読書熊録

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幸福とは「何を見るか」ー読書感想「幸せな選択、不幸な選択」(ポール・ドーランさん)

ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの教授ポール・ドーランさん(行動科学)の知見を総動員し、「人はどうしたら幸せになれるのか」を探求した本が「幸せな選択、不幸な選択 行動科学で最高の人生をデザインする」だ。その要諦は「何を見るか」。ドーランさんは「注意」こそ「幸せの製造装置」だと語る。

 

精神論ではない。むしろドーランさんはゲームの攻略のように、理路整然と幸せを分析し、最大化するための方策を練る。幸せとは「快楽」と「やりがい」のバランスである。そして人間は幸せよりも「幸せと感じること」に左右される。この「認知」に焦点を当てて、幸せを科学的に考える、「デザインする」のが本書の真骨頂だ。中西真雄美さん訳。早川書房、2015年8月15日初版。

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幸せな選択、不幸な選択――行動科学で最高の人生をデザインする

幸せな選択、不幸な選択――行動科学で最高の人生をデザインする

 

 

 

幸せ=快楽+やりがい

目標を達成するには、目標物を定義する必要がある。幸せになるには、幸せとは何かを考えることがスタートになる。ドーランさんの答えは明快。幸せとは、快楽とやりがいの総合値である。

 

この考え方を取り入れると、「なぜ人は一見して辛いことにも向かっていくのか」も分かる。それは快楽を捨てる代わりに、やりがいを獲得しているから。快楽とやりがいをトレードオフしているからだ。

(中略)幸福を快楽とやりがいの両方の経験として定義するなら、目的達成を追求するために幸福が犠牲になる状況は、思ったほど多くないかもしれない。だから、やっていてもあまり楽しくないことは、少なくともやりがいを感じていなくてはいけない。一流のアスリートがよい例だろう。彼らは早朝の辛いトレーニングに参加するために、多くの楽しみをあきらめている。これは喜びを先延ばしにしている(遅延満足)とも取れるが、それより彼らはトレーニングからやりがいという満足を経験しているのだと、私は考えている。(p50)

アスリートのトレーニングを、未来の勝利のための犠牲と捉えることもできる。これは「遅延満足」と言われている。しかしドーランさんのように、アスリートはトレーニングの辛さ、あるいはトレーニングによって失われる他の楽しみ(二度寝とかかな)と、トレーニングによって強くなる・勝利へ近づくやりがいがトレードオフしていると考えることもできる。つまり、快楽とやりがいのバランスが替わっているだけで、アスリートは幸福なのだと考えることもできる。

 

この方程式のポイントは、幸せはいつも「現時点」で計測可能だということだ。ドーランさんはこれを「未来の幸福で現在の不幸を埋め合わせることは本当の意味ではできない」と表現し、厳しく戒める。

(中略)よって、夢を実現することでどれだけ恩恵が得られるかを考えるとともに、そのために何を犠牲にするのかにも目を光らせないといけない。未来の幸福で現在の不幸を埋め合わせることは本当の意味ではできないと、心しておこう。失った幸福は永遠に失われたままなのだ。よって、夢や目標を実現するためにあなたがいま犠牲にしているものは、長期的に見てもそれだけの価値があるのだと確信していなければいけない。(p130-131)

自分はいま、快楽を感じているか。あるいは快楽のない代わりにやりがいを得ているか。快楽とやりがいの比率は絶えずチェックが必要だ。そして快楽もやりがいもないとすれば、それは果たして、本当にやるべきことだろうかを問い直さないといけない。「いつか幸せになれる」と考えることは甘美ではあるけれど、そのために見逃した現在の幸せは永遠に戻らない。

 

大切なこと・ひとに注意を向ける

幸せは快楽とやりがいの総合値。この方程式を、人間はそのまま採用できないから面白い。「認知」という歪みが入ってしまうのだ。「バイアス」と呼んでもいい。この認知・バイアスこそ、ドーランさんが専門にする行動科学が得意とする領域だ。

 

たとえば「差異バイアス」。ふたつの選択肢を別々に評価する場合に比べて、同時に評価する場合、つまり「比較」する場合は両者の差が大きいとみなしてしまうことを指す。選択肢の本質よりも、選択そのものの差異にばかり目がいってしまう。

