読書熊録

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手触りのある思考ー読書感想「あるノルウェーの大工の日記」(オーレ・トシュテンセン)

 手を動かしながら考えるとは、どういうことか。「あるノルウェーの大工の日記」はタイトル通り、北欧のノルウェーで大工の親方をしているオーレ・トシュテンセンさんが日々の仕事や、そこで巡らせた思考を記録している。その思考が面白い。土埃がついて、傷だらけで、手触りがガシッと感じられるからだ。自分の思考は上滑りしていないかの点検にもなる。中村冬美さん、リセ・スコウさん翻訳、牧尾晴喜さん監訳。発刊はエクスナレッジ。

 

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あるノルウェーの大工の日記

あるノルウェーの大工の日記

  • 作者: オーレ・トシュテンセン,牧尾晴喜,リセ・スコウ,中村冬美
  • 出版社/メーカー: エクスナレッジ
  • 発売日: 2017/09/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログ (2件) を見る
 

 

その手が履歴書

 オーレさんの言葉は実に豊かで、一語一語が実直な感覚に結びついているように思える。根底には、大工という仕事への真摯な姿勢がある

 

 たとえば、こんな言葉に表れている。

 私は自分の手を気に入っている。年齢と、これまでの経験が形作った手。大工の手だ。傷跡はあるが大きくはなく、指は10本揃っている。皮膚は硬くなっているが、たこはない。そんなものができたのは駆け出しの頃だ。皮膚は薄い作業手袋のようだ。手は人生を物語る。自分にできること、やってきたことはここに写し出されている。この手は私の推薦状であり、履歴書だ。(p53)

 この手は私の推薦状であり、履歴書だ。一編の詩のような美しさと力強さ。一方で「皮膚は薄い作業手袋のようだ」という言葉もある。大工としてのものの見方、身体感覚が凝縮した例えだと思う。

 

 「あるノルウェーの大工の日記」には、こうした言葉が随所に出てくる。基本的には、文字通り日記である。オーレさんがある住宅の屋根裏の改修依頼を受けてから、受注のコンペに参加し、作業を進めていく様子が淡々と綴られる。その中で、オーレさんが考える仕事論や社会論が湧き出てくる。それはごく自然と、読者の心に染み込む。

 

職人は時に社会学者になる

 オーレさんは大工仕事をしていて止むを得ずいろんな思考に手を引かれる。本人はそれを、「いつのまにかカウンセラー、社会学者、人類学者や歴史学者の役割を果たすことになっている」(p40)と語っているが、言い得て妙だ。手を動かす中で頭も動く。大工は手作業の人であり、思考の人なんだと思う。

 

 身近なところでは、知的労働と肉体労働について思いを巡らせる。大工の現場では、設計士やデザイナーが現場を見ずに頭だけで図面を描き、それがどれだけ無理筋なのかという話だ。オーレさんはその眼差しをもう少し遠くへやる。

 私たちの住む社会についても、似たようなことが言える気がしてならない。ものを作るということの基本的な部分は、私たちの日常生活から取り除かれつつある。一般の人々の目に触れる機会は徐々に減り、興味も薄れている。人々は汚れや騒音を受け入れないのだ。製造の現場に関わる職種に対する人々の態度は、この心理的距離感からきている。

 職人の仕事を単純化しすぎた結果がもたらすものは、思ったよりも複雑である。生産現場も生産者も存在しないかのように作られた商品カタログは、私たちの生活に不毛なカリカチュアだ。汚い面はいらない、単純で、安い製品がほしい、と。(p76)

 ものづくりが日常生活から遠ざかった結果、私たちの手にする製品は単純化されて、「不毛なもの」になっていはいないか。汚いものを遠ざけた結果手に入るものは美しいものではなく、無機質なものではないか。この考察は、大工のぼやきではない。現場からの分析と言っていい。

 

 オーレさんはただただ日常を綴るし、裏を返せば飛躍した議論はしない。施工主の入札方法や、外国人労働者の増加、酒場でのサラリーマンから向けられる蔑視。そうした日常から、鋭い考察をいくつも放ってくれる。

 

連綿という喜び

 オーレさんは大工の仕事を愛している。その愛し方の中で、「連綿としたものに連なる」という意識がある。歴史性や、伝統とのつながりといってもいい。その喜びはとても輝いて見えて、羨ましく感じられた。

 

 オーレさんの言葉では、連綿とはこういうことだ。

 私は自分を、職人としての腕で他人から評価されたい。この仕事そのものが、私の人格であるかのように。そうすれば将来のいつか、私の職人としての技量に対する評価が、私という人間に対する評価になるかもしれない。100年前の職人たちも、同じような考えを持っていたのではないだろうか。心の内では、私は彼らの同僚、もしくは友人として、連綿と続く長い列に連なっているのだ。(p34)

 100年前の職人たちを同僚や友人と感じて、その長い列に連なる仕事をすること。それがオーレさんにとって、職人として生きること、職人としての働きを評価してほしいという思いだ。

 

 オーレさんが書き出す、工事の詳細は正直に言えば細部までわからない、理解はできない。ただ、その一つ一つをオーレさんが慈しんでいることは伝わる。だからこの日記は暖かい。読んでいてほっこりする。建築に対してまったく知識のない自分でも、大いに楽しむことができる。

 

 同時に自問する。自分は、自分の日々取り組んでいる仕事は、何かの列に連なっているだろうか。それは創造性や革新性とはまた違った、仕事の価値である。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

あるノルウェーの大工の日記

あるノルウェーの大工の日記

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  未来とは、過去から学ぶこと。使い古された温故知新という概念を、ドラマという身近なエンターテイメントから学べるのが、メディアプランナー指南役さんの「『朝ドラ』一人勝ちの法則」です。非常に読みやすく、おすすめです。

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