425時間になる。

 本1冊を読むのに3時間かかると仮定する。単行本の平均的な重さは1冊400グラム。1年(上記の425時間)で読み終わる本は141冊で、それはすなわち、56・4キロの本ということになる。

 この計算でいくと、1トンの本を読むのにかかるのは、実に18年になる。

 

 つまり、「本を1トン読む」とは、「18年後に向けてコツコツと毎日読み続ける」ということだ。22歳からこの意識で読書を続けた時、40歳になる頃にようやく「1トンの力」が身に着く。

 裏を返すと、「本を1トン読む」は一朝一夕では絶対に成し得ない。それをやった人と、やっていない人の差は18年後に出るとして、18年後に取り返そうと思ってもそれは叶わない。だから「今日から」本を読む。1トンを目指して、今日から始めるべきなのだ。

 

大人の「試験日」はいつくるか分からない

 本書の後半はケーススタディになる。実際に30−40代の7人のビジネスマンの半生を振り返り、「3つの原理」や「7つの行動」がどう生かされているかを考察する。この7人は中原さんが「学び賢人」と呼ぶほど、キッチリと原理や行動を落とし込んで、学んできた。

 

 ここでハッとさせられたのは、学びを実際に生かす場面は「いつ来るか分からない」ということだ。それが大人の学びにとっての「試験日」だとして、いつだって抜き打ちなのだ。

 

 例えば、中小企業支援の仕事をする40代のMさん。最初に入った大手食品会社で仕事をしていた20代前半、ビジネス書を読み漁った。これは7つの行動の②「本を1トン読む」の実践といえる。

 31歳で入った経営学部修士コースは、一見、20代前半の読書経験が生きそうな気もするが、本格的に入学せずに終わってしまう。ところが。32歳で異動した部署で、勉強を仕事に活用できる局面がやってくる。

 学んだことが生きた、とうのは、いつだって結果論だ。もしもMさんが20代前半で読書に明け暮れなかったら。修士コースを離れた31歳で学びはもう意味がないと見切ったら。生きる瞬間は、やってこなかったかもしれない。

 

 中原さんは別の方の体験の「解説」で、「キャリアを開き出す人は偶然を見逃さない」と指摘する。

 転機は「前もってプランニングできるもの」ではなく、「ひょんなこと」や「たまたま」からはじまりますが、大切なことは、キャリアを開き出す人は、その「たまたま」や「ひょん」を見逃しません。そこに少しでも気乗りするところがあるのなら、やったことのないことでも「やってみよう」と一歩先ゆく勇気をもっているのです。(p249)

 学びは、プランニングのためではない。むしろ偶然に舞い込んで来るチャンスを、突然自らを試されたその時に、きちっとボールにバットを当てるために、必要なのだ。プランニングできないもののために学ぶ。これは刺激的な発見だった。

 

 だから学ぶのは楽しいのかもしれない。学べば学ぶほど、人生の予期せぬことも、笑顔で楽しめるんじゃないだろうか。

 

 

 

 今回紹介した本は、こちらです。

働く大人のための「学び」の教科書

働く大人のための「学び」の教科書

 

 

 学ぶって楽しいな。そんな感想は、行動経済学の筆頭研究者ダン・アリエリーさんの本を読んだときも感じました。「『行動経済学』人生相談室」は、新聞のお悩み投書にダンさんが答える形式で、非常に読みやすくおすすめです。

www.dokushok.com

 

 「働く大人のための『学び』の教科書」はいわゆる「人生100年時代」を前提にしています。このライフシフトをどう生きるか、人工知能とベーシックインカムという最新技術が有効な打開策になるのでは、という刺激的な論考を読めるのが波頭亮さんの「AIとBIはいかに人間を変えるのか」です。

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