読書熊録

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世界はシャボン玉ー読書感想「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」(奥野克巳)

 「ありがとう」も「ごめんなさい」も言えない人がいるとすれば、日本では「ダメな人」として扱われるだろう。でも、どちらも「いらない」社会がある。「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」は、それを教えてくれる。

 

 大学在学中にメキシコの先住民を訪問したり、卒業後に商社に勤めたり、ユニークな経歴の奥野克己さんの著作。ボルネオ島の狩猟採集民「プナン」の暮らし方・考え方から、日本の「当たり前」を見つめ直す。

 反省も感謝も、後天的な「文化」であること。そこには「今日より明日が素晴らしい」という直線的な時間概念が関係していること。いつのまにか、日本で絶対的な価値観が「シャボン玉」として可視化される。それは外から眺めてみれば美しくも儚くて、意外に取るに足らないものだと分かる。亜紀書房。

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ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと

ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと

 

 

なぜプナンに「反省」がないのか

 プナンの人々は反省しない。例えば奥野さんが街で買ったバイクを貸す。使っていてタイヤがパンクしたそれを、平気で返してくる。反省はない。だから申し訳ないとかいった謝罪もない。それは反省を見せない、とは違う。反省する様子そのものがみられないのだという。

 

 なぜ、反省しないのか。これが難しい。そもそもプナン語には「反省する」という意味の言葉もない。「その『不在』を、真正面から記述によって浮かび上がらせるというのは、実はなかなか難しい」(p46)と奥野さんは語る。なにかが「ない」ことをうまく説明するのは、たしかに簡単じゃない。

 

 奥野さんは二つの理由を考えてみる。一つは、プナンの「状況主義」。プナンの人々は狩猟民族で、日夜イノシシを狩って食べている。今日狩りが成功するかどうかは、そのときの状況で変わる。そうした環境下では、論理的な後悔や反省はそれほど意味をなさない。

 もう一つは、プナンの人々の時間の捉え方。これが面白い。

(中略)直線的な時間軸の中で、将来的に向上することを動機づけられている私たちの社会では、よりよき未来の姿を描いて、反省することをつねに求められる。そのような倫理的精神が、学校教育や家庭環境において、徹底的に、私たちの内面の深くに植えつけられている。私たちは、よりよき未来に向かう過去の反省を、自分自身の外側から求められるのである。しかし、プナンには、そういった時間感覚とそれをベースとする精神性がどうやらない。狩猟的な時間感覚は、我々の近代的な「よりよき未来のために生きる」という理念ではなく、「今を生きる」という実践に基づいて組み立てられている。(p51)

 私たちが反省するのは「直線的な時間軸」に生きているからではないか。それも、どこか右肩上がりの。だからこそ、将来につながると信じて、あるいは過去の失敗を繰り返すのを恥ずかしいと感じて、「反省」する。

 でもプナンは違う。プナンには「今」だけだ。「今」が積み重なるというより、明日もまた違った「今」がやって来るような時間感覚だ。そこには軸もないし、円環的というのともまたちょっと違いそうな、独特の時間感覚がある。

 

 そう考えると、反省というは人間の自然的機能ではない。奥野さんの語るように、我々はある種、社会的要請という「外側」から反省が求められ、その結果、反省を内在化している。

 言い換えれば、反省するということに疲れること、嫌になることがあってもおかしくないのではないか。だってそれは、あくまで日本の中で自明化されたことだからだ。

 

ビッグマンとポルカ

 プナンには「ありがとう」もない。何かをもらった時に「感謝する」ということがない。これもまた、面白い話だ。

 

 感謝がないということは、「もらうことが当たり前」ということだ。それは反対に「与えることも当たり前」ということでもある。プナン社会では、あらゆるものが共有化されている。だからジャイアンじゃないけれど、「お前のものは俺のもの」でかつ「俺のものはお前のもの」なのだ。

 

 だから、プナンでは「偉い人」(社会的地位の高い人)は「資産家」ではない。むしろ、ものを「循環させる人」、与えられたものをすぐ別の誰かに与える人が尊敬される。そんな徳の高い存在は「ビッグ・マン」と呼ばれる。

 反対にいわゆる資産家、「独り占め」する人は卑しい人だと認識される。ビッグ・マンの言葉にはみんな耳を傾けるけれど、独り占めする人は社会的信用を持たない。なぜ、こんな倫理観が存在するのだろう?

