読書熊録

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普通のおじさんの非凡な言葉ー読書感想「パリのすてきなおじさん」(金井真紀さん)

「パリのすてきなおじさん」は文字通り、パリの街角にいるすてきなおじさんのインタビューを集めた、おじさん図鑑だ。誰も彼もすてきだけれど、特別じゃない。働いて、遊んで、失恋したり泣いたりして。普通の人生を一生懸命歩いてきたおじさんの言葉はだけど不思議で、エスプレッソのようにぎゅっと哲学が凝縮している。だから本書は勇気の書でもある。自分もこの普通の人生を全力投球してみようかな、と。

 

作家でイラストレーターの金井真紀さんの肩の力の抜けた文章と、おじさんの特徴を捉えたイラストが楽しい。フランス在住のジャーナリスト広岡裕児さんの案内で、パリの深く深くまで分け入る。柏書房、2017年11月初版発行。

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パリのすてきなおじさん

パリのすてきなおじさん

 

 

百時間かけてやりたいわけさ

金井さんはおじさんが好きだ。おじさんとは何か。伊丹十三のこんな言葉を冒頭に引用する。

 「少年である僕がいるとする。僕は両親が押しつけてくる価値観や物の考え方に閉じ込められている。(中略)ある日ふらっとやってきて、両親の価値観に風穴をあけてくれる存在、それがおじさんなんです」(p2)

自分が固定されている人間関係、それによって規定される考え方、価値観。そこに風穴をあけてくれるのがおじさんだ。本書「パリのすてきなおじさん」には、そんなおじさんが次々登場する。縁もゆかりもないからこそ、だけどすてきだからこそ、本書から吹き上がる風は爽やかに感じる。

 

下町のパリ20区、ベルヴィルではシズラー(彫金師)のベテラン、フレデリック・モレルさんに出会う。47歳。祖父も父もシズラーで、17歳で出会って結婚した「かみさん」の父親もシズラー。かつて国立造幣局で硬貨や勲章、教会の鐘を手がけていたが、辞めた。フレデリックさんの理由は明快だった。

 「でもなあ、十年経って気づいたら、おれより技術のある人間がまわりにいないのよ。それで、もういいや、やーめたって」

 自分の仕事を批判する人がいない職場はつまらない。同じことを繰り返していても技量は下がっていくだけ。

 「おれは金のためにこの仕事をしてるわけじゃねえし」(p52)

 

そうして独立して、仕事を続けてきた。「金のために仕事をしてるわけじゃない」と言って実際に根を上げず、コツコツ仕事をするというのは簡単じゃない。この継続にフレデリックさんの凄みがある。フレデリックさんの仕事哲学はこのセリフに現れる。

 「俺は細かいところまで丁寧にやりたいの。機械を使えば二時間でできる仕事を、手で百時間かけてやりたいわけさ。その気になりゃいまの三倍は稼げるかもしれないけど、それはおれの仕事じゃねえから」

(中略)

 「いまは3Dプリンターを使った復元でも商売になっちまう。このセーブル焼きの壺の取っ手だってな、3Dなら七百ユーロでできるんだと。それを聞いておれは言ったのさ。じゃあ手仕事だけで六百ユーロでやってやるよってな」(p53)

機械を使えば二時間の仕事を、手で百時間かけてやりたい。3Dプリンターで七百ユーロの仕事なら、手仕事で六百ドルでやってやる。これ以上なく具体的な話。自分の仕事を自分の言葉で語れるようになることって、格好いいなと思った。

 

隙間がある街パリ

金井さんが収集するおじさんはサラダボウルという言葉がぴったりだ。

おじさんは「おしゃれなおじさん」「アートなおじさん」「おいしいおじさん」「あそぶおじさん」「はたらくおじさん」「いまを生きるおじさん」に分類されている。それぞれの分類に多様なバックグラウンドの人がいて、モザイク状になっている。「おしゃれなおじさん」の中のLGBTセンターのボランティア。「はたらくおじさん」の中には西アフリカのマリから出稼ぎに来て36年のコンシェルジュがいる。

