読書熊録

本に出会う歓びを、誰かと共有したい書評ブログ

小説

こんな恋愛小説が読みたかったー読書感想「平場の月」(朝倉かすみさん)

50歳に差し掛かる男女、しかも色々と訳を抱えて故郷に出戻った男女の思い合いを、「平場の月」は描く。読み終えて、そうだ、自分が読みたかったのはこんな恋愛小説だったんだと思った。輝かしい未来よりも抱えた過去の方が多い二人。客観視や成長志向とは程…

女性を1日100語しか喋らせない絶望社会ー読書感想「声の物語」(クリスティーナ・ダルチャーさん)

女性だけが特殊な腕輪を装着させられ、1日100語以上を喋ると強烈な電流を浴びせられる。女性の声を奪ったディストピア社会を描くのが、クリスティーナ・ダルチャーさんのSF小説「声の物語」だ。 一部の女性が出産のための道具として使われるというSF小説「侍…

女性が電撃を放てるようになった世界ー読書感想「パワー」(ナオミ・オルダーマンさん)

ある日、女性が手のひらから電撃を放てるようになった。まるでデンキウナギのように。本気を出せば、男性の命さえも奪えるようになった。裸一貫で、手ぶらで。じわじわと、男性優位の世界は転回を始める。ナオミ・オルダーマンさんの「パワー」は痛快な男女…

善良であることー読書感想「続 横道世之介」(吉田修一さん)

この物語は善良であることがどれほど尊いかを教えてくれる。有能ではなく、優秀でもない。替えがきかないとか、生産性が高いとか、そんなこととも関係ない。善良であること。悪意から距離を置き、善意に溺れることなく、ただただ善良であること。吉田修一さ…

私が私を裁かなくちゃいけないー読書感想「死にがいを求めて生きているの」(朝井リョウさん)

誰も私の価値を決めたりはしない。あるともないとも言わない。だからこそ、私は私を裁かなくちゃいけない。それで、自分を肯定できるのならいい。でもそうじゃない。だからこんなにも、苦しい。朝井リョウさんの長編小説「死にがいを求めて生きているの」は…

アフター2020をどう生きるー読書感想「東京の子」(藤井太洋さん)

小説「東京の子」はアフター2020をどう生きるか、を読者に問い掛ける。五輪は終わった。どうにも使いきれないレガシーが残った。すっかり東京は「国際都市」へ変貌した。足元の雇用は溶け出していく中で、理想なのかどうか判別できないビジョンが立ち上がっ…

短くて痛くて美しい物語ー読書感想「ビューティフル・デイ」(ジョナサン・エイムズさん)

ほんの100ページなのに濃厚な読書体験ができる。ノワール、いやバイオレンスに近い痛々しい世界なのに、綴られる言葉はほのかに詩的で、どこまでも美しい。作家でありテレビ脚本家でもあるジョナサン・エイムズさんの短編「ビューティフル・デイ」は不思議で…

読んだら戻れない進むだけー読書感想「82年生まれ、キム・ジヨン」(チョ・ナムジュさん)

男性はこの本を開いたらもう戻れない。女性というジェンダーであるだけで、人生がどれほどハードモードになるかを、確実に知ってしまう。もう知らないふりはできない。「82年生まれ、キム・ジヨン」という物語はそれぐらいに、生々しい痛みを読者に届けてく…

SF初心者のサーチライトにー読書感想「NOVA 2019年春号」(大森望さん責任編集)

SF小説を読んでみたいけれど、なんだか難しそうだと尻込みする気持ちもある。そもそも何から読めばいいか。そんな悩みを持つ人に本書はうってつけ。アンソロジー「NOVA 2019年春号」はSF初心者にとってサーチライトになる。 各作品50ページほどでさくっと読…

誰かの人生の脇役になれるんだー読書感想「フィフティ・ピープル」(チョン・セランさん)

私たちは誰かの人生の脇役になれる。それは希望だ。それを教えてくれる物語が、ソウル生まれの作家チョン・セランさんの「フィフティ・ピープル」だった。 みんながみんな、自分の人生の主人公なのだと言われる。でも人生という物語は必ずしも大河ドラマのよ…

