読書熊録

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可能主義者になるー読書感想「ファクトフルネス」(ハンス・ロスリングさん他)

世界は悪くなっているように感じられる。しかし、観測可能なデータを見る限り、世界は過去に比べて良くなっているのだ。貧困に苦しむ人、大人になる前に命を落とす子どもの数は減り、女子教育、インターネットへのアクセスは増えている。世界が良くなっているのに、悪くなっているように誤解してしまう。この原因は人間の「本能的な思い込み」にあり、「ファクトフルネス」はそこから私たちを解放してくれるツールになる。

 

著者はスウェーデンの医師で、グローバルな公衆衛生改善に尽力してきたハンス・ロスリングさん。息子のオーラ・ロスリングさんとその妻アンナ・ロスリング・ロンランドさんと共に書き上げた。

ハンスさんは自身を「楽観主義者ではない」と語る。わたしは真面目な「可能主義者」だと。根拠のない不安も、根拠のない希望も持たない。人類はこれまで進歩してきた根拠があるのだから、さらなる進歩は可能だと信じている。根拠=ファクトをきちんと見つめて思考すること。「ファクトフルネス」は、可能主義者への第一歩を誰にでも開いてくれる。上杉周作さん、関美和さん訳。日経BP社、2019年1月15日初版。

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FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

  • 作者: ハンス・ロスリング,オーラ・ロスリング,アンナ・ロスリング・ロンランド,上杉周作,関美和
  • 出版社/メーカー: 日経BP社
  • 発売日: 2019/01/11
  • メディア: 単行本
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ゆっくりした変化でも変わっていないわけではない

「ファクトフルネス」は事実を歪めてしまう「思い込み」を10通りに類型し、その危険性と改善方法を指南してくれる。大切なのは「なぜ思い込みを改善するべきなのか」ということ。それはデータとして確かに世界は良くなっているからだけではなく、まだまだ未来は良くなる余地があるからだ。ハンスさんはそう確信していて、熱意を持って伝えてくれる。本書はノンフィクションでありながら、ハンスさんがどうして可能主義者になり、可能主義者であることはなぜ大切なのかを力説する半生記でもある。

 

特に読者の胸に迫るのは、後半で語られるハンスさんの「失敗」だ。ハンスさん自身も思い込みに囚われたことで、文字通り取り返しのできない事態を招いた。そのことを「35年間誰にも話せなかった」と語っている。きっとハンスさんはこの痛みを胸に刻み、こうして「思い込みを自覚して、解きほぐして、事実を見よう」と語っているんだろうと思えた。ここは読みどころなので、本書を開いて出会ってほしい。

 

別の素敵な話をしたい。良い変化は小さい、という話だ。ハンスさんは所々でこの前提に触れる。悪い変化、例えばテロや災害は頻度は少なくても劇的だから、ニュースになるし印象に残りやすい。良い変化は小さくてゆっくりしているから、なかなか話題にならない。だが、それは「変化していない」わけではないと。ハンスさんが引く「自然保護区の拡大」がわかりやすい。

 紀元前3世紀に世界で初めて自然保護区をつくったのは、スリランカのデーワー・ナンピアティッサ王だった。ヨーロッパで同じような考え方が生まれたのは2000年も後で、イギリスのウェスト・ヨークシャーが初めてだった。アメリカでイエローストーン国立公園ができたのは、その50年後だ。1900年までに地球上の0・03%の土地が保護された。1930年にはそれが0・2%になった。本当に少しずつ、10年単位で森林がひとつ、またひとつ保護され、保護区域の面積は増えていった。1年単位の増え方は微々たるもので、数字に表せないほどだ。でもいまでは地表の15%が保護区域になり、その面積は増え続けている。(p231)

最初の自然保護区から、ヨーロッパで同様のものができるまでに2000年かかった。1900年段階でもその割合は0・03%。しかしそんなゆっくりした小さな変化も、積み重ねた今は15%までたどり着いた。たしかにハンスさんの言う通りだ。ゆっくりした変化でも、変化がないわけじゃない。そして変化がポジティブである限り、世界は少しずつ良くなっている。

 