 

言い切れるほど綺麗ではないのだろうけど、パリは多様な人が共生していることが、おじさん模様からもわかる。「共生」というとちょっと肩肘が張るけれど、パリにはきっと、隙間があるんだろうなと思った。

 

スペイン生まれのギター作家リベルト・プラナスさん、76歳。14歳で地中海に面した地元の港町アルメリアで職人見習いになる。その後、グラナダ、バレンシア、そしてイタリア、ドイツ、アメリカと転々とする。27歳、フランス国立音楽学校の先生になり、35歳でパリにギター学校を設立した。いまはモンマルトルの坂道にこじんまりとしたギター工房を構える。

 

国立学校の先生にギター学校。公的な仕事の一方で、芸術の街モンマルトルに小さな居場所を構えることもできる。リベルトさんの人生の節目にそった、ちょうどいい隙間がこの街にはあった。もちろんリベルトさんの人柄もあるけれど。

 「ぼくはねぇ、どこにいても自分の家にいる気持ち。昔からそう」(p46)

 

生きることに決めたの

金井さんはパリ礼賛を狙ってはいない。むしろ、共生と両面に起こる摩擦や衝突を理解しようと努めるし、それを読者にも見せる。印象的だったのは、2015年11月に起きた同時多発テロの現場となったカフェに足を運んだシーン。

 

「テロのことを・・・」と言いかけた広岡さんを、女主人は「それはもう昔のことです」と遮る。金井さんと広岡さんは、コーヒーだけを飲んで行くことにする。

すると、お客さんの1人の女性クロチルドさんが「ボンジュール」と声をかけてくれる。フランス語は話せない、英語ならちょっとと説明する金井さんに、ゆっくりした英語で語りかけた。

 彼女はニコニコしながら、ゆっくりの英語で言った。

 「わたしたちは、生きることに決めたの。前を向くことに決めたの。そのためには、忘れる時間が必要なの」

 わたしはうんうんと大きくうなずいた。おそらく事件後、この場所に多くの人がはなしを聞きにきたのだろう。写真を撮っていっただろう。そしてあるとき、店の人も常連客も決めたのだろう。もうテロのはなしは終わり、と。

 「よくわかりました。過去を蒸し返すような質問はしません」

 カタコトでそう伝えると、彼女はいい笑顔で言った。

 「わたしの名前はクロチルド。ようこそパリへ!」(p181)

わたしたちは生きることに決めたの。そう言い切れるまでにどれだけの逡巡があっただろう。どれだけの悲しみを噛み締めただろう。そして、この思いを見ず知らずの日本人に伝えることの勇気を思う。クロチルドさんは女主人を代弁して、テロの話はもうやめようということと、それでもあなたと分かり合いたいし、パリを楽しんでほしいという気持ちを、一生懸命に伝えたかったように思う。

 

おじさんたちの、クロチルドさんの、短くても奥行きのある言葉。生き方そのものがそこから立ち上がるような言葉。そうしたものを自分もつかめるだろうか。普通だけど、すてきなおじさんになりたいな。そう思える本だった。

 

今回紹介した本は、こちらです。

パリのすてきなおじさん

パリのすてきなおじさん

 

 

 

言葉に生き方が現れる。地に足をつけて、手を動かして考える人の言葉が面白いと思わされた本といえば、「あるノルウェーの大工の日記」を思い出します。文字通り大工さんのオーレ・トシュテンセンさんの日常、かんなでけずった木屑や工事現場の匂いが漂うエッセイ集です。

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 物語や映画の中でしかいないような存在、カウボーイ。北米で実際に働いて暮らすカウボーイの一員になり、そこから見上げる空を伝えてくれるのが「カウボーイ・サマー」です。著者の前田将多さんは元電通マンで、そのギャップも面白い。

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