誰にとっても悪じゃないが、誰かにとって悪であるー読書感想「フーガはユーガ」(伊坂幸太郎さん)

伊坂幸太郎さんの最新長編(2018年12月時点)「フーガはユーガ」は「悪」についての物語なんじゃないかと思った。そんなことを考えずともただただ面白い。だけど読後、この物語に登場する悪、邪悪さがどうにも忘れられない。 キーワードは双子、誕生日、瞬間…

頼れないという貧困ー読書感想「神さまを待っている」(畑野智美さん)

貧困には種類があることをこの小説から教わった。お金がないことによる貧困。家を失うことによる貧困。食べ物にありつけない貧困。どれも深刻なのは間違いないけれど、根っこにあるのは、「誰も頼れない」という貧困なのかもしれない。畑野智美さんの長編「…

12時間後に起こるかもしれないSF小説ー読書感想「ハロー・ワールド」(藤井太洋さん)

このSF小説に描かれている出来事は12時間後に実際に起きているかもしれない。藤井太洋さんの「ハロー・ワールド」はそのぐらい、超近接未来を克明に語る。物語をつくる大道具は、ドローン配送や自動運転車、ツイッター、仮想通貨などなど。帯の惹句にある…

私の過去が全部違ってもそれは愛ですかー読書感想「ある男」(平野啓一郎)

愛した人の過去が全部「別人のもの」でも、その愛は愛ですか。私たちは人の「何を」愛しているんですか。小説「ある男」は、愛している瞬間は疑うことのない愛の根本について、問い掛けてくる。 作者の平野啓一郎さんは「マチネの終わりに」でも「愛と時間」…

人生を砦にしないー読書感想「タタール人の砂漠」(ブッツァーティ)

小説「タタール人の砂漠」は、人生の「罠」を描く。それは軍人が勤める辺境の「砦」。退屈で価値がないはずの砦に縛られた時、人生もまた砦のように硬直化する。 1940年、イタリア人作家ブッツァーティさんが発表した古典作品。当時は「幻想文学」として…

正しさから遠く離れて息を吸うー読書感想「メゾン刻の湯」(小野美由紀)

日常が息苦しくなったら、小野美由紀さんの小説「メゾン刻の湯」を開くといい。正しさとか、美しさとか、生産性とか。「こうあるべき」だと、世の中が駆り立てる価値観から、遠く離れた場所が見つかる。そこで深く息を吸う。 東京の昔ながらの住宅地に佇む、…

終わりの匂いがする恋愛小説ー「じっと手を見る」(窪美澄)

窪美澄さんの「じっと手を見る」は恋愛小説だけれど、キラキラした希望より終わりの匂いがする。人間が誰も避けられない死の予感がする。むしろそれを正面から取り上げている。 富士山が見える田舎町で、介護士として働く男女と、二人に関わる別の男女計4人…

見えないから見えるものー読書感想「伴走者」(浅生鴨)

目が見えないということは、何も見えないということではない。むしろたくさんのものが見えることを、浅生鴨さんの小説「伴走者」は教えてくれる。伴走者とは、視覚障害のある選手のスポーツで、選手の「目」となる存在。「夏・マラソン編」と「冬・スキー編…

明日ここに留まれないとしてもー読書感想「マレ・サカチのたったひとつの贈物」(王城夕紀)

意思に反して、突然、世界のどこかへテレポーテーションしてしまう奇病「量子病」になった女性の物語。王城夕紀さんの「マレ・サカチのたったひとつの贈物」は、SFの世界観の中で、明日にもその場に留まれず、何も「残せない」「積み上げられない」生に意味…

命を奪うことを肯定する女ー「そしてミランダを殺す」(ピーター・スワンソン)

殺人計画の物語の顔をして、殺人計画「から」始まる物語だった。米国人作家ピーター・スワンソンさんのミステリー「そしてミランダを殺す」は転がるほどに予想外の軌道を描く。空港で出会った美しい女に、妻ミランダの不貞を打ち明ける。「ぼくは妻を殺すつ…

