読書熊録

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地位財をめぐる軍拡競争ー読書感想「幸せとお金の経済学」(ロバート・H・フランクさん)

「幸せとお金の経済学」は、幸せになるための消費の秘訣を教えてくれる。ワンセンテンスで言うと「地位財より非地位財へお金を使おう」地位財とは「他人との比較で価値が生まれるもの」非地位財「他人が持っているかに関係なく、それ自体に価値があり喜びを得られるもの」。車や家、社会的地位ではなく、愛情や健康、休暇にプラスになる消費をしよう、と。

 

本書が面白いのは、非地位財へお金を使うために、「地位財へついついお金を使ってしまう人間の性質を知ろう」という中身であることだ。ただのアドバイスではなく、人間の認知的弱点を学べるから納得感がある。著者のコーネル大教授でニューヨークタイムズのコラムニスト、ロバート・H・フランクさんの知見が動員されている。地位財への誘惑は凄まじい。そして地位財の誘惑は軍拡競争のように終わりがない。その蟻地獄性を理解すればこそ、非地位財に心を向けていける。金森重樹さん監訳。フォレスト出版、2017年11月3日初版。

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幸せとお金の経済学

幸せとお金の経済学

 

 

地位財へお金を使いがち

改めて、地位財とは何で、非地位財とは何なのか。監訳者の金森さんがまえがきで整理してくれている。

●地位財=他人との比較優位によってはじめて価値の生まれるもの。

(例:所得、社会的地位、車、家など)

●非地位財=他人が何を持っているかどうかとは関係なく、それ自体に価値があり喜びを得ることができるもの。

(例:休暇、愛情、健康、自由、自主性、社会への帰属意識、良質な環境など)(p5)

キーワードは比較。みんなが軽自動車の中、たった一人だけベンツに乗っている状態と、全員がベンツを所持している状態を想像した時、ベンツの「ステータス性」は変わるだろう。もちろん、純粋に車が好きで、ベンツという車種を愛しているという人なら、ベンツも非地位財になりうるけれど。

隣の席の人が休暇10日だろうが5日だろうが、自分が得られる休暇のウキウキ感は変わらないだろう。非地位財は、人がどうこうは関係なく嬉しいものだ。

 

非地位財へお金を使おうという指摘は直感的に理解できた。それをわざわざ言う必要があるのは、「人間は地位財へお金を使いがち」だからだ。地位財への消費は「競争」になりがちだからだ。フランクさんは「ある特定の1人の消費が他の人にコストを強いている」と指摘して、こんな例を挙げる。

 たとえば、ある求職者が面接用のスーツに余分なお金をかけたとします。この場合、他の人たちは同じように余分なお金をかけるか、さもなければ二次面接に進むことをあきらめるしかありません。しかし、すでに述べたように、全員が余分なお金をスーツにかけた場合には、職を得る可能性は誰にとっても変わらないのです。(p35)

地位財の価値は変動する。誰かがスーツにお金をかけたら、相対的に自分のスーツのグレードは下がるのだ。もしも就活なら「地位財に投資しないと負けるかもしれない」という心理が働く。悲しいことに、全員がこの意識で動くと、全員がスーツにコストをかけただけで、相対的な価値は誰も上がらない。

 

要するに見栄かもしれない。だけど、見栄っ張りだねと笑って済ませられないほど、地位財への消費競争の影響は大きい。たとえば、結婚式の費用。

 今日のアメリカで結婚にかかる費用の平均は約3万ドルで、これは1990年のおよそ2倍です。余分にお金をかければ、夫婦や家族がより幸せになれると信じる人がいるのでしょうか?

 多くの消費財ーーたとえばある一定の大きさを超える家などーーに余分にお金をかけることでその分のメリットを享受できるわけではないのに、余分に使ったお金のせいで生活の質を本当に高めてくれるようなものへの支出がないがしろにされてしまうのです。(p34)

結婚式を豪華にしたって幸せになるわけじゃない。でも、周りが地位財を消費すると、同じ消費財でも価値が下がってしまうのだ。その行動の集積が、結婚式費用が2倍になるという甚大な結果を招いている。

 

相対的欠乏

地位財への消費は増えがち。特に、周りが地位財への消費を引き上げると、自分も消費を増やしてしまいがち。この現象を見るときに、「相対的欠乏」という概念が役に立つ。

 

ロバートさんは「あなたの車が1979年型のシボレー・ノヴァだったとき、不都合はあるか」という問いかけをする。そして、「その答えはほぼ間違いなく局所的コンテストによって決まります」と指摘する。もしもあなたがハバナにいれば、この車は高級車として扱われる。一方で、ロサンゼルス近郊の高級住宅街ベル・エアなら、周囲はポルシェが止まっていて、とたんに普通の車に感じられてしまう。高級住宅街で生まれる欠乏感。コンテクストによって生じるこの飢えが、相対的欠乏だ。

 

