読書熊録

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頼れないという貧困ー読書感想「神さまを待っている」(畑野智美さん)

貧困には種類があることをこの小説から教わった。お金がないことによる貧困。家を失うことによる貧困。食べ物にありつけない貧困。どれも深刻なのは間違いないけれど、根っこにあるのは、「誰も頼れない」という貧困なのかもしれない。畑野智美さんの長編「神さまを待っている」を読んで思う。

 

26歳の派遣会社員の女性が主人公。正社員登用の話を反故にされ、契約を打ち切られたことをきっかけに、家賃を払えず家を失い、漫画喫茶をねぐらにする。やがて男性客とお茶をする「出会い喫茶」に通うようになり、ずぶりずぶりと、深みにはまっていく。彼女はなぜ転がり落ち、そしてなぜなかなか立ち上がれないのか。そこに、関係性の貧困が見えてくる。文藝春秋。初版2018年10月発行。

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神さまを待っている

神さまを待っている

 

 

頼れるというインフラ

帯によれば、「神さまを待っている」は畑野さんが「自らの体験をもとに」描いたそうだ。WEB本の雑誌に公開されているインタビューによれば、短大卒業後に「就職せず演劇をやる」と、長くアルバイト生活を続けてこられたという畑野さん。物語の舞台にもなる漫画喫茶でもバイトをしている。やがて作家を目指す間も不安定な日々はあり、そうした体験が「神さまを待っている」には織り込まれているのかしれない。

 

主人公・水越愛は、大学卒業後に派遣社員となった。必死に就職活動をするも、内定を得られた会社はセクハラ・パワハラが目に見える会社で、辞退した。「できるだけ早く自立したくて、給料の高い会社ばかりを受けた。高望みしたのが敗因だった」と分析できる冷静さは持っていて、少しクールだけれどまっすぐな人物だ。

 

ある程度勤めれば正社員になれると思っていた派遣先の文具メーカーに、あっさりと契約を切られる。失業保険をもらいながら仕事を探すも、なかなか決まらない。やがて家賃を払えなくなった。仕事もなく、家もない。仕方なく、漫画喫茶で寝泊まりする。

 

あらすじを読んでいた時は「いきなりすぎじゃないか」とも思ったが、ページをめくっていると全く不自然じゃない。愛があっという間にいわゆる「ホームレス」となったのは、家族も友人も誰も頼らなかった、いや、頼れなかったからだった。事情があって静岡県の実家、家族とは断絶している。地元の友達とは決して付き合いが濃くなく、何より、相談なんてすれば会いたくもない実家の家族に伝わってしまう。

 

派遣を切られてお金がない。お金がなくて家を借りられない。家を借りられないからまともに仕事を探せない。この悪循環は、誰かを頼れば断てる。たとえば、実家に帰る。するととりあえず住む場所には困らず、じっくり仕事を探せる。あるいは、友達に頼ってなんとか仕事を紹介してもらえれば、短期でお金を稼いで家を見つけ直せる。

 

人間関係もインフラなんだ。何は無くとも頼れる人がいれば、人は貧困にはまり込まない。愛は、ホームレス向けの炊き出しで貧困問題を研究する女子大学院生の仁藤さんに出会い、この現実を突きつけられる。暴力的なまでに。

 「でも、こんな風に言っていても、博士になったところで、就職先なんてないんですよね。このままだったら、院を出た後は、わたしもホームレスかもしれません」

 共感を求めているのか、仁藤さんは笑顔でわたしを見る。

 「仁藤さん、院の学費や生活費は、誰に出してもらっているんですか?」

 「父ですよ」おかしな質問をされたと感じたのか、驚いた顔で答える。「実家暮らしなんで、生活費っていう感じではないですね。食事とかは、母に甘えっぱなしです」

 彼女がホームレスになることはないだろう。(p118)

愛の言う通りだ。仁藤さんは、ホームレスになることはないだろう。仁藤さんは頼れる。お金がなくなったとき、そして家がなくなったとき、仁藤さんは親を容易に頼れるし、親は容易に助けてくれるだろう。「院を出た後は、わたしもホームレスかもしれません」。仁藤さんから愛へ向けたセリフは、人間関係の「富豪」が札束で貧者の頬を叩くようなものだった。

 

普通に届かない

本書を読んでいて、男には分からないことがあるもんだなと感じた。それは先ほどの大学院生・仁藤さんに対面した愛の気付き。仁藤さんは愛と同じ26歳だった。仁藤さんは「お化粧をしていないから子供っぽく見えるんですよね」とおどけてみせたが、愛はそうじゃないと感じる。艶のある髪。肌は白くてなめらかで、綺麗に切り揃えられた爪が美しい。そしてこう思う。

