読書熊録

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SF初心者のサーチライトにー読書感想「NOVA 2019年春号」(大森望さん責任編集)

SF小説を読んでみたいけれど、なんだか難しそうだと尻込みする気持ちもある。そもそも何から読めばいいか。そんな悩みを持つ人に本書はうってつけ。アンソロジー「NOVA 2019年春号」はSF初心者にとってサーチライトになる。

 

各作品50ページほどでさくっと読めるけれど、展開される世界観は濃い。書き手は新井素子さん、小川哲さん、佐藤究さん、柞刈湯葉さん、赤野工作さん、小林泰三さん、高島唯我さん、片瀬二郎さん、宮部みゆきさん、飛浩隆さんの10人。SFの世界とはこんなにも広くて深いのかと思い知らされる。主婦女性の半径50メートルの話から、月面まで。時間軸も紀元前まで。「もっとSFを読みたい」と思えることうけあいの内容だ。河出文庫。2018年12月20日初版。

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NOVA 2019年春号 (河出文庫 お 20-13)

NOVA 2019年春号 (河出文庫 お 20-13)

 

 

住宅街から月面まで、果ては古代まで

SFの世界に踏み出して驚いたのは、必ずしも「近未来」の話ばかりじゃないということだ。想像を超えるテクノロジーやロボットが出てくるだけが芸じゃない。本書に収録されている作品の振り幅も極めて広い。

 

一番バッターを努める新井素子さんの「やおよろず神様承ります」の主人公は主婦の女性。舞台は住宅街、彼女の半径50メートルの日常になる。書き出しはこんな感じ。

 世の中に。

 専業主婦程、不当に低く評価されている職業はないと思う。

 いや、これ、ほんとよ?(p15)

まるでエッセーか何かのようだけれど、これもSF。たしかに想像を掻き立てる世界が広がっていく。

 

赤野工作さんの「お前のこったからどうせそんなこったろうと思ったよ」はタイトルからすれば新井さんの世界観に近いイメージも湧くけれど、書き出しはこう。

格闘ゲームと超高速通信

 フレームとは、対戦型格闘ゲームにおける時間の最小単位を示す言葉である。(p191)

まるでゲームの説明書のそれである。赤野さんは架空のゲームをレビューしていくサイト、という形式をとった小説「ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム」で話題をさらった方で、本作も月面と地球の間で格闘ゲームを行った二人のうち一方の独白というスタイルになっている。設定はゴリゴリの未来。ある意味SFらしいと言えるけれども、読みごごちは全く未体験のものだ。というかテーマの「対戦ゲームの通信遅延」なんてこれまで一度も考えたことがなかった。

 

射程は何も未来に延びるばかりじゃない。小川哲さんの「七十人の翻訳者たち」は紀元前262年、プトレマイオス朝のアレクサンドリアであった聖書をギリシア語に翻訳する作業がテーマになる。70人が35組に分かれて翻訳したところ、全てが同じ訳になった不可思議を巡って、王と部下が問答する。

 

長編小説「ゲームの王国」で、ポル・ポト政権下の大虐殺と未来を結ぶ長大な時間軸を用いた小川さん。本作でも2036年の世界と物語を交互させる。この年、かの「七十人訳聖書」の成立の秘密が記されたパピルスがようやく解き明かされようとしている。紀元前に起きたことと、未来に判明する「真実」は、果たして一致するのか。

 

SFは社会を映す

SFは空想世界を物語にする。それはその世界に構成される「社会」も描写することになる。だからSFは社会を映す。空想が現実に照り返されて、私たちがいま生きる社会のありようを考えさせられる。

 

柞刈湯葉さんの「まず牛を球とします。」は、牛を殺すのは動物愛護的に嫌だけれど、牛を食べたい、相反した願望を「牛球」という人工肉を開発することで解決した世界が描かれる。牛の遺伝子ではなく、大豆のDNAテンプレートに牛肉の成分を発現する遺伝子を加えた製品だ。

 

