読書熊録

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ジョブズのリンゴは平均時代を終わらせるー読書感想「純粋機械化経済」(井上智洋さん)

経済学者・井上智洋さん「純粋機械化経済 頭脳資本主義と日本の没落」は、「サピエンス全史」並みの話題書になるはずだ。そのぐらいのインパクトがある。本書は、AIによる時代変化を、テクノロジー論、経済論、未来予測だけでなく「人類史」のスコープで超大局的に捉えている。これは文明論だ。

 

本書の学びをワンセンテンスで表すとすれば「アダムのリンゴ(農耕化)、ニュートンのリンゴ(工業化)に続く三つ目のジョブズのリンゴ(情報化)は、頭脳資本主義をもたらし、平均的な仕事が多くの人に与えられた時代を終わらせる」。そしてその「大分岐」にあって、日本は停滞から衰退に移った清朝末期の中国に似ている。危機感が湧くとともに、シンプルにこう思う。人類史で見るAIは、こんなにも面白いのか。日本経済新聞出版社、2019年5月23日初版。

純粋機械化経済 頭脳資本主義と日本の没落

純粋機械化経済 頭脳資本主義と日本の没落

 

 

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アベレージ・イズ・オーバー

AIがもたらす変化を井上さんは「テイクオフ」と表現する。走り出した飛行機が空中に浮かび上がるくらい、決定的に事態が異なるからだ。同じような変化は、農耕革命、産業革命として人類史に記録されている。これを「三つのリンゴ」と表現する。

 人類の歴史には、三つのリンゴに象徴される劇的な変革があった。

 一つ目はアダムのリンゴで、これは紀元前9000年頃に始まった農耕革命を象徴している。この革命によって、狩猟採集社会から農耕社会への転換がなされた。(中略)

 二つ目のニュートンのリンゴは、ニュートンがリンゴの木からその実が落ちるのを見て万有引力を思いついたという逸話から、17世紀の科学革命とそれに続く工業革命(第一次・第二次産業革命)の象徴と見なすことができる。(中略)

 三つ目のジョブズのリンゴは、情報革命(第三次・第四次産業革命)の象徴だ。このリンゴは、言うまでもなくジョブズらが設立したアップルを指している。情報革命による工業社会から情報社会への転換が、今まさに進行中だ。(p469-471)

アダムのリンゴ、ニュートンのリンゴ、ジョブズのリンゴ。AIがもたらす変化は、人類三度目の衝撃と見ていい。一過性のブームではない。紛れもない大分岐だ。

 

では大分岐の先には何が待っているのか?それは「頭脳資本主義」だ。これは本書のサブタイトルにも入ってくる重要なキーワードだった。頭脳資本主義は「知識集約型」の資本主義だ。これまでの「労働集約型」の資本主義とは明らかに異なる。つまり、労働力をまとめて大量投下することが勝ち筋だった経済から、高度な知識を有する特定の人間が富を独占する経済になる。

 日本ではまだ鮮明な形で表れていないが、アメリカでは既に、IT産業や金融業に従事するごく一部の高い知力を持った労働者が、莫大な富を生み出している。

 これからあらゆる産業が、労働集約型ではなく知識集約型になっていく。知識集約型産業というのは、単純な労働力ではなく知力がより必要とされる産業だ。言い換えると、頭脳資本主義というのは、多くの産業が知識集約型になった経済を意味している。(p55)

 

頭脳資本主義は何をもたらすのか。労働集約型の産業が知識集約型に切り替わった時、何が起こるのか。それは「アベレージ・イズ・オーバー(平均の終わり)」。労働力を提供して平均的な報酬を手にできる中間層的な仕事が消滅していく。

 

どういうことか。10人でやっていた事務仕事をアプリ1個が代替するなら、10人分の労働力が余剰になる。しかし、重要なのは労働力ではなく知力だ。

余剰の10人が、頭脳資本主義が求める知力水準を達成するとは限らない。すると、10人の一部はエンジニアなどAIを動かす仕事に変わる一方で、そこに行けない労働者はもっと単純で低賃金な仕事に従事するしかない。

井上さんはこの流れを「労働移動の逆流」と呼び、これまでの産業革命とは異なっていると指摘する。

 これは重要な点で、情報社会では工業社会とは異なる現象が起きていることを意味する。工業社会では、電気掃除機や冷蔵庫、テレビなど多くの新しい財が生み出されて、そうした財を生産するために労働者の需要が増大し、農村の余剰人員を吸収した。

 ところが、情報社会では続々と新しいスマホアプリやネット上のサービスが生み出されているが、事務職などで生じた余剰人員の多くは、そうしたハイテク分野には転職しない。そうではなく、介護や清掃などの昔ながらのローテクの仕事に従事するようになる。言わば、労働移動の逆流が起きているのである。(p192)

その上で、こんな残酷な未来予測を突きつける。

 頭脳資本主義においては頭脳を振り絞って稼ぎまくるか、そうでなければ頭脳を使わずに体をほどほどに動かす安い賃金の労働に甘んじるしかない。その中間くらいのほどよい生活は営み難い。アベレージ・イズ・オーバー。「平均は終わった」のである。

 