この変化を「見られる」ことこそ、ハンスさんの意志だ。見ようとするからこそ見える。その意志を、ハンスさんは「可能主義」と言う。

 わたしは日頃から、人類のすばらしい進歩について誰かに語るたびに、「ハンスさんは楽観主義者なんだね」とレッテルを貼られる。正直、いい加減にしてほしい。わたしは楽観主義者ではない。楽観主義者というと世間知らずのイメージがあるが、わたしはいたって真面目な「可能主義者」だ。

 「可能主義者」とは、根拠のない希望を持たず、根拠のない不安を持たず、いかなる時も「ドラマチックすぎる世界の見方」を持たない人のことを言う。ちなみに「可能主義者」はわたしの造語だ。

 可能主義者のわたしは、「人類のこれまでの進歩を見れば、さらなる進歩は可能なはずだ」と考える。単に楽観しているわけではない。現状をきちんと把握し、生産的で役に立つ世界の見方をもとに行動している。(p88)

事実を見れば、人類はさらなる進歩は可能だとハンスさんは考える。無根拠に楽観しているわけではない。そして無根拠に悲観しもしない。このどっしりした思想に、メラメラとした意志の炎が感じられるから、本書は面白い。

 

思い込みは本能である

裏返せば、確固たる意志で可能主義者になろうと努力しなければ、いとも簡単に無根拠な楽観や悲観に転がっていってしまう。これが本書を読んで面白い、もう一つ。思い込みとはミスや無知ではない。愚かだから思い込むのではない。思い込むのは人間の本能だ。

 

「ファクトフルネス」が類型化した思い込みは次の通り。

  1. 分断本能ー世界は分断されている
  2. ネガティブ本能ー世界はどんどん悪くなっている
  3. 直線本能ー世界の人口はひたすら増え続ける
  4. 恐怖本能ー危険でないことを恐ろしいと考える
  5. 過大視本能ー目の前の数字が一番大事
  6. パターン化本能ーひとつの例がすべてに当てはまる
  7. 宿命本能ーすべてあらかじめ決まっている
  8. 単純化本能ー世界はひとつの切り口で理解できる
  9. 犯人捜し本能ー誰かを責めれば物事は解決する
  10. 焦り本能ーいますぐ手を打たないと大変なことになる

一つの本能に一章を割り当て、ハンスさんが実際に目撃した本能の噴出例、そのデメリット、そしてデータに基づく反証を行なっていく。どの章も非常にエキサイティングだ。

 

たとえば第1章。私たちは当たり前のように「先進国」と「途上国」と言う。女性一人当たりの子どもの数と、子どもが5歳まで生存する割合で両者の違いを考えてみよう。子どもの数が少なく、生存率が高い方が先進国になる(日本はまさにそうだ)。すると、途上国の枠内にはインドと中国を含む125カ国が収まる・・・・・・のはもう「過去」の話だ。なんとこのデータは1965年のもの。2017年版にアップデートすると、ほとんどの国は出生率が低く生存率が高い。かつて先進国だった水準には地球上の全人口の85%が含まれ、かつて途上国だった枠内にいるのは13カ国、人口割合でたった6%まで下がっている。

なのに、頭の中にある「先進国」と「途上国」の枠組みが変わっていない人がほとんどではないか?「私たち」と「彼ら」を分けたがる「分断本能」が、文字通り我々の本能だからだ。

 

有名な下図を思い出せばいい。私たちはそれが本能だといくら自覚しても、本能に縛られてしまう。下図の線が上下同じだとわかっても、差があるように見えるのは止められない。

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だから、ファクトフルネスを学び、何度も点検していく必要がある。

 

わたしもファクトフルになれる

思い込みは本能である。対してファクトフルネスは技法、そして意志である。これは希望だと言っていい。私たちは誰もが本能に縛られる一方、誰もがファクトフルネスを駆使した可能主義者になれる。

 

1989年、ハンスさんは当時のザイールにいた。キャッサバが原因とみられる神経麻痺症状を調査するために、ある村に入っていた。認可を取り、資材や通訳も用意に2年ほどの時間を掛けた。調査は食品サンプルと、血液、尿の採取。シンプルなはずだったが、落とし穴があった。一体なにをするのか、村長には説明したものの、村人には十分に説明していなかったのだ。

