読書熊録

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アートミステリーという二重らせん―「神の値段」

 

神の値段 (宝島社文庫)

神の値段 (宝島社文庫)

 

 旅先、出張先で手持ちの本を読み終わってしまうことは、本読みあるあるだと思う。ただ宿泊地や中継駅に必ずしも本屋がない。そんなときに頼りになるのが、キヨスクや駅構内のコンビニに置かれている文庫本。本書は、そんな棚で見つけた一冊だった。

 

 キヨスク棚(あるいはコンビニ棚、セブン―イレブン棚でもなんでも) は急に活字に飢えた中毒者への「特効薬」を意識してか、「誰にとっても絶対に外れなさそうな作品」をそろえてくれている気がする。たとえば西村京太郎。たとえば赤坂次郎。そして「このミステリーがすごい!」大賞作品で、「神の値段」は第14回の受賞作という。

 ミステリーの中でも、「アートミステリー」にあたる。なんと著者の一色さゆりさんは現役の学芸員!!大森望さんの解説で触れられている経歴によると、1988年京都市生まれで、東京芸術大学を卒業し、東京のギャラリーに3年間で働いた。この間に上海、台北、香港、ソウルのアジア各国を飛び回った経験が反映されていて、「神の値段」のストーリーも日・米・香港・中国を股に掛けている。

 

 自らの姿も、声も、コメントも、何一つ表に出さず、墨と紙を使った芸術作品を世に送り出し続けるアーティスト「川田無名」。主人公は、川田作品を専門に扱うギャラリーのアシスタント佐和子だ。上司で、川田と唯一といっていい信頼関係を築いている唯子が謎の死を遂げると同時に、川田の超傑作が発掘され、取り扱うことになり―。というのが筋書きになる。

 あらすじだけ見れば、ミステリーの典型にも思える。唯子の死の真相を探るもなかなかたどり着けず、一方で超傑作を買い求めるコレクターが現れ、思惑が渦巻く。ここに、「アート」という要素が入り込むことで、とたんに物語が面白くなる気がする。

 

 それはおそらく、アートの素人にとって、アートそのものに謎が多いからだ。たとえば、芸術作品を入手するには、佐和子が勤めるような作家と直接のつながりがある「プライマリー・ギャラリー」で買うか、オークションで出品されるのを落札するかであるかということ。現代アートには、必ずしも作家が自作しなくても、弟子らにディレクションすることで「作家の作品」となるケースもあること。自分にとっては初耳。ミステリー自体の謎に、知らなかったアートの世界が絡まって、二重らせんを描いていく。

 

 知らない世界に足を踏み入れる快感だけでなく、普遍的な問いかけにもあふれている。たとえば、オークションの落札額と作品の価値をめぐるやり取り。

 「価格というのは、需要と供給のバランスに基づいた客観的なルールから設定される。一方で値段というのは、本来価格をつけられないものの価値を表すための、所詮比喩なんだ。作品の金額というのは売られる場所、買われる相手、売買されるタイミングによって、常に変動し続ける」

 「じゃあ、あの作品につけたられたのは、値段」

 

 本来価値をはかれないはずの「美」についた経済価値は、価格ではなく値段なんだ。ふむふむ。

 

 本書は、アートについて知らなければ知らない人ほど楽しめる気がする(詳しい人は詳しいゆえの頷きをもって読めるのだろうから、それはそれでうらやましい)。前回レビューした成毛さんの「AI時代の人生戦略」(SB新書)では、科学技術への素養や未来への想像力はSF作品で学ぶようアドバイスがあるけど、同様に「STEAM」のA(Art)はアートミステリーで学べるのでは。原田マハさんの「楽園のカンヴァス」などで。そんなことを思いました。

楽園のカンヴァス (新潮文庫)

楽園のカンヴァス (新潮文庫)

 

  改めて成毛さんの本もおすすめです。

 

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