読書熊録

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死はなぜつらいのか?ー読書感想「死すべき定め」(A・ガワンデ)

 死は、なぜつらいのか?そんな根本的な問いに向き合うきっかけをくれるノンフィクションが「死すべき定め 死にゆく人に何ができるか」だ。著者のアトゥール・ガワンデさんは米ブリンガムアンドウィメンズ病院の医師であり、ライターでもある。死は命の喪失であると同時に「自分のストーリーを自分で描けなくなること」でもある。そのつらさに立ち向かう「勇気」に導いてもくれる。原井宏明さん訳、みすず書房。

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死すべき定め――死にゆく人に何ができるか

死すべき定め――死にゆく人に何ができるか

 

 

死は失敗ではない

 死を考える大前提として、「死は失敗ではない」ということを著者ははっきりと宣言する。

 死はもちろん失敗ではない。死は正常である。死は敵かもしれないが、同時に物事の自然な秩序である。私はこの事実を抽象的には知っていたが、具体的には知らなかった。この事実が他の誰かのものだけでなく、私の目の前にいる人のものであり、私が責任を持っている人のものでもあることを。(p序ⅷ)   

 そう、死は失敗じゃない。でもそれは、「自分の死は失敗じゃない」「自分の家族の死も失敗じゃない」と受け入れられることとイコールじゃない。ガワンデさんの言う通り、「抽象的には知っていても具体的には知らない」のが、実際のところだ。いま、もし自分が大病と余命を宣告されたら。「どうして自分だけ」と思ってしまう。「ほかの人は生きられるのに、なぜ自分は生きられない」と。

 

 だから目を背けてしまう。同じ「序」の中で、トルストイの小説「イワン・イリイチの死」が取り上げられている。そこではこんな一節があるという。「イワン・イリイチを一番苦しめたのは嘘であった。つまり、彼は単なる病気であって、死ぬわけではないから、ただ落ち着いて治療に専念していれば、なにかとてもよい結果が出るだろう、といった、なぜかみんなに受け入れられている嘘であった」。

 

 死は失敗じゃない。でも「自分の死」や「目の前の死」は失敗に思えてしまう。だから「まだ生きられる」という「嘘」すら言ってしまう。その死に向き合えない。このことは、繰り返し繰り返し、復習していく必要がありそうだ。

 

立ち去れない外国のように

 死に向かう道は、機能低下の連続だ。足腰は弱り、体力は落ち、認知能力は欠落してしまう恐れがある。死が失敗であり、そこへ向かうことをなんとか避けようとする限り、この機能低下に向き合うこともなかなか難しい。

 

 著者が出会った患者やケア対象者のエピソードの中で、印象的なシーンがある。自宅での生活が困難になった高齢女性、アリス。最高クラスのナーサリー・ホームに入所したことにアリスの子どもたちは安心するが、本人の表情は冴えない。その胸中を、著者はこんな風に説明する。

 アリスにとっては、いわば立ち去ることは決して許されない外国に連れて行かれたようなものであった。国境警備兵はフレンドリーでにこにこしている。その国の中では、居心地よく過ごせて面倒も見てもらえることが約束されている。しかし、彼女は面倒を見て欲しいわけではなく、自分の思うように生きたいだけだと思っている。にこにこしている国境警備兵はアリスの鍵とパスポートを取り上げてしまった。彼女の家と一緒に、彼女の自由も消えてしまった。(p60)

 体力が落ちることが不幸なのではないんだと痛感する。それによって「思うように生きられない」ことが、苦しみの本質だ。だからこそ、客観的に快適な空間であっても、本人とっては苦痛でしかない「立ち去れない外国」が存在しうる。

 

自分のストーリーの著者でありたい

 この「思うように生きられない」苦しみこそが、死すべき定めの根幹にあることを、著者は「人が求めるものは、自分自身のストーリーの著者でありつづけることだ」と表現する。

 人が求めるものは、自分自身のストーリーの著者でありつづけることだ。このストーリーは常に変わり続ける。人生の旅の中で想像もできないような困難にぶつかることもあるだろう。気にかけていることや望みが変わることもある。しかし何が起ころうとも、自分の性格や忠誠と一致するようなものに人生を形作れる自由を保ちたいと願う。

 (中略)死すべき定めとの闘いは、自分の人生の一貫性を守る闘いであるーー過去の自分や将来なりたい自分から切り離されてしまうほど自分が矮小化や無力化、奴隷化されてしまうことを避けようとすることである。(p137)

 死すべき定めとの闘いは、自分人生のストーリーの、一貫性を守る闘い。

 アリスが快適なナーサリー・ホームより住み慣れた自宅を望む理由。イワン・イリイチが死そのものより、単なる病気に見せようとする「嘘」に苦しむ理由。それは、自分のストーリーが、他の誰かに握られてしまうからだ。

 

 この人のストーリーは、この人自身が書けているか。そう問いかけた時、死に向き合えているか、目を背けているかがわかる気がする。大切な人の死が迫る時に、そんな余裕はないかもしれない。でも、頭の片隅には残しておきたい。

 本書の後半では、一貫性を保ちながら死の定めを受け入れていくために必要な「勇気」についても、紙幅を割いて語っている。まさに今、死を巡って大変な局面にある方、それに備えたい方には、助けになる内容だと思う。

 

今回紹介した本はこちらです。

死すべき定め――死にゆく人に何ができるか

死すべき定め――死にゆく人に何ができるか

 

 

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