読書熊録

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新封建制・雇用破壊・無責任ー読書感想「インターネットは自由を奪う」(アンドリュー・キーン)

 これだけ便利なインターネットを礼賛することこそ簡単だが、反対に批判することは難しい。アンドリュー・キーンさんは、それを徹底的にやってのける。著書「インターネットは自由を奪う 〈無料〉という落とし穴」は、現在のネット経済を牽引するグーグルやフェイスブック、アマゾン、インスタグラムら「巨人」にバッサバッサと斬りかかる。ネット企業の構想する社会は「新しい封建制」であり、破滅的な雇用破壊であり、社会的責任の放棄であると言ってのける。批判そのものが痛快というより、気づくことのなかった新たな批判的視点が得られるという意味で、快感がある。中島由華さん訳。早川書房。

 

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インターネットは自由を奪う――〈無料〉という落とし穴

インターネットは自由を奪う――〈無料〉という落とし穴

 

 

 勝者総取り企業

 キーンさん自身も、実はIT起業家である。しかし、現在のネットは「新しい封建制」だと、これ以上ないくらい痛烈な言葉を引用しながら批判をする。

 

 まずはキーンさんの言葉に耳を傾けてみる。

 (中略)トム・バーナーズ=リーによるウェブの発明から四半世紀たっている現在、徐々に明らかになりつつあるのだが、インターネット経済はけっして共同ベンチャーではないのだ。(中略)インターネットは、さらなる雇用や繁栄を生み出すどころか、現代の情報経済の広範囲を独占しているアマゾン、グーグルなどの勝者総取り企業によって支配されている。

 しかし、こうなったのはどうしてだろう?要になる部分も、階層も、中心点もないように設計されたネットワークからトップダウン型かつ勝者総取り型の経済が生まれ、新しい支配者からなる富豪階級がそれらを牛耳っているのは、いったいどういうわけだろう?(p55)

 インターネットそのものは中央集権的ではないシステムだが、グーグルやアマゾンは極めて集権的に、勝利を独占しているのではないか?。キーンさんの問題意識を集約している言葉の一つが、この「勝者総取り企業」である。

 

 たしかに、グーグルやアマゾンは極めて有意義な「ユーザー・エクスペリエンス」を生んでいる。実際、めちゃめちゃ便利だし、グーグルなくして勉強や調べものは難しいし、アマゾンなしで買い物生活は成り立たない。

 しかし、キーンさんの言うように、それらの企業に富が集中しているのも事実だ。そして、我々はユーザーでありつつレイバー(労働者)であり、企業が一極集中化していけば、独占企業が生まれれば、働くことは極めて困難になる可能性がある。実際に、アマゾンが拡大すればするほど、小売業の取れるパイは減り、働く土壌も細っていく。

 

 キーンさんは132ページで、こうした状況を「新しい封建制」と形容したチャップマン大学のジョエル・コトキンさんの言葉を引用する。

 ネット企業の創業者、たとえばウーバーのトラヴィス・カラニックさんのような億万長者が「新興財閥」、メディアで活躍する「知識人」、ワーキングプアや失業者からなる「新農奴」、そしていわゆる「ミドルクラスの労働者」の層は新興財閥によって瓦解する。

 

 ユニークだったのが、では「新興財閥」の付加価値は誰が生んでいるのかを考える上で登場した「データ工場」という概念だ。

 従来は企業の従業員が働くことで価値を生んだ。しかし「データ工場」では、価値を生むのはユーザーである。ユーザーが無料で、喜んで個人情報や行動情報を提供することで、工場はより豊かになる。フェイスブックもインスタグラムもそうだ。いわゆる無料サービス、フリーミアムが、見方によっては「タダ働き」と言える。斬新な発想だ。

 

コダックが沈んだあとに残ったのは従業員13人のインスタ

 「勝者総取り企業」は、言い換えると従来企業の雇用の破壊、とも言える。もちろん、実際にグーグルやアマゾンがほかの企業を叩きのめしているわけではない。あくまで市場原理による淘汰であったり、ユーザーの行動の変化で収益性が保てなかっただけだ。

 

