読書熊録

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女性を1日100語しか喋らせない絶望社会ー読書感想「声の物語」(クリスティーナ・ダルチャーさん)

女性だけが特殊な腕輪を装着させられ、1日100語以上を喋ると強烈な電流を浴びせられる。女性の声を奪ったディストピア社会を描くのが、クリスティーナ・ダルチャーさんのSF小説「声の物語」だ。

 

一部の女性が出産のための道具として使われるというSF小説「侍女の物語」の、「21世紀版」という惹句に大きく頷いた。恐ろしいのは、ジェンダーという一つの属性で、一方が一方を支配し抑圧することだけではない。女性を「喋らせない」というあり得ない世界が現在と地続きにあると思えてしまうことだ。政治への無関心、他者へのヘイトが降り積もれば、それは雪崩となってディストピア社会を招く。恐怖の手触りを感じるために、本書を読む価値がある。市田泉さん訳。新ハヤカワ・SF・シリーズ、2019年4月25日初版。

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声の物語 (新ハヤカワ・SF・シリーズ)

声の物語 (新ハヤカワ・SF・シリーズ)

  • 作者: クリスティーナダルチャー,オートモアイ,市田泉
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2019/04/18
  • メディア: 新書
  • この商品を含むブログを見る
 

 

言葉は喜びの源泉

「声の世界」のアメリカでは、「伝統的価値観」が奨励される。キリスト教を捻じ曲げといえるようなくらいの角度で解釈し、男尊女卑を正当化する。その結果、「おしとやかで静謐な女性」になるための補助器具として、言葉を制限するカウンターがつけられる。それだけに留まらない。政府は、女性に下記の宣誓文を読ませることを日課にしようとする。

 わたしは信じます。男は神の姿と栄光を真似て作られ、女は男の栄光のしるしであると。なぜなら男が女から作られたのではなく、女が男から作られたのですから。(p101)

このアメリカは人類が積み上げた全てをぶち壊している。政教分離、民主主義、法の下の平等、科学と神話の峻別。何もかもなくなっている。

 

主人公ジーン・マクラレンは、こんな世界で認知言語学の専門家という皮肉な立場にいる。いや、正確には「元」認知言語学者。なぜならジーンが女性だからだ。女性は喋れない。喋れなければ働けないし、そもそも女性はあらゆる職場から除外され「家」に追いやられている。

そんなジーンの元にある日、大統領の側近が訪れる。女性を制限する政策を推進した張本人サム・マイヤーズ大統領の側近だ。言うに、サムを引き上げてきた兄の国会議員ボビーが事故に巻き込まれて脳に損傷を負い、発話が困難になった。その治療をジーンにお願いしたいという。交換条件として、ジーンと娘ソニアの「腕輪」を外してあげよう。果たしてジーンは・・・というのがあらすじだ。

 

大人が100語我慢することはもちろん苦しい。しかしジーンの絶望は娘のソニアに対してこそ深い。それは、声、言葉はあらゆる喜びの源泉だからだ。

 今、このキッチンにはいられない。娘がココアを飲むのを見守りながら、カウンターの上の白い封筒を、まるで腐った名誉勲章が入っているようにながめることはできない。そこで私は別の場所に行く。娘が運動場にいて、縄跳びしたり、アルファベットゲームをしたり、「ミス・ルーシーは蒸気船を持ってた」を歌ったり、婉曲な罵り語にくすくす笑ったりする姿を思い描こうとする。ソニアが列に並んだり、転校生の男の子のことをささやいたり、ラブレターや恋占いを書いた紙を”パクパク”の形に折ったりするところが浮かんでくる。始業ベルが鳴る前に、何千ものたわいない、それでいて貴重な言葉を話すのが聞こえてくる。(p107)

運動場に駆け出す声、縄跳びにはしゃぐ声。ひそひそ話、くすくす笑い、隠語。声はその全てに結びついている。言葉は全てを支えている。「黙らせる」とは政治的な意味合いのある言葉だ。でも、本当に「声を奪った」とき、失われるのはあらゆる抗議だけじゃない。たわいない言葉こそ、貴重な言葉なんだというジーンの一言には、深く深く同意する。

 

差別には「次」がある

女性の声を奪うことは、女性だけの問題だろうか。男性には関係ないだろうか。むしろ男性は笑いが止まらない社会だろうか。そうじゃない。それは、差別には「次」があるからだ。

 

それに気付かされたのは、ジーンが家によく来る配達人デルの妻シャロンに、ソニアのシッターを依頼しにいくシーンだ。実は、デルはレジスタンスで、シャロンの腕輪にも細工し、自由に喋られるようにしている。だからジーンとシャロンは、女性でもあっても問答ができた。 

