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読書録K

本に出会う歓びを、誰かと共有したい書評ブログ

被害者が責められる犯罪―「ミズーラ 名門大学を揺るがしたレイプ事件と司法制度」

 

  大切な人の命を奪われた。取り返しのつかない怪我を負わされた。空き巣に入られて家財道具を盗まれた。そのとき、周囲の人々や、もっとひろく社会は、被害者になったその人をいたわるだろう。つらかったね、と。一方で、「あなたが悪かったかもしれない」というまなざしを向けられる犯罪被害が存在する。それがレイプ(強姦、強制わいせつ、性的暴力)だ。

 ジャーナリストのジョン・クラカワー氏がレポートした本書「ミズーラ 名門大学を揺るがしたレイプ事件と司法制度」(菅野楽章氏訳、亜紀書房)は、レイプ被害者が二重にも三重にも傷付けられ、レイピスト(加害者)がいかに裁かれないかを、緻密な取材の積み重ねで明らかにしてみせる。本文は約500ページ。しかしそのほぼ全てが被害者へのインタビューや陪審裁判の様子などの具体的な事実で構成され、思わず次を読ませる内容だ。

 

◎加害者への甘さ=「女の子の落胆」扱い

 タイトルのミズーラは米モンタナ州にある都市の名前で、クラカワー氏はこの街にある名門大学で起きたレイプ事件を取り上げている。むしろ、その事件のみを虫の目で丹念に調べていくことで、日本にも通じる「レイプと社会」の問題をあぶり出す。

 加害者への甘さへつながる大前提に、レイプの実態と社会認識のずれがある。夜道や人けのない場所で、突然、見知らぬ人間に襲われることがレイプの典型的なイメージだろう。しかし、実際は被害の8割以上が顔見知りの犯行だという。このずれから生まれてくるのは、友人や親族からの被害を訴えた女性/男性への、「嘘つき」「誤解だ」という反応だ。実際、強姦罪での訴追を渋った検察官は、こう語る。

 パブストはこう言い放った。「陪審員のみなさん、この事件の本質はレイプではなく、一人の女の子の落胆なのです」。大きな期待を抱いていた性行為がうまくいかなかったことへの失望が、ミズーラのレイプスキャンダルという「迫りくる嵐」によってレイプ被害の告訴というかたちに変わった、というのがパブストの主張だった。(P334)

 レイプが法律上、重罪にされていないわけではない。その審理にたどり着く前に、人々の「常識」が、加害者の無罪放免を許している。著者はそれを「掟の門前に門番が立っている」と看破した。

 

◎被害者=終わらない自己否定

 加害者を守る地域や社会の実相が解き明かされるのと並行して、レイプ被害者の深い痛みが伝えられる。どれだけレイプへの知識がなくても(自分もだ)、そのつらさがなんたるかは必ず胸に迫ってくる。

 ある被害女性は、加害男性が自殺しようと橋から飛び降りる夢を見る。

 「(加害男性を助けようと)彼のところまで泳いでいって、岸に引っ張っていこうとしていたら、突然彼が目を覚ましました。あの表情で」(中略)「わたしのほうを見て笑ってるんです。それでわたしは、彼は溺れてなんかいなかった、自殺するために橋から飛び降りたわけじゃなかった、と気づきました。ボーはわたしをつかんで、水中に押し込んで、溺れさせようとしてきました」。そこで(人名略)は目を覚まし、恐怖に怯えたという。「(中略)まだボーを―幼馴染みを―を信じたいという思いがあって、その現実と格闘していたんだと思います」(P242)

 顔見知りからのレイプは、身体への侵略にとどまらず、培ってきた信頼をすべて破壊する行為でもある。それに加えて、周りは「女の子の落胆」という目でも見てくるのだ。「私が悪いの?」「彼を信じればいいの?」。でも、そんなの無理でしょう、と読んでいて叫びたくなる。なんで「傷付けられた側」にさらなる努力を求めるの??

 絶えず繰り返す自己否定と、「人を信じること」を失い、取り戻すのが困難であることこそ、レイプが「魂の殺人」と呼ばれる理由だと感じた。

 

 ◎アメリカでこうなら、日本は?

 衝撃を受けたのは、「アメリカでこうなの?」ということ。読む前のイメージで、性犯罪への「厳格さ」は、少なくとも日本よりも持っている国だと思っていた。

 実際、日本にはない進歩的な側面は本書でも描かれている。たとえば、舞台になった学校では、一般の刑事裁判とは別の「大学裁判所」が存在し、独自にレイプ加害に対して「大学からの除籍」などの制裁を課すことができる。しかも、刑事的な犯罪認定とは異なる「証拠の優越」という基準を採用していて、実際にレイプ被害があったとみてしかるべき証拠があれば、加害行為の立証は十分となる。(いわずもがなだが、刑事罰ではなく大学としての処分なので、証拠の優越という判断基準が採用できている。刑事罰もこうしたらいいかは別問題)。

 また、地元紙「ミズーリアン」の存在感も大きい。レイピストが在籍する大学は名門であり、わけても彼らが所属するアメフト部は「地域の誇り」だ。しかしミズーリアンは臆せず、被害者の話を丹念に聞き取り、被害者の側に立って報道する。

 それでも、なのだ。それでも加害者は許され、被害者は責められる。だとすれば、日本のレイプ被害者はどれほど苦しんでいるだろうか。恐ろしくなった。