あれ、幸せってなんだっけー読書感想「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」
バラエティ番組やCMで活躍の上、「オールナイトニッポン」MCとして深夜の無数の寂しい魂を沈めてくれている、超人気お笑いコンビ・オードリー。そのツッコミ担当・若林正恭さんが綴ったエッセイ「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」は、短い夏休みで旅したキューバでの体験を独特の感性で切り取っている。軽妙な言葉の数々は、鋭くて、でもどこか悲哀があって。競争社会を先鋭化させ続ける日本と、アメリカに向こうを張ってきた社会主義国キューバ。旅行記のはずが、本書の問いかけは壮大に膨らむ。あれ、幸せってなんだっけ?(2017/10/09追記)
こんな言葉があったんだ!
リトルトゥース(オードリーのラジオリスナーをこう呼ぶ)としては、「おい、若林、キューバに行くなんてやってんなあ!!」(芸能人のわざとらしいキラキラアピールをネタにする、番組の名物コーナー)と言ってやろうという気持ちで読み始めたものの、すぐさま裏切られる。40を手前にした手習いで、家庭教師をつけて社会制度や歴史を勉強していた若林さんにとって、キューバは余暇旅行というより、資本主義以外の選択肢を直視しに行く実地調査だった。けっこうシリアスな問題意識が背骨にあって、だからこそエッセイの中にぐいぐい引き込まれる。
でも、若林さんは難しい言葉を使わない。若林さんにとっての資本主義、競争主義、新自由主義は、たとえば、友達の誕生日会のワンシーンだ。人気が出る前でお金がなかった若林さんは、参加費無料でいいという友達の言葉に甘えて、なけなしの金でスターバックスのタンブラーをプレゼントに買っていった。
会が始まり、プレゼントの包み紙を剥がしてはプレゼントをみんなで見る品評会が始まった。ブランド物のハンカチ、ブランド物のベルト、学生時代より、だいぶ金銭的なレベルが上がっているプレゼント達にぼくは冷や汗をかいた。ぼくのタンブラーが包み紙の中から顔を出した。明らかに盛り下がる場の空気。リアクションに困っている友人たち。それ以来、そのグループの集まりにぼくは参加しなかった。
(お前はプライドが高かったからな)
「違う。またクラス分けがあっただけだ」
20代。
ぼくの部屋にはエアコンがなかった。エアコンというものがこの世に誕生する前、エアコンがないことが辛くて自殺した人間はいるだろうか?
ぼくはエアコンがないことが辛いのではなく、エアコンをほとんどの人が持っているのに、自分が持っていないことが辛かった。(P27)
「違う。またクラス分けがあっただけだ」。若林さんの言葉選びは繊細で新鮮だ。読み進めるごとに、いろんな違和感や、社会とのズレを表現するために「こんな言葉があったんだ」という驚きがある。勝ち組負け組格差の実感を「クラス分け」だって言ってみる発想、なかったなあ。
ゲバラは命を「使っている」目をしている
その感性と言葉選びは、キューバにいっても遺憾無く発揮される。いったい日本と何が違うんだ?それとも、やっぱりキューバはユートピアじゃなくて、資本主義の代数にはなり得ないのか。
そんな問いがゆらめきながら、数日間の短い旅が進んで行く。たとえば革命博物館で、ゲバラやカストロの写真やゆかりの品を見た思いを、若林さんはこう綴る。
ぼくは革命博物館で涙を流さなかったし、今の生き方も考え方も変えるつもりはなかった。だけど、ぼくはきっと命を「延ばしている」人間の目をしていて、彼らは命を「使っている」目をしていた。
ゲバラやカストロの「命の使い方」を想像した。
(中略)
日本では、ゲバラに傾倒する若者やゲバラのポスター部屋に貼っている若者が「中2病」と揶揄されることがある。それをいくらマルチネスに説明しても、うまく伝わらなかった。(P74)
自分はどっちの「使い方」の目をしているんだろうか?
キューバに与するわけじゃないし、ある巨漢のキューバ人ともめた時は、こんな捨て台詞を心の中で吐くこともあった。
おい、巨漢のキューバ人。
日本に帰ったらラジオでボロクソに言ってやるからな。(P174)
しかも後半には、めちゃくちゃな「どんでん返し」がある。これは本当に、ずるいなあと思わされたし、若林さんに完全にやられた気分になる。お笑いのオチ並みの強烈さ。よく見ると帯にも「キューバはよかった。そんな旅エッセイでは終わらない」って書いてあるし。
そんなこんなで、若林さんの旅について行くような感じで、読者は時々笑ったり、笑わせられたりして、でも最終的にはエッセイを貫く「幸福論」を咀嚼していける。ふわっと軽くて、でも味わい深くて、その意味でリトルトゥースが土曜深夜から聴いている、あの時間に似た読書体験ができました。
今回紹介した本はこちらです。
この社会で生きる寂しさや切なさを、丁寧に掬ってくれたエッセイ&ノンフィクション作品に高石宏輔さんの「声をかける」があります。テーマは東京の路上、ナンパを繰り返す男性が主人公です。
資本主義のその先を見据えるノンフィクション「限界費用ゼロ社会」は、「表参道のセレブ犬とかバーニャ要塞の野良犬」の問題意識を引き継いでくれるはず。大量生産、大量消費、資本家主導の経済は、曲がり角にきている?