読書熊録

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「左ききのエレン」という労働讃歌に支えられている

 「左ききのエレン」という漫画は働く人へのエールだと思う。うまくいかなくても、辛くても、格好悪くても、なんとか今日を働ききった誰かに向けた、労働讃歌だ。そして、それでも夢や理想を捨てられない労働者へ。何度も読み返して、何度も支えられている。印象的なシーン(ことば)を紹介したい。

 

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左ききのエレン 1 (ジャンプコミックス)

左ききのエレン 1 (ジャンプコミックス)

 

 

 

左ききのエレン 2 (ジャンプコミックス)

左ききのエレン 2 (ジャンプコミックス)

 

 

 

左ききのエレン 3 (ジャンプコミックス)

左ききのエレン 3 (ジャンプコミックス)

 

 

天才になれなかった全ての人へ

 天才になれなかった全ての人へ。「左ききのエレン」は、こんなフレーズから幕を開ける。これはまさに、自分の才能や実力に歯噛みして、「普通に」働く労働者に向けられている気がする。

 

 原作はかっぴーさん。クリエイターサイト「cakes」で2016年3月から17年9月まで連載され、既に完結している。コミックスはnifumiさんの漫画でリメイクされていて、「少年ジャンプ+」で配信されている。現在3巻。4巻は8月3日発売予定だそうだ。

 

 広告代理店「目黒広告社」の末端デザイナー朝倉光一(26歳)の奮闘を描く。かっぴーさんはかつて広告業界で働いていたそうだ。1巻の帯でこう語っている。

ぼくも、この漫画の舞台である広告業界で働いていました。そこで出会った格好いい仲間達のために、想いを込めてつくりました。どうか、最後までお付き合いください。

 

 光一は決して、天才じゃない。仕事でもうだつはあがらず、先輩社員で若手エースの神谷雄介の下でなんとか、大失敗をしないように日々をやりきるので精一杯だ。

 

 実は本人も、自分が天才じゃないことには薄々気付いている。それは美大を目指した高校時代、とてつもない才能に出会っているからだ。それが同級生のエレン。横浜の美術館の壁面に、バスキアを思わせるアートを書き殴った女性の絵描きだった。

 

 「左ききのエレン」は群像劇といっていい。下っ端として汗を流す光一。光一を育てつつ、未来を見据える神谷。チームメンバーの三橋由利奈。営業、スタイルの違う先輩、競合他社。そして、光一に才能のなんたるかを見せつけたエレン。光一とエレンが出会った高校時代、美大時代と現在を行ったり来たりしながら、もがいて進むそれぞれの人生が紡がれていく。

 

 

オレはオレの事ばっかりだ

 端的に言ってしまえば、光一の労働環境はブラックだ。1巻の最初では、午前10時のプレゼンが予定されている日の2時間前、光一は会社のデスクで目覚める。30時間ぶっ続けでプレゼン資料を作っていたのに、寝落ちしてしまったらしい。

 

 神谷の助けも借りながら資料をギリギリで完成させ、なんとかプレゼンに勝つ。でも、光一には荷が重すぎると、その後のデザインワークからは外されてしまう。神谷は光一をねぎらおうと、みっちゃん(三橋)も連れて飲みに出る。

 

 神谷はこう言って励ます。

なんつーか…まあ

あの箭内道彦だってAD(アートディレクター)になるのに8年かかったんだ

またがんばろうぜ

 

 でも、光一は心の中で思う。「がんばってるよ」。そして生ジョッキを叩きつけて、中座してしまう。街を彷徨っていると、みっちゃんからメッセージが届く。「お疲れ様です」。本文には、神谷が部長にずっと掛け合っていたけど、どうにもならないから飲みに誘ったんだと明かされていた。「神谷さんの気持ちもわかってあげてください」。その言葉に、光一は嗚咽する。

ダセェ…

ダセェ… ダセェ…

オレはーーオレの事ばっかりだ

 