 キーンさんは実例として、2012年に破産申請をして倒れた写真会社コダックをあげる。かつてコダック城下町だった米ロチェスターを訪ね、強者どもが夢の跡となった様子を取材する。

 コダックの衰退の様子を、キーンさんは印象的に描き出す。

 「あなたはシャッターを押すだけ、あとは私たちにお任せください」というのがジョージ・イーストマンの売り文句だった。ところが、デジタル革命によって写真撮影がごく簡単になり、あとの作業がなくなった。そこでコダックは立て直しのため二〇〇三年から二〇一二年までの期間ーーフェイスブック、タンブラー、インスタグラムなどのウェブ2・0的なスタートアップが大金を稼ぐようになったころーー一三カ所の工場と一三〇カ所のフォトラボを閉鎖し、四万七〇〇〇人の人員を削減したが、うまくはいかなかった。(p119)

 数万人、関連企業も含めればさらに多くの雇用を生んできたコダックが沈んだ。取って代わったネットの写真関連ビジネスは、失業を賄うような雇用を生んだのだろうか?

 

 衝撃的なことに、インスタグラムは同時期、フェイスブックに買収された2012年段階で、フルタイムで働く従業員は13人しかいなかった。

 フェイスブックが支払ったのは約10億ドル。コダックの4万7千人の雇用が失われたときと同じくして、ユーザーが魅了され、富が吸い寄せられて行った先にいたのは、13人だったのだ。

 

ノブレス・オブリージュなき大富豪

 キーンさんが問題にしているのは、責任だ。彼が真正面から議論しているのは、ビジネスとしての優秀さとか、合理性じゃなく、この社会を作っていく上での責任を、ネット企業がどう考えているのか、ということだ。

 

 胸が痛くなった話が、ウーバーの運転手にはねられたある少女のことだ(p244)。2013年の大晦日、サンフランシスコで、ウーバーに登録していた運転手が6歳の少女をはねて死亡させてしまった。ウーバーが取った措置は、その運転手をアカウントを凍結し、彼が「事故時、ウーバーのシステムを通じてサービスを提供していなかった」と主張することだった。少女の両親は本書発行時点で、運転手の不法行為についてウーバーの責任を問う訴訟を起こしているそうだ。

 タクシー会社であれば、従業員の運転手にこんな対応は絶対にとらない。何よりまず、亡くなった少女に企業の「社会的責任」として、真っ先に謝罪してしかるべきだ。

 ウーバーがなぜ効率的なのか?それは、従来のタクシー会社が引き受けてきた責任を、負っていないからではないか、と思えてしまう。

 

 キーンさんは、この無責任さを許さない。

 この現代にあるのは、ノブレス・オブリージュ(高い身分にともなう義務)のいっさいない新興貴族階級だ。いまここにあるのは、いうまでもないことだが、二一世紀に拡大する一方である経済的・社会的な格差や不当の解決策ではありえない。(p294)

 ノブレス・オブリージュのいっさいない新興貴族階級。我々をここまで便利にしてくれるネット企業に、ここまで攻めの姿勢を貫く人を初めて見た。

 

 本書の原題はまさに「THE INTERNET IS NOT THE ANSWER」(このインターネットは答えではない)なのだ。インターネット企業やスタートアップは、ユートピアを招く答えじゃない。そして反対に、勝者総取りも、雇用破壊も、社会的無責任も、「絶対」ではないのだ。インターネットを、それにまつわる経済を、より答えに近づけていくことは可能だし、そうした思慮深い問題意識の設定こそがきっと、肝要だ。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

インターネットは自由を奪う――〈無料〉という落とし穴

インターネットは自由を奪う――〈無料〉という落とし穴

 

 

 

 本書はインターネットの現在地を批判的に見るもので、ネットやテクノロジーそのものを否定するものではありません。むしろ、テクノロジーの指し示す未来は可能性満ちている。「CRISPR 究極の遺伝子編集技術の発見」は、その可能性を垣間見せてくれる好著です。

www.dokushok.com

 

 批判的で深掘りした思考によって社会の見え方は変わる。本書は体験的、ビジネス的な視点ですが、これを社会学の観点からやってのけたのが、「社会学者がニューヨークの地下経済に潜入してみた」になります。おすすめです。

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