読書熊録

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辺境中の辺境に萌芽があるー読書感想「20億人の未来銀行」(合田真さん)

この人は未来を変えるかもしれない。「20億人の未来銀行 ニッポンの起業家、電気のないアフリカの村で「電子マネー経済圏」を作る」を読んでワクワクした。著者の合田真さんを知れて、その頭の中を覗けて、興奮が収まらない。

 

合田さんが構想するのは「金利で儲けない銀行」であり「収益をコミュニティに分配する銀行」。それは現在あるマネーの常識からかけ離れている。この人は、どうしてこんなアイデアを思いつくのか?そこには「ものがたりと現実」という世界の見方がある。「現場」にこだわる姿勢がある。そして、舞台がモザンビークの端にある農村という、辺境中の辺境であることに鍵がある。未来の萌芽を目撃できる一冊。日経BP社、2018年6月25日初版。

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資源制約期に「ものがたり」が合わない

合田さんは「日本植物燃料」というバイオ燃料の会社を起業。生産地として、世界最貧国であるモザンビークの、さらに「田舎」にあたるカーボ・デルガド州の農村を拠点にしている。この農村でキオスク(何でも屋)を運営する中で「収益分配型モバイルバンク」という構想を得て、事業化を進めている。

 

収益分配型モバイルバンクは、金利を設定しないことが特徴だ。一般的に銀行は金利をメリットとして預金者を獲得し、融資の金利を稼ぎにするビジネスモデル。合田さんのモバイルバンクでは、金利で稼ぎも利益還元もしない代わりに、自身の「経済圏」にある商店で電子マネーが決済されるごとに手数料を得る。

さらに、獲得した収益の一部を、預金者ではなく「コミュニティ」に還元する。コミュニティでは分配金をもとにインフラ開発や学校の整備に使う。そんなコミュニティベースの金融機関を合田さんは構想する。

 

この新しい銀行像は、合田さんの徹底的な問題意識に裏打ちされている。それは、いまのマネーの「ものがたり」では社会は破綻するという、強烈な危機感だ。

「ものがたり」とは合田さんの世界の切り取り方で、非常にユニークだ。世界は「現実」=物理的に存在するモノと「ものがたり」に分けられると合田さんは語る。「ものがたり」は宗教、法律、そしてマネーも含まれる。

 私たちはこうした「ものがたり」を、その時代、その時代における当たり前のもの、疑いようのない常識である思い込んでいます。けれども実際には、それらはあくまで「とりあえずそうしたほうが都合がよい」という理由で人々が作り出し、お互いに受け入れているに過ぎません。ということは、これら「ものがたり」は人間が思考の中で自由に変えていくことができるはずです。ここが「現実」との違いです。(p26)

ものがたりは「とりあえずそうしたほうが都合がよい」と人々が合意した強固な思考である。では、いまマネーはどんな「ものがたり」で動いているのか。

 

それは資本主義、あるいは自由競争だ。頑張れば頑張るほど稼げる。金利があるのも、マネーを効率よく運用すればその分のリターンが得られるのが「当然」だからだ。この「ものがたり」はどんな「現実」に即しているのか。合田さんは「資源拡張期」だと見る。世界が広がり、エネルギーや食糧、生産品が増加する時代に合った「ものがたり」が自由競争だと。

 

しかし、時代は「資源制約期」になっている。なのにこれまで通り自由競争の「ものがたり」に固執していれば、自ずと崩壊がやってくるというのが合田さんの主張だ。

 ところが、資源制約期においても同じように自由競争の「ものがたり」に従っていると、システムは破綻してしまう可能性があります。分配できる資源の総量が減っている中、競争に負けた側から世の中を見ると、今年「1」だったものが来年には「0・5」に、再来年には「0・25」にまで減ってしまい、「この先どうやって生きていけばいいのか」という見え方になってしまうからです。

 そうなってくると、競争に負けた側としては、「もはや今の社会体制をひっくり返すしかない」という発想にならざるを得ないでしょう。(p33)

資源拡張期ならば、勝者だけではなく敗者も取り分が増えうる。でも資源制約期では、限られたパイを勝者がひたすら食べることになる。この発想は「なるほど」と思ったし、日本で暮らしている実感とも一致する。多くの人が格差を嘆くのは、上下の下の位置にいる人の取り分がじりじりと減らされているからだ。

 

世界を「現実」と「ものがたり」に切り分けた上で、「現実」の変化に対して動きの鈍い「ものがたり」を喝破する。合田さんの思考の鋭さはまずここにある。

 