 こんなにがんばっているのに、なんで報われないんだろう。隣の芝生が青くみえるどころか、焼き尽くしてしまいたいほど羨ましく思える。でも、そうなんだよな。自分は自分のことばっかりで。その間に、「自分のために」がんばってくれている誰かの努力なんて、目に入っていなくて。そんな気持ちを代弁してもらったようなシーンだった。

 

照らされる星をうらやむな

 光一はその後、エレンがバスキア顔負けのグラフィックアートを描いた美術館を訪れ、高校時代を懐かしむ。そこから気持ちを入れ直して仕事をして、2巻にかけては「クリエイターと営業がどう関わり合えばいいものを作れるのか」というテーマに向き合っていく。

 

 ネタバレにならないように文脈は省くけれど、2巻の途中で神谷が光一に放ったこの言葉が胸に残っている。

脚光を浴びたいか 有名になりたいか?

照らされる星をうらやむな…

照らされる事を待つな…

スターを照らす側の人生だってあるんだ

 

 「天才になれなかった全ての人」は本当はわかっている。「脚光を浴びたい」と思うと同時に、自分は脚光を浴びる側じゃないかもしれない、と。スタークリエイターである神谷でさえ、こう語るんだ。照らされる星が遠く遠くにあることは、厳然たる事実なんだろう。

 

 照らす側に回る決意がつけば、どれほどすっきりするだろう。働くというのは大抵が「照らす側」の役割だと思う。そこに迷いなく向き合うことはなかなか難しい。悩みながらも、照らすことに向かっていくことが、大切なんだとはわかっている。

 

クソみたいな日にいいもんつくるのがプロだ

 神谷は本当にいい先輩だと思う。3巻では、こんな哲学を光一に伝える。光一が「営業がしっかりやってくれれば」「クライアントが無茶を言わなければ」、もっとクオリティの高いものが作れるのに、とこぼしたことへの答えだ。

 確かに…そりゃそうだ

でもそんな”万全”一生こねぇぞ

体調最悪でも 2日寝てなくても 友達に裏切られても 女にフラれても

その中で歯くいしばってひねり出した仕事が お前の実力の全てだ

クソみたいな日に いいもんつくるのがプロだ

 

 先に神谷が言った「照らす側になれ」という言葉と合わせて噛み締めると、味わい深い。実力とは「そこにあるもの」だ。もし今、照らされていないんだとしたら、それが実力だ。

 

 だから夢見てる場合じゃない。まさに「今」何ができるか。どんなに実力が足りなくたって、悪条件だって、その中で「いいもん」を生み出していくこと。それが「プロ」であって、「プロ」にはいつだってなれる。もしかしたらその先に、「夢」が見えてくるのかもしれない。

 

 この他にも、ある意味もう一人の主人公エレンと光一の関わり合いもむちゃくちゃ面白い。「思い出」がいまをドライブして、働くに向かい合っていくことが描かれる。しかしながらネタバレの要素が大きくなってしまうので、ここでは割愛する。

 

 3巻では、光一にも神谷にも「転機」が訪れる。この「転機」というのも、働いていてつきものだ。それは必ずしも、自ら望んだタイミングには来ない。その時、どうするか。光一の背中を見つめながら、今日も、自分も、がんばってみようと思える。

 

 今回紹介した漫画は、こちらです。

左ききのエレン 1 (ジャンプコミックス)

左ききのエレン 1 (ジャンプコミックス)

 

 

 

左ききのエレン 2 (ジャンプコミックス)

左ききのエレン 2 (ジャンプコミックス)

 

 

 

左ききのエレン 3 (ジャンプコミックス)

左ききのエレン 3 (ジャンプコミックス)

 

 

 村山早紀さんの「百貨の魔法」は、働くことの大変さと輝きを描いた小説です。傾きつつある百貨店を舞台に、ひとつまみの魔法をちりばめて。

www.dokushok.com

 

 神谷のように、真摯に仕事に向き合う中で出てくる言葉というものがある。それを感じさせてくれるエッセイが「あるノルウェーの大工の日記」です。タイトル通り、大工のオーレ・トシュテンセンさんの日々の思考が言葉にされています。

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