ゴッホが本当に描きたかったものー読書感想「たゆたえども沈まず」(原田マハ)

ああ、この物語の世界が終わってしまう。先を読みたい気持ちと、終わりに近づく悔しさと、「たゆたえども沈まず」を読んでいる間に気持ちが行ったり来たりする。「楽園のカンヴァス」などアートを題材にした小説を多く書かれている原田マハさんが本作で取り…

医師の視点ー読書感想「崩れる脳を抱きしめて」(知念実希人)

知念実希人さんは作家であると同時に内科医であり、「崩れる脳を抱きしめて」は医師の視点がピリッと効いたミステリーだと感じた。神奈川県葉山町の海辺にある、高所得者向けの療養病院。抱えた過去から出世にこだわる研修医と、若くして脳に「時限爆弾」を…

ままならない人生だけどー読書感想「キラキラ共和国」(小川糸)

「そりゃ、生きていくってことは、大変よ。ままならないことばっかりなんだもの」。小川糸さんの「キラキラ共和国」は、あっけらかんとしたメッセージに溢れている。鎌倉にある「ツバキ文具店」は、手紙を代わりに書いてくれる「代書屋」でもある。シリーズ…

殺し屋が愛を知ったらー読書感想「AX アックス」(伊坂幸太郎)

殺し屋が愛を知ったらどうなるのか。それでも殺し続けるのか。愛に生きる、生き直せることはできるのだろうか。小説「AX(アックス)」は伊坂幸太郎さんらしい軽妙な物語の運びながら、深淵には重厚なテーマが流れる。最強無敵の殺し屋「兜」は、なぜか恐妻…

「みんな」の呪縛ー読書感想「かがみの孤城」(辻村深月)

思春期の心のひだをここまで言葉にできるなんて、辻村深月さんはすごい。長編「かがみの孤城」を読んで、思わず舌を巻く。それぞれの理由で学校に通えない7人の中学生。ある日、閉じこもった部屋に置かれた鏡の「向こう」に招かれると、そこには美しく静か…

1手ごとに混沌ー読書感想「盤上の向日葵」(柚月裕子)

将棋は1手ごとに複雑になる。将棋を題材にした柚月裕子さんのミステリー小説「盤上の向日葵」もページをめくるごとに混沌とする。山中から見つかった殺人遺体、一緒に見つかった超希少な名駒。警察が目を向けるのは、実業界から将棋界に転身した天才棋士。…

奇跡があると信じてみることー読書感想「百貨の魔法」(村山早紀)

魔法ってあるんじゃない。奇跡があってもおかしくないかも。そう信じられることが希望であり、奇跡だ。魔法だ。村山早紀さんの小説「百貨の魔法」を開いて、閉じて。感じたものは、そんなふうな穏やかな光だ。 戦後復興の象徴として慕われた地域の百貨店。従…

ポスト・ディストピアー読書感想「ユートロニカのこちら側」(小川哲)

これはディストピア小説を超えたポスト・ディストピア小説だ。小川哲さんのSF小説「ユートロニカのこちら側」は、読者に新しい地平を見せる。あらゆる情報を吸い上げる代わりに、極上の生活と、完璧な安全を保証した理想都市。そこで生きることは幸福以外…

信じなくてもー読書感想「星の子」(今村夏子)

宗教とは何か。宗教を信じるとは、あるいは、「宗教を信じる人」を信じるとは。今村夏子さんの小説「星の子」は、傍目には「あやしい宗教」にしか見えないものへのめり込む両親と、その子どもの日常をふわっと切り取る。物語だからこそ、断罪するでもなく、…

日本を焼け野原にー読書感想「オールド・テロリスト」(村上龍)

「本当に日本全体を焼け野原にすべきなんだ」。大戦を経験した意気盛んな高齢者が、義憤を燃やし、テロをも辞さず、と立ち上がったら。村上龍さんの文庫最新作で、1月10日に発行された「オールド・テロリスト」はそんな思考実験の物語だ。「満州国の人間…