 なぜそこでは、このような社会道徳が発達してきたのか? それは、食べることと生きることに深く関係するように思われる。狩猟に出かけて獲物が獲れなくても、隣の家族で獲物が獲れた場合は、そちらに行って食べさせてもらう。逆の場合、つまりこちらで獲物が獲れてあちらで獲れなかった場合、こちらはあちらに惜しみなく食べものを分け与える。そうすることで、共同体の誰もが、空腹に困らず、つねに食べることが可能になる。つまり、ものがある時に惜しみなく分け与えることで、ものがない時に分け与えられることを保証する仕組みが築かれてきたのである。(p70−71)

 狩りというのは、獲物が獲れる時も獲れない時もある。だから、「与えること」に積極的になることで「もらうこと」を保障してもらう。プナンの気前のよさは安全保障ということだ。その結果、与える人こそ偉大=ビッグ・マンという道徳が育った。

 

 この話を聞いて、なるほど、と思ったことがある。それは最近日本で生まれた「polca(ポルカ)」という金融サービスだ。「クラウド・ファウンディング」からさらに進展して、知人や友人といった身近な人から支援を募る「フレンド・ファウンディング」というユニークな仕組みになる。

polca.jp

 なぜ、かつての「投げ銭」「たのもし講」のようなポルカが流行りつつあるのか。それはプナンの人々がとったような、安全保障なんじゃないかと思ったのだ。

 

 プナンの人は「与える/与えられる」の安全保障のために、所有欲を放棄しているとも言える。所有しない代わりに、共有という安全を手に入れている。ポルカの根底にもこうした考えがあるのではないか。見返りだなんだといわずにお金を与えるのは、お金を所有しない代わりに共有できるコミュニティを生み出そうとしているのではないか。

 

 狩猟民族の道徳観を、テクノロジーをもって日本社会に取り込んでいる。そう考えると、ポルカというサービスはますます面白く思える。

 

神々しい価値観を手放す

 反省も感謝も、あった方がいいとか、ない方がいいとかいうものではない。そこは奥野さんも念押ししている。だから反対に、日本社会が「進んでいる」とか、プナン社会が「遅れている」ということもない。本書の醍醐味は、そうした「直線的」な価値観を相対化して、距離を置く思考ができるようになることだ。

 

 プナンを知ることで、反省も感謝も「外から」付与されたものだとわかる。外とは、日本という社会、あるいは国家、制度、世間と言っていいかもしれない。我々と同じ人間であるプナンの人には反省も感謝もない。それでも豊かに生きている。

 

 奥野さんはこの相対化の意味を、こんな言葉で伝えてくれる。

 まじめに学校に行って勉強しなければならない、民主主義の一員として選挙に行って投票しなければならない、地球生態環境に生きるはしくれとして地球温暖化の危機をなんとかしなければならないなど……、個人の思考とは別に外部から個人のもとにやって来る今日のほとんど自明視されて揺らぐことのない「神々しい」までの価値観に対して、プナンが投げかける、疑いになる以前の疑いの断片。あるいは、高潔な理想を掲げることにより世界を構成する、強制的・半強制的な制度やルールに対する無意識の次元の反意とでもいうべき態度。そのような物事が立ち上がる以前の、言葉にされることがない問題感覚にこそ、特大の意義があるのではないだろうか。(p182)

 民主主義、人権、環境保護。日本人が「学校」で教わる価値観は、まるで人類の到達点として語られる。それは「神々しい」もので、反論や許されないし、納得できて当たり前のように語られる。でも、そうじゃない世界がある。しかもプナンの人たちは別に肩肘張ってオルタナティブを唱えるのではなくて、自然体として別の価値観を体現し、「疑いになる以前の疑いの断片」を投げかけてくれる。

 

 日本を息苦しいと感じた時、この断片を手にとってみるのもいいんじゃないか。その断片は、「神々しい」ものの呪縛性を明らかにしてくれる。高潔な理想の強制性を明らかにしてくれる。

 

 すると、社会と自分の間に「隙間」を確保できる気がする。とたんに、呼吸ができそうだ。プナンの人たちを思い起こす時、どこか生きやすくなる。本書はそうした「窓」の役割を、優しく果たしてくれている。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと

ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと

 

 

 社会と自分の間に「隙間」をつくるという考え方は、同じく文化人類学者の松村圭一郎さんの著書「うしろめたさの人類学」で学びました。こちらはエチオピア社会を見る。おなじく日本社会が相対化されます。

www.dokushok.com

 

 人類学と並んで行動経済学も、学ぶことで社会や人生を眺め直す「視点」を手に入れられます。入門編としてはダン・アリエリーさんの「『行動経済学』人生相談室」がオススメです。

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