読書熊録

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共を厚くするー読書感想「広く弱くつながって生きる」(佐々木俊尚)

 公(パブリック)と私(プライベート)の間には、「共」という空間がある。共を厚くして、長い人生の旅路をもっと生きやすくしていく。そんな考え方を教えてくれたのが、ジャーナリスト佐々木俊尚さん「広く弱くつながって生きる」だった。

 

 200ページ弱の短い本で、さくっと読め。でも、学び・気付きはじんわりと胸に残る。ポイントは、誰にでもできることを説いている、ということ。フリーランスになろうとか、副業をしようとか、そういったハウツーではない。「つながる」とはどういうことか、人生とは何か。考えるとき、ステッキになる一冊。幻冬舎新書。

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広く弱くつながって生きる (幻冬舎新書)

広く弱くつながって生きる (幻冬舎新書)

 

 

公・共・私

 「弱いつながり」とは「行けば会える」ような関係のことを言う。

 

 たとえば佐々木さんは、毎年5月に丹沢のキャンプイベントに参加している。そこでジビエ(鹿とか猪とか野獣の肉)を食べる会をやっている若者に出会って、今度はその会に参加する。毎日顔を会わせるわけじゃないけれど、ある場所に行けば、あるいは活動に参加すれば、「よお」と挨拶できるような距離感が、弱いつながりに当たる。

 

 なので弱いつながりは、社会活動とかサークル活動と言い換えてもいい。家庭や会社とはまた違う、ふんわりとした関係性を「広く・浅く」持つことを言う。

 

 なぜ弱いつながりが大切になるか。佐々木さんは、社会には「公・共・私」の3つの空間があり、弱いつながりは「共」にコミットすることだと説く。だから弱いつながりを探しに行くことは、社会の問題に関わることにもつながる。

 

 面白いのは、共に関わっていくことは、公や私を変えていくことになる、という指摘だ。

政府や自治体を敵と考えると、すぐに「けしからん」になりますが、私が集まって共をしっかり形成すれば、公を変える・動かす・やらせることは可能です。また、それによって私もよくなります。共を中心にして、公と私がどんどん変わっていくというイメージが、成熟した社会には不可欠だと思います。(p58)

 

 この言葉に触れた時に、クラウドファウンディングってまさに共だな、と思い浮かんだ。以前、「スタディ・クーポン」というプロジェクトに寄付をした。塾に通う経済的余裕がない家庭にクーポンを配布し、それを使って子どもたちは塾に通える、という仕組み。公ではなかなか追いつかない教育支援を、私が集まった共の力で実現しようという取り組みだった。

camp-fire.jp

 

 共に関わっていくことが、公を変える火種になる。共を通じて社会問題に関心がリンクし、私(自分自身)に学びが還元される。「弱いつながり」を紡いでいくことは、社会とつながる回路を築くことなんだろうと思った。

 

相互作用の中に個人がある

 弱いつながりの大切さは、関係性という観点から考えることもできる。

 

 佐々木さんが1990年代に読んだ倫理学の本で「自分探し」について書かれていた。その著者は、「会社を辞めて世界を旅して、本当の自分をパリのセーヌ川に見つけた」という話に「おかしい」と疑義を呈したという。

 しかし、その倫理学の本によると「それはおかしい」と。本当の自分がどこか遠くにいるというのは大いなる誤解で、会社の同僚や友人といった身近な人間関係の中にしか存在しないと述べていました。まったくその通りです。

 個を高めたいのであれば、他者との相互作用をより良くする方法を考えることが一番大切だと思います。(p89)

 個を高めたいのであれば、他者との相互作用をより良くする方法を考える。逆説のようになるけれど、「他者の中にこそ自分がいる」ということだろうか。

 

 つまり、弱いつながりを築き、大切にするほど、個人=自分が見えてくるということになる。強く狭い人間関係で見える自分を解きほぐしてみる。違った課題、違ったコミュニティの前に自分を立たせてみて、鏡にリフレクションする姿を見つめてみる。弱いつながりは、自分自身の再構築すること、とも言えそうだ。

 

 この話は、本書を知るきっかけになった座談会のレポートにリンクする。具体的には、座談会の中で出た「自己愛過剰社会」という言葉と結びつく。

www.gentosha.jp

 

 「自分をブランディングする」という言葉はもはや人口に膾炙している。まるで「自分」を愛していなければ生きていけないかのようだ。

 でも、弱いつながり、相互作用の中に自分があることを考えると、いくら自分を愛そうとしても愛せるわけではないのかも、と思う。自分を掘り下げた末に、あるいは自分を探し回った先に自分はない。もしも自分を愛したいのなら、自分以外の誰かとちゃんと関わりあうしかないんじゃないか、と思った。

 

ピークハントとロングトレイル

 佐々木さんのお話の中には、人生とはなんだろうという尽きないテーマに関してもヒントがあった。それがピークハントとロングトレイルの違いだった。

 

 佐々木さんは登山が好き。登山といえば、頂上を目指すやり方「ピークハント」がイメージしやすい。でも佐々木さんは、頂上を「到達点」ではなく「通過点」として、峠の上り下りも含めた山歩きそのものを楽しむ「ロングトレイル」の方が好きだという。そして、「人生とはピークハントよりロングトレイルに近いのではないか」と考える。

 

 山登りには、頂上のように見えて実は一歩手前の峠の頂点だった、という「偽ピーク」がある。佐々木さんは人生も「偽ピークの連続」と指摘する。

 人生も同じです。通過点をゴールだと思いすぎたり、あらぬゴールを仮定して期待感を高めるから、かえって失望感や徒労感も大きくなります。峠を越えるくり返しにすぎないと認識し、いま歩いていることを楽しんだ方がよほど毎日が充実すると思います。(p180)

 

  人生は峠を越えるくり返しにすぎないし、だからこそ、いま歩いていることを楽しむ。変化のスピードがどんどん早くなって、不確実性も増すいまだからこそ、ロングトレイルという考え方には希望がある。

 

 どうせ長い旅路ならば、早く着くよりも、楽しんでもっと長くするくらいでもいい。弱いつながりは格好の寄り道なんじゃないかと思う。いろんなところに顔を出して、気付いて。回り道をしつつ、長い旅路にを歩くのも、悪くはなさそうだ。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

広く弱くつながって生きる (幻冬舎新書)

広く弱くつながって生きる (幻冬舎新書)

 

 

 

 本書と一緒に読むことで世界が広がりそうだな、と思ったのが、いとうせいこうさんの「『国境なき医師団』を見に行く」でした。人道という言葉を一生懸命実現しようとする人たちに、せいこうさんが触れ合っていく。その出会いは一瞬なんだけれど、強烈な生命力にあふれたものです。

www.dokushok.com

 

 長い人生のおともにぴったりな本として挙げたいのはシェリル・サンドバーグさんの「OPTION B」です。「偽ピーク」に直面して打ちひしがれた時、もう一度歩き出すには。レジリエンスを学ぶ一冊です。

www.dokushok.com