予想外を歓迎する

資源制約期にふさわしい「ものがたり」としての「収益分配型モバイルバンク」。このアイデアはしかしながら、理路整然と発想したものじゃない。

 

合田さんの会社は農村でキオスクを運営していた。バイオ燃料で発電した電気を使って、充電した電気ランタンや製氷した氷、冷たい飲料を販売する。それは電気がほぼ通っていない無電化の社会に、電気の「市場」を開拓する取り組みだった。

だんだんとキオスクが繁盛すると、売上金の横領が起こるようになった。この問題を解決するために、電子マネーを導入する。現金は盗めても電子は盗めない。すると、村人が思わぬ行動に出た。電子マネーに全財産をチャージする人が現れたのだ。

 

電子マネーへの貯蓄。合田さんはこの「予想外」をこう考察する。

 考えてみれば、電子マネーによる「貯蓄」というのは、彼らにとっては非常に合理的な行動でした。モザンビークの農民の主な収入は、農作物を売った時に入る現金です。年間の生活費が特定の季節にまとまって入ることになるので、それを保管しておく必要があります。しかし、農村には元金がありません。銀行にお金を預けるためには、電気の通った遠くの街まで、何時間もかけて行かなければならないのです。というよりも、多くの人にとっては、そもそも銀行という概念自体がないのです。(p86-87)

農村には貯蓄のニーズはあったものの、銀行の概念がなかった。そこにやってきた電子マネーに銀行としての機能を見出した。予想外ではあるけれど、合理的に説明できる。

 

ここから「電気のない村に銀行のニーズがある」と気付きが生まれて、モバイルバンクのアイデアが育っていく。予想外を歓迎するからこそ、面白いアイデアを掴めるということだろう。

 

辺境to辺境

収益分配型モバイルバンクの面白さは、辺境で生まれ、別の辺境に展開が可能である。ここに最大の面白さがある。辺境から中心へ、ではなく、辺境から辺境へ、なのだ。

 

表題の20億人とは、まさにモザンビークの農村のような辺境にあたる地域の人々を指す。もしもモバイルバンクが確立できれば、同じニーズを抱える世界中の地域へ「輸出」ができるかもしれない。

実際に、先例がある。ベトナム資本の「モビテル」という携帯電話会社は、モザンビークやタンザニア、カメルーン、ブルンジといったアフリカ各国で支持を得ている。経済的に決して豊かではない国でも回せる事業のコスト構造を確立することで、同様の国での横展開を実現している。

 

ビジネスチャンスという観点だけではなく、合田さんの問題意識・哲学の観点からも、辺境を拠点にすることは大きい。辺境に、持続可能なコミュニティを目指すというビジョンが合田さんにはある。

 域外とのトレーディングというのは、本来は、生きるための最低ラインを超えた余剰分をお互いに持ち寄り、より欲しいものと交換しましょうというのが理想ではないでしょうか。現代金融はそもそもグローバルエクスチェンジ=世界で価値を交換し合うことありきで始まっていますが、そうではなく、もうちょっと自分たちの足元を見直して、足元でしっかり育てるべきもの、守るべきものはちゃんと育て、守れるよう、再構築していきたいのです。(p183)

資源拡張期に合わせた「ものがたり」である現代のマネーは、富めるものをさらに富めるような機能をグローバルに展開する。しかしトレーディングの本質は、あくまで余剰の交換ではなかったか。その原点に立ち返るとき、必要なものはコミュニティで育て守る、そのために必要なマネーという健全な「ものがたり」 が見えてくる。

 

この「ものがたり」は、モザンビークよりはるかに都市化した日本にいても、憧れを持って見てしまう。いつか、モザンビークのマネーに学ぶ日が来ることを、その先頭に合田さんがいることを想像せずにはいられない。

 

今回紹介した本は、こちらです。

 

アフリカを舞台にした起業家の物語といえば、ジョナサン・スターさんの「ソマリランドからアメリカを超える」が面白かったです。郷に行っては郷に従えではなく、郷なんて変えてやるぜ、というパワフルな男性のストーリー。

www.dokushok.com

 

 未来の種は思わぬところにある。それはアフリカという空間的に遠い場所だけじゃなくて、時間的に遠い過去の社会にもある。ジャレド・ダイアモンドさんの「昨日までの世界」は、一見すると「未開」に思えてしまう社会に人類の叡智があることを思い起こさせてくれます。

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