読書熊録

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最後にバッタ愛が勝つー読書感想「バッタを倒しにアフリカへ」(前野ウルド浩太郎)

「バッタに食べられたい」というクレイジーな夢を持つ昆虫学者、前野ウルド浩太郎さんが、バッタへの深すぎる愛であらゆる困難を超えていくノンフィクションが本書「バッタを倒しにアフリカへ」だ。困難とは、まじで現実的で胃が痛くなるものばかりだ。ポスドクとして食っていける職がない、満足な研究費が下りない、せっかくアフリカまで行ったのにバッタが発生しない……。でも前野さんは、ドン底の時にも笑う。それでもバッタを愛して、なりふり構わず進む姿は、この不確実な時代に「どう生き延びるか」を示していて、学問とは縁遠い我々サラリーマンに大変参考になる。

 

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

 

 

研究者にも必要な「食い扶持」

前野さんは大量発生による公害から「神の罰」とも称されるサバクトビバッタの防除に資する研究をしようと、単身アフリカのモーリタニアへ飛び立つ。もちろん本書では、サバクトビバッタのまだまだ未解明な生態が明かされるし、日本にいてはなかなか知れないアフリカの実像に触れられる。漫画「テラフォーマーズ」が好きだったりする人なら、この時点で相当楽しめる。バッタとイナゴの違いを知っていますか?(答えは本書で)

 

そこにさらにスパイスになるのが、日本の研究者が食っていくのが大変だという「現実」だ。タダでは、情熱があるだけでは研究がままならないという悲哀が、本書を単なる冒険譚にとどめず、より混沌としたものにしてくれる。「研究者も大変なんじゃんか」とじんわりした共感が湧いてくる。

 

前野さんの軽妙な筆致は、そんな現実をオブラートに包まない。ズバリ言う。

 博士になったからといって、自動的に給料はもらえない。新米博士たちを待ち受けるのは命懸けのイス取りゲームだった。イス、すなわち正規のポジションを獲得できると定年退職まで安定した給料をもらいながら研究を続けられる。だが、イスを獲得できるのはほんの一握りどころか、わずかひと摘みの博士だけ。夢の裏側に潜んでいたのは熾烈な競争だった。(p106)

だからこそ、時には効率的に研究成果を論文に発表することも必要。でも一方で、イス取りゲームに勝つための研究は、本当にやりたい研究とかけ離れることもある。自然科学のはずが、人工的な研究室にこもってしまうこともある。あれ、サラリーマンと似てる?

 

土壇場で試されるバッタ愛

前野さんが語るモーリタニアでの日々は、一つ一つユニークで、深夜ラジオのトークを聴いているような楽しみがある。運転手ティジャニのプライベート問題。すぐ巧みな嘘で給料を釣り上げようとするスタッフ。研究室の虫を襲撃する小動物。どの描写もイキイキとしている。

 

最大の読みどころは、前野さんの研究補助が終わり、無収入になってから(無収入になることは前書きで予告されています)。研究をして、食い扶持を見つけて、また研究をしてというサイクルが止まってしまう、最大のピンチ。前野さんはこれを、どう乗り越えるのか?

 

ここを書きたいな〜と思うところだけど、次の読者の楽しみを奪ってはいけない。ただ、前野さんがこの土壇場で感じたことは、いま社内や仕事で窮地に追いやられている人に、ぜひ共有したい。

 皮肉なことに、「もう研究ができなくなる」という研究者にとって死に値する瀬戸際に追い込まれ、ようやく自分自身と真剣に向き合えた。つくづく自分はぬるいやつだ。だが、磨きがいがある。ぶつかる困難が大きければ大きいほど、甘えは削り取られ、内なる光が輝きを放つはずだ。(p268)

バッタ愛が試されるのは、順風満帆な時じゃない。バッタを研究できなくなるかも知れなくなった時に改めて、前野さんはどれだけバッタ研究をやりたいのかを考えさせられた。自分も泥にまみれたら、この「磨きがいがある」という言葉を噛み締めたい

 

ある意味、本書の表紙や、現在もネット発信も含めた多方面で活躍されている前野さんが大いなる「ネタバレ」でもある。前野さんは消えてない(むしろ輝いている)。表紙のように、全身緑色の服とペイントでバッタになりきれるぐらい、なんだってやって、生き延びる人なのだ。だから本書を安心して読めるし、最高にポジティブに読み終えられる。悲哀もある。困難もある、涙もある。でも最後は、バッタ愛が勝つんだ。

 

今回紹介した本はこちらです。

 

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)