読書熊録

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読んだら戻れない進むだけー読書感想「82年生まれ、キム・ジヨン」(チョ・ナムジュさん)

男性はこの本を開いたらもう戻れない。女性というジェンダーであるだけで、人生がどれほどハードモードになるかを、確実に知ってしまう。もう知らないふりはできない。「82年生まれ、キム・ジヨン」という物語はそれぐらいに、生々しい痛みを読者に届けてくれる。

 

著者は1978年生まれのチョ・ナムジュさんで、放送作家として活躍されている。舞台は韓国でありながら、その男性優位の状況は日本も遜色がない。女性がいかに多くのものを背負わされているか。いかに多くのものを失わされているか。男性の自分は目を背けたくなるくらいだ。だからこそ読まねばならないんだろう。帯に寄せられた松田青子さんの推薦文が反響する。「女性たちの絶望が詰まったこの本は、未来に向かうための希望の書」。戻れないからには、進むしかないんだ。斎藤真理子さん訳。筑摩書房、2018年12月10日初版。

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82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

 

 

あなたが悪い、何をしても悪い

主人公キム・ジヨンは33歳の女性。3年前に結婚し、昨年、女児を出産。IT関連の中堅企業に勤める夫チョン・デヒョンとソウル郊外の大規模団地に暮らしている。これだけ読むと、ジヨンは特段の不自由も不幸もなく暮らしているように思える。

しかし2015年秋のある日、ジヨンに母親や、大学のサークルの先輩だった女性が「憑依」する。まるでその人たちが乗り移ったかのように振る舞いだしてしまい、ジヨンは精神科を受診することに。いったいジヨンに何が起きたのか?ここから、まるでカルテのように、ジヨンのあゆみを生まれの1982年から振り返っていく物語が始まる。

 

各章は幼少期の「1982〜1994」、中学から大学入学までの「1995〜2000」、大学から社会人にかけての「2001〜2011」、そして最近の「2012〜2015」と、ジヨンの人生の節目節目で区切られている。松田さんが「女性たちの絶望が詰まった」と語るのはまったく大げさではなく、すべての章において、ジヨンは様々な苦しみに直面する。そのどれもが、ジヨンが「女性であるというだけ」で発生する。

 

特に印象に残るのが、ジヨンが高校生で予備校に通っていた時の出来事。帰りのバス、見知らぬ男子生徒が「送ってほしそうだから」と付きまとってくる。やめてくれと言っても、停留所に降り立っても男子生徒は付いてくる。その言い分は、こうだ。

 「あんた、いつも俺の前の席にいるじゃん。俺にプリントを渡すときも、すっげえニコニコしてんじゃん。毎日毎日、どうぞーとかって愛想いいくせに、何で痴漢扱いするんだ?」(p60)

ジヨンに身に覚えはない。当たり前に接していただけだ。結局、バスで不審さを感じてくれていた乗客の女性が、わざと「忘れ物よ」と言って駆け寄ってきてくれたおかげで、何も起こらずに済んだ。

しかし、恐ろしい体験をしたジヨンはその後、父親に激しい叱責を受ける。

 だがキム・ジヨン氏はその日、父にひどく叱られた。何でそんな遠くの予備校に行くんだ、何で誰とでも口をきくんだ、何でスカートがそんなに短いんだ……。そんなふうに育てられてきたのだった。気をつけろ、服装をきちんとしろ、立ち居振る舞いを正せ、危ない道、危ない時間、危ない人はちゃんと見分けて避けなさいと。気づかずに避けられなかったら、それは本人が悪いんだと。(p61-62)

父親はジヨンに「お前が悪いんだ」と叱る。見知らぬ男子生徒という危険を「招いた」のは、ジヨンの態度、スカートの長さ、危険を見分けてちゃんと避けなかったからだと。

 

果たして、この出来事の男女が逆だったらどうだろう?見知らぬ女性に付きまとわれた男性が、ジヨンと同じように叱責されるだろうか。男性がスタイリッシュな服装をしていることが危険を招くと怒られるだろうか。異性に魅力的な男性は夜道を歩くなだなんて言われるだろうか。

 

何より、なぜ怖い目にあったジヨンに、優しい言葉は注がれないのだろうか。怖かったね、大変だったね。悪いのはその男で、君は悪くない。父親の口からまっさきに、そんな言葉が出てこないのはなぜだろう。それはただ、ジヨンが女性だからだ。

 

「男性が失うものはなんなの?」

ジヨンの人生はこんなことの連続だ。女性であるだけで、苦労を強いられる。そして男性の側はその不公正に無自覚だ。たとえ父親であっても、夫であっても。

 

はっとさせられたシーンがある。夫のチョン・デヒョンと子どもを設けようという話になったときだ。デヒョンは「君が会社を辞めることになっても心配しないで。僕が責任を持つ」と語る。早く子どもを持とうよ、と。ジヨンはこう言い返す。