 だが、彼女が若いわけではないのかもしれない。

 わたしは、キレイな服を着ているつもりだったが、全然だ。コインランドリー代を節約して、漫画喫茶のシャワー室で手洗いした服は、袖口や裾がほつれている。スーツケースに入る分だけの服なので、三パターンくらいしかない。コートは、冬の間に一度も洗わなかった。髪は、アパートを出る前からずっと切っていなくて、伸びっぱなしだ。前髪だけは自分で切り、短くしすぎた。肌はどうしようもないくらい、荒れている。顔だけではなくて、腕や足からも、なめらかさは失われた。

 スープのお椀とフォークを持つ手は、乾燥して、皺が増え、祖母を思い出すくらい老けた。(p114)

仁藤さんは着飾っているわけではない。でも、その「普通」は既に潤いのあるものだった。逆に愛が必死に身なりを整えても、その「普通」には届かない。

 

スープのお椀とフォークを持つ手が、祖母を思い出すくらいに老けたと感じたことは、胸をえぐる。本来、愛はスープにありつけるだけでも嬉しかった。それを目当てに炊き出しにきた。それがいまや、貧困によって削り取られた美しさを思わずにはいられない。こんなに苦しいことはない。

 

信じることにも資本がいる

愛は漫画喫茶を拠点に、最初は派遣の仕事をして貯金をすすめる。途中で同世代のマユに誘われ、実入りのいい「出会い喫茶」へのめり込む。女性は男性とお茶をして、「場合によっては」外出し、カラオケし、さらには「自由意志で」ホテルまで行くことで対価を得る。カギカッコにした部分が免罪符になり、形式上は風俗店ではない。実際に、愛は性的サービスを望まず、回避することで稼いでいくが、じりじりと、そこに落ち込む危険は忍び寄る。

 

サクセスストーリーであれば、マユだったり、他の仲間を携えて起死回生をしていくわけだけど、そうもいかないのが悩ましい。よく分かったのが、人と関係を結ぶことはタダじゃないということだ。体ひとつ、心ひとつあれば人間関係を築けるわけじゃない。人を信じることにも、資本がいる。

 

愛は出会い喫茶で知り合ったシングルマザーのサチの家へお邪魔する。そこでサチの子どもへ料理を教えたものの、サチは感謝するどころか、こうこぼした。

 「ああやって、ルキアに料理や掃除を教えたりしないでもらいたかったなあ。親切にしてくれる人がいるって思わせて、絶望させたくないの」(p149) 

 愛は引っかかりを覚えるけれど、どことなく理解もできる。のちに、その心情をこう表現する。

 昨夜の夜、サチさんから「絶望させたくない」と言われた時、わたしは違和感を覚えた。自分の不幸に酔っているみたいな言葉で、彼女らしくないように感じた。しかし、サチさんも出会い喫茶に来る女の子たちの多くも、希望以上に「絶望」を見つめながら、生きてきたんだ。望みを持った先には、いつも必ず「絶望」が待っていると、決めつけてしまっている。(p154)

望みを持った先に、希望がある。そう思えるのは、希望を信じ続けるエネルギーが心にあるからだ。しかし、サチをはじめ、出会い喫茶にいる女性は嫌というほど「絶望」を見てきた。信じ続ける資本を、もうとっくに使い果たしている。

 

どうしようもない現実が見える。人を頼れないことで、貧困に落ち込む。今度は貧困が続く中で、人を信じることができなくなる。仁藤さんはこの逆回転だ。親を頼れるからこそ大学院に通えて、そしてきっと、大学院での経験がよりよい仕事も、住居も、そして人間関係も連れて来る。

 

 

人を頼れない状況になると、ますます人を頼れなくなる。このことが「神さまを待っている」というタイトルに滲んでいるように思えてならない。神さまを「信じている」ではないのだ。もうとっくに、信じられるような状況ではない。作中である人物の姿勢を見て、愛がこう思う場面がある。「彼女は彼女の意思で、誰が『神さま』なのか、決めた」。誰も信じられない、誰も神さまじゃない中で、それでも決めなきゃ、生きていけない。

 

愛は果たして神さまに会えるのか。この貧困を抜け出せるのか。

 

今回紹介した本は、こちらです。

神さまを待っている

神さまを待っている

 

 

「神さまを待っている」はフィクションですが、女性の貧困、その先にある性産業というのはまぎれもない現実です。社会から女性を「弾き出す力」が、性産業を生んでいるという視点で書かれた「彼女たちの売春」が、実態を理解する助けになります。

www.dokushok.com

 

人間関係がないことの苦しさは、裏返せば人間関係によって人は穏やかに、豊かになれるということでもあります。人を受容すること、異なる者同士がなんとなく一緒にいられるふんわりとした関係を感じさせてくれる「メゾン刻の湯」。読むことでちょっと呼吸が楽になると思います。

www.dokushok.com