未知への向き合い方―「星を継ぐもの」
地球から離れた月面で、いるはずのない5万年前の「人間」の遺体が見つかった。どこから来たのか、我々地球人と同じなのか?―。本書「星を継ぐもの」は壮大な謎に遭遇する物語であり、その未知への向き合い方を教えてくれる作品だ。
- 作者: ジェイムズ・P・ホーガン,池央耿
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1980/05/23
- メディア: 文庫
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成毛真さんの「AI時代の人生戦略」で、「STEAMを学ぶにはSF(サイエンスフィクション)を読むべし」と薦められたのを実践。たしかに「星を継ぐもの」のテーマは、たとえばAI(人工知能)のように今後仕事に降りかかるであろう未知技術への対応力を底上げしてくれる気がする。
(※以下、物語中盤に触れるので、若干のネタバレを含みます。ご注意ください)
◎知の横断―「地球人なのか」を解き明かすために
著者J・P・ホーガンさんが本書を発表したのは1970年代。舞台として想像されている社会はいまよりもう数歩進んだ未来社会だが、有する科学技術は我々から見て突拍子もないものではない(要するに、技術的にいまの社会と捉えても大丈夫と言えば大丈夫)。そんな社会が、月面で見つかった太古の遺体が地球人か否かを解き明かすには、いったいどうすればいいだろう?
遺体が地球人であれば、5万年前の人類が一体どうやって月面に行ったのか、合理的な説明が必要だ。またそうした高度な技術の遺構がどうして地球に残っていないのかも謎である。地球外の人間であれば、これほど人類と似通っているのはなぜなのか。そしてそうした生命体が存在できる惑星はあるのか、が焦点となる。
地球に持ち帰られ「チャーリー」と符号を与えられた遺体を、地球の科学者が様々な角度から検討を重ねる。主人公にあたる物理学者・ハント博士も、チャーリーの謎を解き明かすために集められた1人だ。
面白いのは、学者同士はなかなか一枚岩になれないところ。生物学者の目から見れば、循環器系を見ても骨格を見ても明らかにチャーリーは地球人は同一にうつる。別分野の人間にとって別の意見があっても、そもそも専門分野が違えば見える世界も違ってきて、結論同士が融合していくのはなかなか難しい。特に「チャーリーは地球人なのか否か」という問いは一見して妥協できる落としどころがない(地球人であるかそうでないのか、二択になってしまいがち)のが、対話を難しくする。
ここでハント博士は、「チャーリーは地球人なのか」について結論を出さない選択肢を提案する。
「この段階では問題をもっと柔軟な視野で捉えるべきではないか、ということです。何しろ、チャーリーはまだ発見されたばかりですよ」(P94)
ハント博士は結論を出す代わりに、それぞれの専門領域で課題になっていることを聞き、それに示唆を与える「ハブ」の役割を果たすようになる。結論・方針・信条が違えば「シマ」になって横の情報共有が難しい各班が、ハント博士への情報共有とフィードバックを通してつながっていく。
たとえば、ハント博士は直感で、チャーリーの所有する手帳用のものに書かれている象形が、カレンダーではないかと提起する。カレンダー自体はチャーリーの世界で一月が何日か、一年が何月かを示すだけだが、生物班がチャーリーの代謝を解き明かすと、チャーリーの睡眠時間が推計でき、1日の長さが見える。すると、チャーリーの惑星の公転周期が分かる、体重と力の比率を骨格から割り出せば惑星の質量も推定できる、とつながっていく。
生物学だけで、手帳の暗号解読だけでチャーリーが地球人か断定できなくても、こうした事実の積み重ねで、一歩一歩正確な結論へ近づいていく。深い専門知識に加えて、それをつなげた「知の横断」が未知との対峙に重要になってくる。
これは、これから仕事をしていく上で「STEAM」、サイエンス(科学)、テクノロジー(技術)、エンジニアリング(工学)、マセマティックス(数学)の素養が必要だという「AI時代の人生戦略」の要旨と通底する。自らの中に「ハント博士」を置いて、幅広い分野の知識を連結させていく姿勢が、求められるはずだ。