 「それで、あなたが失うものは何なの?」

 「え?」

 「失うもののことばかり考えるなって言うけど、私は今の若さも、健康も、職場や同僚や友だちっていうネットワークも、今までの計画も、未来も、全部失うかもしれないんだよ。だから失うもののことばっかり考えちゃうんだよ。だけど、あなたは何を失うの?」

 「僕は、僕も……僕だって同じじゃいられないよ。何ていったって家に早く帰らなくちゃいけないから、友だちともあんまり会えなくなるし。接待や残業も気軽にはできないし。働いて帰ってきてから家事を手伝ったら疲れるだろうし、それに、君と、赤ちゃんを……つまり家長として……そうだ、扶養! 扶養責任がすごく大きくなるし」(p129)

膝から崩れ落ちそうな気持ちになった。男性の「無理解」とはこのことか。そして、無理解は自分の中にもありそうだ、と。

 

ジヨンは、出産によって自分がどれほどのものを失うかを自覚している。出産はそもそも、命のリスクもある事象。若さも健康も、出産前と同じではいられない。「仕事を辞めてもいい」と夫は簡単に言う。でも仕事を辞めるとは、職場、仲間、描いていたキャリア、何もかもに変更が求められる。だからジヨンは「全部失うかもしれない」んだし、これに対して夫のデヒョンに「あなたは何を失うの?」と問い掛ける。

 

デヒョンは必死に、「失うもの」を思い浮かべる。それは「友だちとあんまり会えない」「接待や残業が気軽にできない」「家事を手伝ったら疲れる」。そう、デヒョンは何も失わないのである。あくまで日常にちょっと負荷が「増える」だけ。デヒョンの言う「同じではいられない」ことと、ジヨンの「失うこと」の間にはとんでもない開きがあるのに、デヒョンは想像さえしなかったように思える。

 

男性と女性のハンディキャップが、まるで裂け目のように顕在化する。男性がもっとも恵まれているのは「自分が優位であることを意識しなくていい」ことかもしれない。自分が何も失わず、女性に失わさせてばかりいることを、ジヨンに問い掛けられなければ気付かないまま、日々を過ごしていけることかもしれない。

 

男性もまた縛られてはいないか?

女性が抑圧されている。それもごくナチュラルに。それによって生きづらくなるのは、何も女性だけではないような気もする。

 

ジヨンが大学時代、サークルの合宿に参加した時のこと。布団部屋で寝いるジヨンに気付かず、先輩後輩の話し声がする。「キム・ジヨンはもうあいつと完全に別れたみたいだな」。男同士、誰が気になるとか誰が好きとか、そんなことを語り合う時間。ある先輩が「前から気になってたんだろ」「手助けしてやるよ」とはやし立てる。すると、先輩はこう言い返す。

  「要らないよ。人が噛んで捨てたガムなんか」(p85)

ジヨンは衝撃を受ける。

(中略)品行方正で身なりもきちんとしていて、キム・ジヨン氏はいつも好感を持っていた人だ。まさか、まさかと思って耳をすましてみたが、やっぱりあの先輩の声に間違いない。酔っているのかもしれない。照れているのかもしれない。または、友だちがよけいなお世話をするのではと思って、わざと乱暴な言い方をしたのかも。可能性はいろいろあったかもしれないが、だからといってキム・ジヨン氏のすさまじく傷ついた心は癒されなかった。(p86)

ジヨンが心の中で語る通り、「噛んで捨てたガム」なんて決して言ってはいけない言葉だ。たとえ本人が聞いているとは分からなかったとして、照れたり酔ったりいろんな可能性があるとしても、こんなに人を傷つける言葉はない。

 

一方で、こうも思う。先輩は「男同士」の輪の中で、あのセリフを「言わされてる」のではないか、と。女性を思うがままに扱うのが「男らしい」という空気の中で、最大限に女性の尊厳をないがしろにする言葉が「待たれていた」のではないか。

 

こう考えれば、先輩もまた抑圧されていると想像できなくもない。本当にジヨンのことを好きであれば、魂の奥底から「噛んで捨てたガム」と言いたいわけではないだろう。かといって男同士の空気を無視してまで、言葉の選択もできないとしたら。男性が女性を支配する社会に、男性である先輩もまた縛られているのではないか。

 

女性が自由でない限り、本当の意味で男性も自由ではない。きっとそうなんだと思う。

 

今回紹介した本は、こちらです。

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

 

 

男性が女性を支配することを良しとすることが社会のあらゆる局面で合意されていることを、レベッカ・ソルニットさんは「レイプカルチャー」だと糾弾します。著書「説教したがる男たち」はその構造を喝破していて、「82年生まれ、キム・ジヨン」の問題意識をさらに広げてくれると思います。

www.dokushok.com

 

韓国の作家さんの作品は、不思議と日本社会にも多くを語りかけてくるように思います。チョン・セランさんの連作短編集「フィフティ・ピープル」も、とっても胸に響く物語で、オススメです。

www.dokushok.com