読書熊録

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具体的で小さな戦術ー読書感想「『空気』を読んでも従わない」(鴻上尚史さん)

アエラドットの人生相談コーナーの回答を見ていつも唸らされていたのが、作家で演出家の鴻上尚史さんだった。その鴻上さんが「どうして周りの目が気になるの」「人間関係が息苦しいの」という思春期の子どもたちの不安に答える形でまとめた本が「『空気』を読んでも従わない」になる。素敵なのは、具体的で小さな戦術を提案していること。空気という名の「世間」は容易には変えられないけれど、不変でもないんだよ。岩波ジュニア新書だけれど、大人にも響く中身だった。2019年4月19日初版。

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「空気」を読んでも従わない: 生き苦しさからラクになる (岩波ジュニア新書)

「空気」を読んでも従わない: 生き苦しさからラクになる (岩波ジュニア新書)

 

 

世間と社会とスマホ

鴻上さんはズバリ「世間と社会という二つの言葉を理解するとあなたの息苦しさのヒミツがよく分かるようになるのです」と語る。世間と社会、その腑分けも実に鴻上さんらしくわかりやすい。

 「世間」というのは、あなたと、現在または将来、関係のある人達のことです。

 具体的には、学校のクラスメイトや塾で出会う友達、地域のサークルの人や親しい近所の人達が、あなたにとっての「世間」です。

 「世間」の反対語は、「社会」です。

 「社会」というのは、あなたと、現在または将来、なんの関係もない人達のことです。

 例えば、道ですれ違った人とか、電車で隣に座っている人とか、初めていくコンビニのバイトの人、隣町の学校の生徒などです。(p14)

「世間」は現在または将来自分に関係する人で、「社会」はなんの関係もない人。たしかにたったこれだけで世間と社会の差が理解できる。固い言葉で言えば「親密圏」や「紐帯」になることを、鴻上さんは中高生でもきっと分かる言葉に解きほぐす。

 

刺激的だったのが、世間と社会の違いとスマホを絡めて論じた最終盤の章だった。スマホ、特にSNSを使っているとなぜみじめな気持ちになるのか。「承認欲求」の問題を、ここでも平易な言葉に置き換える。既に学んだ世間と社会の概念に引きつける。

 多くの人がスマホでつながることで、ますます孤独を感じるようになっているのです。

 考えてみれば、変な話です。多くの人とつながればつながるほど、楽しくなったり、安心したりするのではなく、孤独や不安になるのです。

 スマホは不幸なことに、「世間」を「見える化」しました。

 自分がどんな「世間」にいるか、どれぐらい「世間」からハジキ飛ばされているか、「世間」は今どうなっているのか、を目に見える形で示すのです。(p180)

スマホは、人間関係が濃く息苦しくなる「世間」をはっきりと見えるようにした。なんとなく嫌だなあという「感じ」を文字や写真、つながりに「見える化」した。だから「世間にどう思われているのか」という自意識も肥大化した。だから鴻上さんは、スマホを世間を強化する方向ではなく「社会」とつながるために使ったほうがいいとアドバイスする。

 ネットはあなたに、あなたにあった小説や映画、演劇を教えてくれます。あなたが、見てよかった、読んでよかったと心底思えるものを教えてくれるのです。

 ネットは、世界の片隅で、必死に生きている人達を教えてくれます。あなたが感動する人間の存在を教えてくれます。あなたが旅すべき街を教えてくれます。

 それは、あなたをあなたの「世間」から自由にし、息苦しさから救ってくれるものなのです。(p185−186)

スマホを通じて、心を震わせる本や映画や人や物語や旅を知れる。それを届けてくれるのは、自分とは何も関係がない「社会」の人なんだ。世間を意識し強化するようには使わないこと。社会への窓とすること。

すごい。なんの難しい言葉も使わず、世間と社会という概念に上乗せすることなく、ここまで到達している。しかも希望を示している。鴻上さんのお悩み相談パワーここに極まれりだと感じた。

 

小さな戦い

世間にとらわれるなとか、社会に飛び出そうとか、鴻上さんは大上段に構えない。むしろ世間ってなかなか逃げられないよね、という共感を出発点にする。それでいて、小さな戦い方があるんだよと道をしめしてくれる。

