読書熊録

本に出会う歓びを、誰かと共有したい書評ブログ

ベルリンに学ぼうー読書感想「ベルリン・都市・未来」(武邑光裕)

日本は壁にぶちあたっている。戦後、エコノミックに驚異的な成長を遂げた後、直面した高齢化社会に未来を描ききれないでいる。一方で、日本と同様に敗戦を経験したある場所が、いまや最先端都市として興隆している。それが、ドイツの首都ベルリン。なぜベルリンが?そのヒント、レシピを学ぼうというのが本書「ベルリン・都市・未来」だ。

 

著者はメディア美学者で、ベルリンに在住する武邑光裕さん。ドライブ・シェアやフィンテックをはじめとして、次々に社会を刷新するスタートアップ。テクノミュージックをはじめとしたカルチャー・シーン経済。芽吹いては花咲くベルリンの先進性を間近で見ている武邑さんだからこそ、手触りのある情報を提供してくれる。太田出版。

f:id:dokushok:20180917103238j:plain

 

 

ベルリン・都市・未来

ベルリン・都市・未来

 

 

レガシーの壁がない

ベルリンはなぜいま、最先端なのか。それはレガシーという「壁」がないからだ。これが逆説的で面白い。戦後の冷戦で壁が築かれ、分断され、発展の機会が奪われたからこそ、いまのベルリンはフリーダムなのだ。

 

ドイツといえばやはり自動車産業。しかし、その生産拠点や、他の大企業はほとんどベルリンに立地していないという。つまりベルリンには、既得権益がない。もちろんそれは冷戦の数十年間で権益を育みきれなかったと言い換えてもいいけれども、21世紀になって訪れた変化の激しい時代、ハンディキャップは強烈なアドバンテージに転化した。

 

「再生」も力になった。東西分断からの統合というのは、強烈なイノベーションを必要とする事業だった。交通も電気も上下水道も、あらゆるものを一つにしなければ統合できない。それは行政のトップダウンで進められると同時に、民間のボトムアップもなければ成し遂げられなかった。

 

武邑さんはここに、「創発(emergent)」の素地が出来上がったとみる。自由の下地である。

 もし「ベルリンの壁」がなかったら、この街はどうなっていただろうか? 愚問であると知りつつも、壁が人々から奪ったものと、壁から与えられたものを僕らは探している。「壁」の時代の不幸を乗り越える試練の壁が与えられた。その記憶こそ、ベルリンの比類なき財産でもある。(p26)

 壁が奪ったものが、いまのベルリンの財産である。美しい逆説だ。

 

日本はこれとは逆に、高度経済成長という「成功体験」が「負債化」しているような気がする。人口増、所得増、経済拡大の右肩上がりの時代に構築した社会システムがレガシーとなって、なかなかスピーディーなチャレンジに取り組めない。いまだに「出る杭は叩く」をやっている。

 

ベルリンに学ぶとすれば、レガシーからのドラスティックな「アンラーニング」こそ日本に求められているのかもしれない。

 

蜂と木の共創関係

ベルリンの最先端性はスタートアップの活気にある。ソーシャル・イノベーションと言ってもいい。

 

たとえばドライブ・シェアでは「mytaxi」。タクシードライバーとユーザーをアプリで繋ぐというシンプルな中身だけれど、始まったのが2009年というから、日本から考えれば10年近く早い。あるいはオンラインバンクの「N26」。パスポートとスマホさえあれば、たった8分で口座開設が可能だという。

 

武邑さんはスタートアップが次々と誕生するベルリンを「蜂と木」のメタファーで解説する。

 小規模な組織や起業家は、素早いフットワークで相互受粉する「蜂」で、根を土壌に深く張る「木」は大企業や政府組織だ。その木が持つ弾力性と規模が、蜂との効果的な提携を実現する。ソーシャル・イノベーションの成功は、「蜂」と「木」との間の同盟に依存している。「蜂」は、新しいアイデアを持ち、迅速に交配が可能な小規模な組織、個人だ。「木」は斬新な創造性という意味では不足があるが、物事を起こすための根と規模(立法権限や資金、ネットワーク)を持つ政府、企業、またはNGOのような組織である。どちらもお互いを必要としている。(p143)