 私の友人のキッチンの流しはかなりの見物である。彼女は、かなり高級なホームセンターで何十もの商品を見くらべたあと、美しいクロムめっきの蛇口を購入した。実際にそれを取り付けてみるまで、彼女はそれが自宅の流しには大きすぎることに気づかなかった。このばかでかい蛇口は、彼女にとっては邪魔物でしかなかったが、家族や友人たちには大ウケだった。このように、私たちは誰でも、彼女が滑稽な蛇口を購入したときのような差異バイアスを経験しているものだ。(p146)

「どの蛇口がいいか」ということにばかり目がいき、選んだ最高の蛇口が自宅のキッチンでは大きすぎることには目がいかない。これは人間の認知の歪みの一例。人間は幸せそのものにきちんと注目することが、なかなかできない。むしろ蛇口の差を必要以上に吟味してしまうように、「そのとき幸せに感じられること」に目を向けてしまう。

 

だから「注意」は幸せに直結する。私たちは幸せに注意を向けることで、ようやく幸せを噛み締められる。自分の注意を、大切なものや、大切な人に向けることが、幸せのシンプルな秘訣だ。

 まず間違いなく幸せになれる方法がひとつある。気の合う人と一緒に過ごす時間を増やすことだ。幸せについてアドバイスを求めることができるからだけではない。気の合う人や大事な人と一緒に行動することと幸せのあいだには、強力でポジティブなつながりがあるのだ。宗教を信じる人たちの生活満足度が高いのは、強い宗教的アイデンティティがあるというのもたしかだが、社会的な接触が多いというのがおもな理由のひとつである。(p243)

気の合う人や大切な人に注意を向ける。そこに生じる温かみや優しさにきちんと目を向けて、感じ取る。こんな簡単なことも疎かにしてしまいがちなのが人間の性なのだと、何度も言い聞かせたい。

 

さっさとフィードバックを

「注意」に加えて本書から学べるもう一つのライフハックが「フィードバック」だ。注意は人間の認知を自覚した上で行使しようということだけれど、フィードバックはさっさと経験してしまうことで認知の歪みに囚われないようにしようというアプローチになる。

 

ポイントは、様々な決断は幸福、つまり快楽にもやりがいにも思うほど影響はないということだ。だからこそ、選択よりも決断によって経験を獲得することで、手早く未来の選択への学びが得られる。

(中略)もしあなたが、もっと快楽ややりがいを生み出せるように振る舞えれば、その行動に見合った態度を作っていけるだろうし、それによって行動も強化できるだろう。 行動は言葉よりも雄弁である。すでに述べたとおり、自分の意志よりも過去の行動のほうが、未来の行動を選択するうえでよりよい参考になる。

 ここで減量したら幸せになれると想像してみよう。第3章で学んだことを覚えているだろうか? あなたが糖尿病にでも罹っているのでなければ、減量したからといって幸せになるとはかぎらない。だが、ここでは減量によってあなたがより幸せになれると仮定しよう。あなたの体重に関して何より目を引く要素は……体重計が示す数字だ。そこで、正確な体重計を買ってきて、週に2度同じ時間に体重計に乗るとする(朝の体重は夕方よりも多少軽いので)。体重計の数字からフィードバックを得れば、あなたは食事(フィード)をいくらか残す(バック)するようになるかもしれない。(p174)

人間はついつい余計なものに注意してしまう生き物だから、ダイエットを始めようとしても「どんな方法で」とか「どれくらいのハードさで」なんかを考えてしまう。そんなことより、さっさと体重計を買ってきて乗った方が早い。体重が具体的にフィードバックされることで、食事を残す(フィードをバックする)という「未来の行動」に速やかに移れるからだ。

 

決断できることはさっさと決めてしまうというのは、貴重な「注意資源」の節約にもなる。余った注意力をどこに向けるべきか? そう、自分にとって大切な人たちだ。そしてその人たちと互いに、快楽とやりがいを最大化していこう。

 

今回紹介した本は、こちらです。 

幸せな選択、不幸な選択――行動科学で最高の人生をデザインする

幸せな選択、不幸な選択――行動科学で最高の人生をデザインする

 

 

行動科学やポジティブ心理学を駆使して、科学的に幸せになるというアプローチは、海外では盛んに探求されているそうです。「ハーバード流幸せになる技術」は、ハーバード大の大家が見つけた知見をわかりやすく紹介してくれています。

www.dokushok.com

 

自分にとって本当に大切な人たちのことを考えて過ごす。それを実践されている人として、イギリスで羊飼いをするジェイムズ・リーバンクスさんが思い浮かびました。彼のエッセイ「羊飼いの暮らし」は、ちっぽけな自分をより大きな存在へ捧げる、奥深い喜びにあふれています。

www.dokushok.com