諸国併存が発展を生む

AIがもたらす「テイクオフ」に初めて乗り出すのは中国だろうと井上さんは読んでいる。一方で、日本は一番乗りとはとてもいかないだろうと。むしろ「日本は清朝末期に似ている」という警句を告げる。

清朝末期とはどんな時代だったのか。一言で言えば、「夜郎自大」だった。

 明や清は分裂状態になく、長期間比較的安定状態を維持できた。明は北方のオイライトやタタールの侵攻を受けたが、絶え間ない交戦にさらされるような事態には至っていない。軍事的な危機が少ないので、交易を行って商業の拡大を図ったり、技術を進歩させる必要もなかった。平和にあぐらをかいて、言わば夜郎自大(世間知らずで自信過剰)に陥っていたのである。(p347-348)

長期の安定が鈍りを生んだ。にも関わらず、大国としての自信だけは持っていた。確かに耳が痛い。今のこの国の様子が重なって見えるからだ。

 

安定が停滞を生むということを裏返すと、一定の混乱は発展を生み出すとも言える。井上さんは、同時期のヨーロッパがなぜ発展したのか、その理由をこの混乱状態に求める。「分権的な諸国併存体制が発展を生む」というのだ。

 ある国が商人や科学者を弾圧しても、彼らは他の国へ亡命できる。そうすると、弾圧した国は衰退し、亡命先の国は繁栄し、前者は後者に戦争で勝てなくなるので、あらゆる国が弾圧を控えざるを得なくなる。これは蟻の群体が一部破壊されても再形成されるのに類似している。

 あるいは、ある国が経済力や軍事力の増大にとって望ましい制度を導入し成功すると、他の国も取り入れざるを得なくなる。こうして広まった制度は、特許制度だけでなく、貨幣制度、銀行制度、法人制度、学校制度、徴兵制制度など数限りなくある。

 制度間競争は、諸国併存体制(世界経済)のような分権的なシステムの下でこそ起こったのであって、世界帝国のような一つの集権的なシステムの下では実現しない。明朝や清朝の中国では、次々と新しい制度が導入されるなどということは起きようがなかったのである。(pp342-343)

ここでも日本に翻ると危機感が高まる。東京と地方の関係を見れば、それは分権からは程遠い。戦国時代を始め、日本でイノベーションが盛んだったのは分権を通り越して混乱していた頃だったことを思えば、今はいくらなんでも中央集権が過ぎるかもしれない。日本が現状を変える一歩、重要な一歩として、道州制を始めとした地方分権政策を忘れてはいけないのだろう。

 

感じるな考えろ

本書を読んで印象に残った一番のフレーズはこれかもしれない。「感じるな考えろ」

 

AIの時代には感性が大事、人間はクリエイティビティで勝負だと言われる。でも、井上さんはそうじゃないと語る。むしろ、AIが苦手としているのは「悟性」だという。悟性とは、言語を駆使した論理的思考だ。

言語には「概念」が伴う。Siriに「猫とはなんですか」と聞けば猫の画像を示してくれるかもしれないが、「自由とはなんですか」と聞いてもWikipediaを引っ張ってくるのが精一杯だろう。人間は自由という高次の概念を思考するために、たとえばナチスドイツやホッブズのリヴァイアサン論といった別の概念を組み合わせることができる。今の所、こうした論理的思考はAIの苦手分野らしい。

 

一方で「ありきたりな人間の感性はAIに代替される」というのだ。井上さんはアメリカの「グリッド」というホームページ会社を例に出す。

 アメリカのグリッドというホームページ制作会社は、人間のデザイナーを一人も雇っていない。代わりにコンピュータが、素晴らしいデザインのホームページを続々と生み出している。並みの感性ではもはや、コンピュータには打ち勝てない。(p216)

「AIは雇用を奪う」と危機を煽る言説に「だからこれからはクリエイティブの時代だ」と付け加える人がいれば注意した方がいいのかもしれない。その人はAIによる大分岐を何も分かってない恐れがある。井上さんが「感じるな考えろ」と言うのは、その本質を分かっているからだ。

 もちろん、大学のレポートや論文には感じたことではなく、考えたことを書くべきだ。ブルース・リーは「考えるな感じろ」と言ったが、学生には逆のことを指導したい。感じるな考えろ。(216-217)

感じるな考えろ。これを胸に刻むべきは学生だけではない。日本に危機感を持っても、大分岐が恐ろしくなっても、慌ててはいけない。できることは考えること。まずは勉強、勉強だ。

 

今回紹介した本は、こちらです。

純粋機械化経済 頭脳資本主義と日本の没落

純粋機械化経済 頭脳資本主義と日本の没落

 

 

「純粋機械化経済」は「人工知能と経済の未来」をより学術的により濃厚にした感じです。「純粋機械化経済」が難しそうだと尻込みしたら、先に「人工知能と経済の未来」を手に取るといいかもしれません。

www.dokushok.com

 

人類史という遠大なスコープを持ち出すと、物事はこんなに面白く見えるんだなというのが本書の発見でした。それを科学、生物学の分野でやってくれているのが「利己的な遺伝子」だと思います。遺伝子とは何なのか、人間が生み出した文化的遺伝子「ミーム」とは。骨太ですが、読みがいがあります。

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