 

鴻上さんはあるとき、帰国子女の小学五年生の女の子の母親から相談を受けた。アメリカで来ていたオシャレな洋服を学校に着て行ったら、いじめられた。でも父親は「好きな服を着ていけばいい」と言う。女の子は板挟みになった。

鴻上さんはお母さんに対して、女の子に「地味な服で学校に行きなさい」と言うようアドバイスした。ただし、こんな言葉を添えた。

 ただし、娘さんに「今、あなたはいじめっ子ではなく、『日本』と戦っているんだ」と伝えて欲しいと言いました。

 そして、「いじめに負けたから、地味な服を着るのではなく、やがて勝つために地味な服を着るんだ」とも伝えて欲しいと。(p135)

いじめに屈して地味な服を着るのではないと。やがて勝つために地味な服を着るんだと。どういうことか。鴻上さんは続けて「家に戻って友達と遊ぶときは、着たい服を着るのです」と指南した。

 やがて、一緒に遊ぶ友達が「その服、おしゃれでいいね。私もそんな格好してみたい」と思ってくれたり、言ってくれたりしたら、一歩前進です。

 そうやって、クラスで負けて、他の所で勝つのです。

 結果として、クラスが変わるかというと、そうはならない可能性の方が高いでしょう。

 小学1年生のランドセルは毎年変わらないし、就活用の黒のリクルート・スーツもなかなか変わりません。

 でも、そういう小さな戦いが、この国の大きな「世間」をゆさぶり、変えるきっかけになることは間違いないのです。(p136)

クラスで負けてもいい。「世間」を革命できなくてもいいし、そんなことは容易ではない。だけど、それは完敗を意味しない。学校以外の場で好きな服を着ることで、友達に魅力が伝わるかもしれない。そのときの「空気」はもう前のものとは違う。それは小さな戦いの小さな勝利だ。

 

強い世間を鎧にしない

大人が刮目しなきゃいけないと思ったのが、「強い世間を強い自分と誤解しない」ということだ。強い世間を鎧にし始めると、おかしなことになる。

 強い「世間」に所属すると、あなたは強くなります。

 それは、あなたが強いのではなく、あなたを支えてくれる「世間」が強いからです。

 私達人間は弱いので、そういうもので自分を強くします。

 無職より、大企業で勤める方が強くなります。偏差値が低い学校より、高い学校に通う方が自分は強くなったと感じます。

 低いランクの大学に行くより、高いランクの大学に行く方が自分を強く感じます。

 でも、それは、私達自身が強くなったのではなく、大企業や偏差値の高い学校という強い「世間」に支えられているだけです。(p173)

強い世間で武装しても、それは結局世間が強いだけ。自分は何一つ強くなっていない。何より世間がいかに強くても、それは社会に通じるわけではない。むしろ世間の鎧が邪魔をして、社会とつながりにくくなる。

 

世間にこもって社会に繋がれない方が、今の時代はリスクになる。だから鴻上さんは「たったひとつの世間ではなく複数の弱い世間にも所属すること」を説く。世間だけで生きていけない日本にもうなっている。だから子どもたちだけじゃなくて大人である自分たちも、多層的な世間に立って、社会に開かれていなくちゃならないんだと思う。

 

今回紹介した本は、こちらです。

「空気」を読んでも従わない: 生き苦しさからラクになる (岩波ジュニア新書)

「空気」を読んでも従わない: 生き苦しさからラクになる (岩波ジュニア新書)

 

 

世間が不安定化する中で、なんとか安定的な世間を作りたいと言う欲望が、時に差別やヘイトを生むんだろうと思います。そうした分断に落ち込まないようにアイデンティティ論を丁寧に紡いだのがアミン・マアルーフさんの「アイデンティティが人を殺す」です。こちらもわかりやすい言葉で書かれています。

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世間、誰かの評価、「イイね」に囚われるとどうなるか。それを物語にしたのが朝井リョウさんの「死にがいを求めていきているの」です。相対評価から絶対評価に、という平成時代の大転換が、子どもの価値観にどう影響したかが見てとれます。

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