ただ、牛球が実現した工場で働く人や見学者は我々より理性的になっているとか倫理的になっているとかではない。工場見学者への広報を担当する「おれ」は語る。

 どうせ内部構造はCGを見ないと分からないのだから、わざわざ実際の牛工場を見にくる必要性がよく分からない。自分たちの食べる肉の製造工程を見ることで、人生にどういった利益があるのだろう。

 せいぜい「実物を見たことがある」という体験によって、自分の知識にストーリー性を与え、他人に対して優位に立てるくらいだろう、とおれは思っている。

 「私はジャカルタの食肉工場を見学し、自分たちが普段食べている肉がどんなふうに製造され、どのように食卓まで運ばれてくるかを学んできましたよ。あなたたちはきちんと理解していますか? ネットの仮想世界だけで分かったつもりになっていませんか?」

 といった具合に。(p166)

ありそうな話だなあと思う。倫理的な技術ができたとして、人間が倫理的になるわけでもないんだろうな。むしろいつだって、「倫理的でありたい」という欲求から自由になれずに、それをマウンティングという方法で確認したくなりそうだな、と。

 

宮部みゆきさんの「母の法律」は、虐待した親の親権を制限し、被虐待児を救済、ようご家庭へつなぐ「マザー法」が成立した世界を描く。虐待が問題化して慢性化している現在からすれば、それらが解決した理想世界と言える。

主人公はマザー法に救われた少女。あるきっかけで、法律が制御しきれない事態に直面する。ここでも同じ。問題を解決した社会には、新しい問題が生じる。むしろ問題の影の濃さは増してしまい得る恐怖を、宮部さんはドライな筆致で描いていく。

 

「次」はいっぱい揃っている

「この作家さんの作品は面白い」となれば、「次の一歩」は山のように用意されている。責任編集者の大森望さんも「序」でこう記す。「読者のみなさんにも、編者が味わった喜びを共有するとともに、いまの日本SFがいかに豊かな実りの時代を迎えているかを実感していただければさいわいです」(p5)。もう既に果実はたくさん実っている。

 

自分は本書で初めて、飛浩隆さんの作品に触れた。収録作「流下の日」「四十年間、偉大な首相が統治した美しい国」が描かれる。予想通り、安定して美しいはずの国には不穏な空気が漂う。ユートピアは本当にユートピアなのか。飛さんの言葉は一粒一粒の密度か濃くて、ほんの数十ページでここまでぎっしりした世界を繰り出せるのかと驚嘆した。

 

もう少しこの世界観を味わいたくて「象られた力」を手に取った。こちらはもう少し長めの中編作品が4つ収められている。いくつもの惑星に文明が繁茂し、言語だけでなく「図形」が強大な力を有する未来を描いた表題作のほかに、体を共有する奇形の双子ピアニストを主人公にした「デュオ」も面白かった。「流下の日」に連なる物語世界を十二分に味わえた。

 

象られた力 kaleidscape (ハヤカワ文庫 JA)

象られた力 kaleidscape (ハヤカワ文庫 JA)

 

 

既に読んだ中では小川哲さんの「ゲームの王国」は収録作の世界観に近い。もっとがっつり未来感のある「ユートロニカのこちら側」も圧倒的に面白い。

 

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佐藤究さんの「Ank:」もおすすめ。収録作「ジェリーウォーカー」のおどろおどろしい感じをもっとエッジーに感じられると思う。

 

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もしも「NOVA」でSF熱に火がついたら、投下できる燃料は尽きることはない。

 

今回紹介した本は、こちらです。

NOVA 2019年春号 (河出文庫 お 20-13)

NOVA 2019年春号 (河出文庫 お 20-13)

 

 

 

入門書といえば、行動経済学の格好の入り口になる一冊の「『行動経済学』人生相談室」を思い出します。行動経済学者のダン・アリエリーさんが、新聞読者の質問に軽快に答えていきます。

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SFで高まった社会、未来への感度をさらに研ぎ澄ますには、「インターネットは自由を奪う」がいいかもしれません。GAFAのリスク、インターネットの陰をいち早く痛烈に批判した本だと思います。

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