限られた成功者以外、相対的欠乏から逃れられない。ロバートさんはこんな言い回しで語る。

 つまり、スティーブン・スピルバーグのように、すでに成功者だと誰もが知っている人なら、1979年型シボレー・ノヴァに乗っていてももちろん問題はありません。もう何も証明すべきことは残っていないのだと証明するだけのことです。

 しかし、スティーブン・スピルバーグでない限り、あなたは自分のノヴァを数ブロック離れたところに停めようと考えるでしょう。

 ベル・エアの実力者を目指しているなら、この車を運転しているところを見られたくないと思うのも、心理的な弱さとは言い切れません。(p99)

スピルバーグであれば、シボレー・ノヴァも「オリジナルな感性」と捉えてもらえるかもしれない。地位財を持ちに持った人なら、それは非地位財なんだと認識される。でも、普通の人ならば、たとえ車に満足していても、コンテクストが生む相対的欠乏が、どこか「みじめさ」を掻き立てるはずだ。

 

こんなみじめさを味わいたくないと思うと、あらゆる地位財を「それなりにしたい」と思ってしまう。これが罠だ。

 要するに、相対的欠乏とは、質の評価を決め、需要を動かす相対的なコンテクストのことを指すのであれば、それはもう二義的な概念ではありません。食べ物のような生活必需品を含めたほとんどすべてのものに当てはまります。

 たとえば、結婚記念日のディナーに出かけるカップルの頭に、友人や近所の人に対して優越感を感じたいという考えが浮かぶことはおそらくないでしょう。2人の目的は、ただ記憶に残るような食事を楽しむことだけです。

 しかし、記憶に残るような食事というのは、相対的な概念の典型なのです。他の食事より際立った食事を意味するのですから。(p49)

結婚記念日のディナーは非地位財になりうる。そこで他の誰かより豪華なディナーをとりたいという人はいない。でも、「みっともないと思われたくない」と思う気持ちは心の奥底にあるかもしれない。相対的欠乏は、無意識下に作用しうる。そうやって非地位財を地位財に引きずり込んでしまうかもしれない。

 

勝者総取りの時代の軍拡競争

ロバートさんは、地位財への消費は「軍拡競争」だと言う。本当にその通りだ。相対的欠乏は、地位財への消費を拡大する勢力がいる限り、増すばかりだ。

 実際に目にしているように、家族が直面する問題は軍拡競争と同じです。

 自分の支出額は自分で決められますが、 相手の支出額までは決められません。

 平均より狭い住宅を購入する中流世帯は、子どもたちを平均の学校に通わせなければなりません。平均以下の小型車を購入すれば、交通事故で死亡するリスクも高まります。爆弾や個人消費に費やす金額が少なくなれば、他の急を要する支出に使えますが、他の人たちが費やす金額も少なくなることが前提とならなければいけません。(p213)

 

加えて意識すべきなのは、富の分配がどんどん「勝者総取り」になっていることだ。ロバートさんはこの傾向は終わらないと指摘する。

(中略)さらに長期的に見れば、テクノロジーが所得や富の分配を変つづけ、分配の変化が支出パターンを変え続けるでしょう。勝者総取りの仕組みが終わったという兆候は、まったくありません。

 どんな商品やサービスにも必ず品質の優劣があり、高品質なものには喜んで高い金額を支払う購入者も必ず存在します。これからもテクノロジーの活用によって、トップメイカーは勢力を拡大しつづけ、高所得層は高品質な商品やサービスを手に入れられるでしょう。

 高品質なものをつくる側、それに対して高い対価を支払う高所得層という組み合わせは、今後ますます増えていくばかりでしょう。(p194)

グーグルやフェイスブックを考えればすぐ分かる。圧倒的強者が市場のほとんどを持っていき富をどんどん高めていく。重要なのは、高所得者が地位財へ消費をするほど、軍拡競争は加熱するということだ。中所得者の地位財の価値は相対的に下がる。ここで相対的欠乏に取り込まれたら、高所得者に引き摺られて地位財へ消費を拡大してしまう。

 

ここまでくれば、冒頭の「非地位財へお金を使おう」というメッセージがシンプルでありながら難しく、そして非常に重要であることが分かる。軍拡競争から完全に降りることは難しくても、なるべく避けることはできる。そして、軍拡競争に巻き込まれない方が、間違いなく幸せだ。

 

今回紹介した本は、こちらです。

幸せとお金の経済学

幸せとお金の経済学

 

 

本書は「幸福学」の一角をなす本だと思います。本質的に幸せにつながるものへ意識を向けようというのは、幸福学の普遍的なメッセージ 。「幸せな選択、不幸な選択」は、認識論の観点からこのメッセージを学べます。

www.dokushok.com

 

非地位財を大切にするためには、自分が何に価値を感じ、何に喜び感じるかを考えることが大切になりそうです。「羊飼いの暮らし」はヒントになりそう。自分の人生を「長い長い鎖の小さな輪」と言い切る、ジェイムズさんの言葉に心が磨かれます。

www.dokushok.com