 「デルはここで何をしてるの?」

 「機械をいじくってる」

 「何のために?」

 シャロンがじろりとこっちを見る。「何のためだと思う? あたしをよく見て、ジーン、あたしは黒人の女だよ」

 「わかってるけど、それで?」

 「それで、カール牧師と神聖なピュア・ブルーの羊たちはあとどのくらいで思いつくと思う? 神の思し召しで違うものとして作られたのは女と男だけじゃない、黒人と白人もそうだって。うちみたいな黒人と白人の結婚は、神の計画に含まれていると思う? だとしたら、あなたは思ったほど賢くないね」(p187−188)

神の思し召しで男と女が作られたなら、白人と黒人もそうじゃないか?こうして神は都合よく使われる。男女差別を容認する国は、やがて人種差別を容認する。こうして差別は拡大する。このあとの会話も学びが深い。

 わたしは顔が赤くなるのを覚える。「考えたこともなかった」

 「そうだろうね。いや、いじめるつもりはないんだ。でもあなたたち白人女は、あなたたちが心配してるのは、そう、白人女のことばかり。あたしみたいな女は、一日に百語話せるかってこと以上に心配しなくちゃいけないことがある。(中略)」(p188)

白人女性であるジーンは、白人女性のことしか心配してない。あなたたちは、あなたたちのことしか心配してないでしょう?シャロンの問いかけは、自分を超えて他者への想像力を働かせなければ、差別の大波を止めることなどできないと示唆している。

 

シャロンの言葉で、マルティン・ニーメラー氏の有名な言葉を思い出す。

ナチスが共産主義者を攻撃したとき、私は声を上げなかった

私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者を牢獄に入れたとき、私は声を上げなかった

私は社会民主主義者ではなかったから

労働組合員を攻撃したとき、私は声を上げなかった

私は労働組合員ではなかったから

そして彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

「声の物語」の世界に住む男性が「私は女性じゃないから」と事態を傍観していれば、いつのまにかそのうちの黒人男性が差別されていくだろう。次は非キリスト教徒だろうか?そして最後には、自分を助けてくれる人など誰一人いなくなる。

 

善が何もしなければ悪が勝つ

「声の物語」の世界は、どんな風にして成立したんだろうか?その経緯は、物語の進行とともにジーンが少しずつ振り返り、明らかにされていく。その総括的な一言が、物語の後半に登場する。

 でも、わたしの過ちだ。わたしの過ちは、木曜日にモーガンの契約書にサインしたときに始まったわけではない。二十年前、わたしが初めて選挙に行かなかったとき、忙しいからデモに付き合ったり、ポスターを作ったり、議員に電話したりできないとジャッキーに何度も言ったときに始まったのだ。(p249)

ジーンは自らの「過ち」を考えた時、二十年前を思い起こす。選挙の機会に行かなかったこと。政治活動に真剣に取り組んでいたジャッキーのことをまるで相手にしなかったこと。その全てが、ディトピアとしか言えない今につながってるんだと。

 

ジーンの息子スティーヴンがつぶやいたこの一言にも思いを馳せたい。

 「善人が何もしなければ悪が勝つんだ。そういう言葉があるよね」

 スティーヴンはバーク(エドモンド・バーク。十八世紀イギリスの政治思想家)の名言の要点をつかんでいるーー正確な引用ではないけれど。わたしは彼の言いたいことがわかってうなずく。

 ジャッキーならその言葉が気に入るだろう。(p218)

悪=ディストピアを実現する思想は、何もしなければ去っていくわけではない。ジーンはそのつもりで傍観していた。そして、悪は勝った。

「善人」の対比が「悪人」ではなく「悪」であることにも注目したい。問題は男性なのではない。女性を差別する男性以上に、「女性を差別することは可能だ」という発想そのものが「悪」なのだ。だから、小さなヘイトにも敏感でいたい。そういうものに加担する政治的な動きには小さくともノーと言いたい。それが「声の物語」を現実化しないために、今からできることだ。

 

今回紹介した本は、こちらです。

声の物語 (新ハヤカワ・SF・シリーズ)

声の物語 (新ハヤカワ・SF・シリーズ)

  • 作者: クリスティーナダルチャー,オートモアイ,市田泉
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2019/04/18
  • メディア: 新書
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「声の物語」とは反対に、女性だけが圧倒的なパワーを獲得した社会を描いたのがナオミ・オルダーマンさんの「パワー」です。これが痛快でありながら、ユートピアとも言えないのが面白い。権力の本質を学べる本です。

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ノンフィクションでは「説教したがる男たち」はいかがでしょうか。説教という小さな出来事が「レイプカルチャー」につながっていることを見通すフェミニズム論考の傑作だと思います。

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