 

ハンスさんがいるテントに男たちが集まる。男たちは「血を盗まれる」と思っていた。ナタを持った人もいる。一同は殺気立っている。ハンスさんは通訳を介して調査内容を説明した。それでも不信感の消えない男たちに、50歳くらいの女性が大声を張り上げた。

 「わかった?筋が通ってるじゃないの。黙って!この先生の言ってること、もっともでしょ。血液検査しなくちゃ。はしかでみんな死んだの、覚えてる?子供もたくさん亡くなった。そのあと、お医者さんが来て予防接種をしてくれたじゃない。そしたらはしかで子供が死ななくなったでしょ。わかった?」(p312)

この後しばらく女性と男たちは問答するが、最終的に女性が腕を差し出し「先生、採血して」とまでやり切ったのもあり、男たちは鎮まった。ハンスさんは、この女性の行動こそファクトフルネスだったと回想する。

(中略)あの女性がしたことは、まさにファクトフルネスだった。群れになった村人たちのドラマチックな本能をすべて理解し、本能を抑えることを助け、筋の通った主張で村人を説得した。あのときは注射器や血液や病気への恐れから、村人の恐怖本能が引き出されていた。パターン化本能がわたしをズルいヨーロッパ人のように見せていた。犯人捜し本能から、村人は血を盗みに来た邪悪な医者を懲らしめたがった。焦り本能から、村人は深く考えずに判断を下してしまった。

 そのプレッシャーの中で、あの女性は前に進み出て、人々を説得した。それが学校教育のおかげでないことは確かだ。あの女性は村を出たことはないはずだし、文字も読めなかったと思う。どう考えても統計学なんて聞いたこともないだろうし、統計を学んだこともないはずだ。でもあの女性には勇気があった。そのうえ、緊張が極限まで高まる中で、冷静に考え、誰もが納得できる道理を完璧な言葉で表現することができた。(p314)

男たちは一瞬で4つの本能を駆使して思い込んだ。「恐怖本能」に基づいて冷静になれば危険でないものに直感的恐怖を抱いた。ハンスさんの見た目から「ズルいヨーロッパ人」の典型に当てはまると勝手に判断したのは「パターン化本能」。この異常事態の責任を誰かに取らせなければという「犯人捜し本能」が、今すぐに行動しなければ大変なことになるという「焦り本能」でさらにドライブした。

 

そんな中、女性はハンスさんの説明から得られた事実を、ハンスさんを信じるに足る根拠と考えた。さらに、はしかで大勢がなくなったこと、その後に医者の予防接種で改善したことも根拠にした。そしてその冷静な思考を、勇気を持って伝えた。さらに正しい言葉で表現した。

女性が一歩を踏み出したように、ファクトフルネスの根幹は勇気だ。冷静な思考を信じて、表現する勇気。その思考を、本能に流される楽さに売り渡さない勇気。その意味で、本書を読んだことは我々がファクトフルネスを発揮するための手助けにならない。重要なのは、ここで学んだことを勇気を持って再現できるかだ。

 

ただ、ここでも可能主義者的に考えよう。私たちは「ファクトフルネス」を手に取った。事実を冷静に見られるようになりたいと行動した。それを根拠にすると、未来の私たちはもっと、勇気を発揮できるはずだ。

 

今回紹介した本は、こちらです。

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

  • 作者: ハンス・ロスリング,オーラ・ロスリング,アンナ・ロスリング・ロンランド,上杉周作,関美和
  • 出版社/メーカー: 日経BP社
  • 発売日: 2019/01/11
  • メディア: 単行本
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 思い込みの本能は止められないという話は、行動経済学の人気テキスト「ファスト&スロー」でも語られています。思考コストを軽くするために直感的な選択をするファストな考え方(システム1)は止められないんだから、うまく使っていくしかない。

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データそのものに希望があるというより、希望を持ってデータを使うことに意味があるんだなと「ファクトフルネス」で実感しました。矢野和男さんの「データの見えざる手」もまさに、可視化することで現状をよくしていこうという意志があります。

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