小回りが利き、花粉を運ぶようにアイデアをあちこちに広げる「蜂」としてのスタートアップや個人。なかなか動けないけれど、培った資本やネットワークを蜂に提供する「木」。蜂と木の「同盟関係」こそ、ベルリンの強さだという。

 

蜂と木が互いを助け合う社会の前提は、やはり「壁が築かれ、壊された歴史」だろう。荒廃した都市の再生という共通の目的を、ともに達成してきた経験だろう。

 

ここでも日本が見習うべきポイントがあるだろう。日本において蜂と木はまだまだ同盟関係とは言えないように思う。蜂が自由さを強調して木を批判し、木は不自由さを棚に上げて蜂が無責任だと嘲笑うシーンさえないだろうか。

 

これから雇用流動性が増していく中で、あるいは高齢化社会をどうクリアするのかという目的が戦後ベルリン並みの逼迫さを持ったとき、鮮やかな同盟関係を獲得できると信じたい。

 

デジタルヒッピーの夢

ベルリンのもう一つの強みはカルチャーだ。音楽、美術。ベルリンは文化の発信地であり、魅力的な観光地が揃う欧州にあってもなお人を惹きつける観光都市でもある。

 

たとえばベルリンは「テクノ首都」と呼ばれているそうだ。「ベルクハイン」という旧東ベルリンの発電所を再利用し、タービンホールがダンスフロアに塗り替えられた。一度足を踏み入れれれば、その「シーン」は強烈に脳に残る。ベルリンはクラブミュージックの夜間経済が進化して、こうした「シーン経済」が興隆している。

 

面白いのは、実はこうしたカルチャーの盛り上がりは突発的なものではなくて、源流があるということ。それがヒッピー・カルチャーやカウンターカルチャーだ。1960年代にヒッピーが夢見た世界が、グローバル化とテクノロジーの実装でベルリンに実現されていると言える。

 

環境保護、オーガニック、経済優先よりも健康、尊厳。こうしたヒッピー的価値観はいまや私たちの「理想」とそんなに違いがない。実はヒッピー的価値観は現代にあって主流化しつつある、と武邑さんは指摘する。

  資本主義の中で、個人が世界を変えることができることを示した「ユートピアのための闘争」は、実は歴史的な成功をすでに収めている。アップルのパーソナル・コンピュータ革命や、iPhoneの成功をはじめ、六〇年代後半のヒッピーたちを源流とする自然回帰や環境保全、グリーン革命、食やスキンケアを中心としたオーガニック産業、医療用だけに限定されないエンターテインメント・マリファナ解禁の世界的潮流も、現代の経済活動に不可欠な倫理感、価値観の主流とさえなっている。(p63)

 

かつての「理想」が「現実」に実装可能なのが現代なのだという認識に立てば、日本はどんな「理想」を思い描けばいいのだろう。未来になんとなく不安を抱いてしまうのは、この理想、叶えたいビジョンがもやっとしているからな気もする。ベルリンが幸福なのは、蜂と木が共創する社会という理想が、いまもこれからも持続可能だからなんじゃないか。

 

今回紹介した本は、こちらです。

ベルリン・都市・未来

ベルリン・都市・未来

 

 

未来を単なるハイテクという言葉に集約せず、過去から現在のタイムラインで考える。この発想が埋め込まれた本として若林恵さんのエッセイ集「さよなら未来」が思い浮かびました。問題意識として近いものがある。

www.dokushok.com

 

レガシーだらけの日本ではやっぱりアンラーニングが大事だなとなった時、テキストとしては仲暁子さんの「ミレニアル起業家の新モノづくり論」がわかりやすいなと思いました。いわゆる若者、これから時代を創っていく世代の思考法が学べると同時に、何を捨てるべきかが見えてくる一冊。

www.dokushok.com