読書熊録

本に出会う歓びを、誰かと共有したい書評ブログ

池上・佐藤流「情報漁船」のつくりかたー「僕らが毎日やっている最強の読み方」

情報を海に例えれば、本書「僕らが毎日やっている最強の読み方   新聞・雑誌・ネット・書籍から「知識と教養」を身につける70の極意」は、その海を渡る「漁船」のつくりかたを指南してくれる。著者は元NHK記者でジャーナリストの池上彰さんと、元外務省主任分析官の作家佐藤優さん。数多くの雑誌連載を抱えて、テレビや新聞、ネットの解説役として登場する二人が、インプット術を具体的にレクチャーした一冊だ。

◎大網は新聞、ネットは一本釣竿

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泳ぎ回る魚を情報として、漁船はとにかくその魚を釣ることが第一歩となる。漁獲を得るベーシックな手段となる大網は、二人の場合、「新聞」で一致する。池上さんは午前6時に起床後、20分で新聞8紙をざっと読みするという。読むのは記事のタイトルである見出しと、序盤に記事のハイライトを示すリード部分。小魚の群れを一気に引き上げて選別するように、その日の朝のニュースを一覧していく。

 

たしかに新聞は毎日30ページ近い量に社会、国際、政治、経済、文化、スポーツあらゆる情報が集約していて、網にふさわしいメディアではあるが、同じように膨大な情報量であるネットを網にしないのか。二人は情報収集のためには、ネットは「非効率」だと指摘する。

 

佐藤:誰もが情報発信できるということは、裏を返すと、新聞や雑誌がもつ「編集」と「校閲」という重要な2つの機能が欠如しているということです。(中略)ひとことで言うと、ネット空間は「ノイズ過多」なんですね。いい加減な情報は「ノイズ」にしかすぎず、ノイズ情報をいかに時除去するかが、ネットから「玉」の情報を得るポイントです。(P151)

 

二人はネットより新聞の方が良いメディアだと言っているのではなく、ノイズを除去する手間が省けるのが新聞だと言う。彼らにとってネットとは、狙った情報、より深い情報、重要な情報を取りに行く「攻めのツール」であって、それは漁船の上ではさながらマグロなどの大型魚を一本釣りするための強力な竿だなのだろう。

 

新聞という大網の下に、雑誌の網がある。この網にはカニが入ってきているが、こんな風に新聞では捕捉できない幅広い分野、水面下の社会の動きをすくい上げるパワーが雑誌にはあるという。

 

◎書籍、参考書が船体になる

ここまでで、本が出てこないのはなぜか。それは、本は二人にとってもっと基盤的なもの、知の土台だからだ。魚を釣る道具以前、その魚を収めるための看板、情報の海に沈まないための船底、情報を探るソナー、すなわち、漁船の船体そのものである。池上さんはこんな風に表現する。

 

池上:冒頭で佐藤さんがおっしゃったとおり、世の中で起こっていることを「知る」には新聞がベースになりますが、世の中で起こっていることを「理解する」には書籍がベースになりますね。(P210)

 

池上さんは自宅の最寄りか、大学への乗り換え駅か、東京駅か、ほぼ毎日どこかの書店に足を運ぶという。本棚を一覧して、タイトルや帯を見るだけでも勉強になると語る。そうやって、土台の材料となる書籍がないか、いつも目を光らせている。

面白いのは、本の中でも、二人は参考書に重きを置いて、一章まるまる解説しているところだ。博識の二人が重視する「知の型」が、小中学校の教科書や参考書だというから意外。佐藤さんはリクルート系のオンライン学習サービス「スタディサプリ」も使う。1日30分から長い時は2時間も!

 

◎魚のとれかたをよく見る

本書を通じて「二人がすごい」と思ったのは、ツールの使い方以上に、情報の現れ方を大切にしていることだ。それは魚を見るというより、魚が「どこで」得られたか、あるいは得られなかったかを見るということ。

新聞であれば、原発事故後に官邸前で繰り広げられた反原発デモの報道の「違い」を見る。東京新聞は大々的に扱い、朝日、毎日はそこそこ、読売や産経はほぼ取り上げない。読売・産経が現政権に近い立場であることを考慮して、この「扱い」が何を意味をするか、その推移がどうなるかを考えていく。

佐藤さんは雑誌を読むときにもこの頭を働かせる。暴力団関係の記事や、芸能人のセンセーショナルな記事が中心の「週刊大衆」に、プーチン露大統領の元夫人のインタビューが掲載された時のこと。

「プーチン大統領はすでに暗殺されて影武者になっている」という内容ですが、それを読むと、夫人が精神に変調を来していて、離婚もやむを得なかった背景がよくわかります。(P113)

トンデモ記事と一笑にふすことは簡単でも、佐藤さんはそんな記事が週刊大衆に載ったことの意味を鋭く見抜いてみせる。

 

ここでも船体に知が、言い換えると問題意識や関心があることが、きっと前提になってくる。最近、まさに情報の取り上げられ方で気になったのが、元民放記者に対する準強姦被害を訴えて、女性ジャーナリストが素顔と名前も公開の上、検察審査会への申し立てを行なったニュースだった。

申し立て、会見があった5月29日、その日夜からネットではこのアクションの意味や、反対に批判的な意見も、さかんに議論が交わされていた。ただ、「マスコミは報じない」という言い方はあまりに軽率で避けたいところだが、少なくとも、自分が住む地域(西日本)では、30日付朝日新聞朝刊の社会面には、このニュースの掲載はなかった。

むしろ、ネットニュースのバズフィードジャパンがかなり詳細にまとめてくれていた(もちろん、先駆けて報道した週刊新潮もすごい)

 

このニュースに際立って反応できたのは、レイプ被害者が、被害を申告しても「なぜか責められる」不条理をレポートしたノンフィクション「ミズーラ」を読んでいたからだと確信できる。この本に描かれた被害者への憎悪が、絵に描いたように再現されていたからだ。(推定無罪の原則から準強姦の事実があったかは現状未定ですが、少なくとも「被害を訴えている」ことへ真摯に向き合うことへの重要性も、「ミズーラ」のメッセージの一つ)

 

逆に言えば、ミズーラを読んでいなければ、自分も同じように、ニュースをニュースと感じなかったかもしれない。女性に対する心無い言葉を浴びせていたかもしれない。改めて、漁船のメンテナンスをしていこうと思う。このブログがほかの方の漁船整備あたって、少しでも水先案内人になってほしいとも思う。